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尖塔の高さ比べ 権力の象徴か天国に近いか

文学・芸術

サグラダファミリア sagrada1





 サグラダ・ファミリア


 サグラダ・ファミリア(日本語: 聖家族)は聖家族贖罪教会(カタルーニャ語: Temple Expiatori de la Sagrada Família)という正式名称を持つバルセロナにあるカトリック教会のバシリカである。日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。

 スペインのバルセロナにある大聖堂、サグラダ・ファミリアはガウディが設計し、いまだにその完成形を目指して建設が続けられている進化・増殖する建造物。

 2006年、直下に高速鉄道AVEのトンネルを掘削する計画が持ち上がり、建設側は地元自治体などにトンネル掘削中止を働きかけたが拒否された。一連のやり取りの中で、サグラダファミリア建設が行政に届け出を出していない工事であることが明らかになり話題を呼んだ。つまり、サグラダファミリアは違法建築だったのだが、結局は調整が行われてバルセロナ市の行政当局がサグラダファミリアの建築を超法規的に認めた上で、徹底した地盤強化対策を行って掘削工事が行われた。

 1882年に着工以来、完成までには300年はかかるとされていた同教会だが、技術革新と入場者の増加に伴う財源安定により完成が前倒しされ、ガウディ没後100年となる2026年に完成する予定と発表された。2005年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。
 9代目設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表している。


サグラダファミリア 5f7



 「言語の曖昧性と不完全性」について、かって研究論文を書いたことがある。
 その論文の最後を次のように結んだ。


 おわりに

 スペインのバルセロナにサグラダ・ファミリア(聖家族教会)贖罪聖堂がある。
 石、セメント、ガラスで、出来ているとは信じられない。冷たい殺伐とした直線を避け、温かく包容し、魂の安らぎを誘なう曲線が多く使われている。植物の蔓のごとく曲がりくねり,貝のごとく、螺旋状になり、老いも若きも純真でけがれなきあの頃に還っていく。 

 美も醜も、愛も憎しみも、自由も束縛も、罪も罰もすべてをひとしく呑み込み、すべてを超越し、巨大な蟻塚のように天空にそそり立つ。出入りする人間たちは、まさしく蟻の行列にほかならない。世界中の言語を集めても、この聖堂を的確に描写することは不可能であろう。言語による表現の限界と不完全性を実感する。

 老子は言う。「希言ハ自然ナリ」(第二十三章)自然にはもの言わざる言葉が満ちあふれる。自然はもの言わずして、あらゆる真理をおのずからにして語りかける。人間はいろいろなあげつらいをし、さまざまな理屈をこね、しかつめらしい言い訳をしたり、恩着せがましいおどし文句を並べたりするが、自然は黙々として一言も語らず、ただひっそりと造化のはたらきを展開していく。

 そのはたらきによって柳は緑に芽吹き、花は紅に咲き、鳥は空高くさえずるが、これが造化の真理だと言揚げすることもなく、自分の手柄だと吹聴することもない。しかも、そこではあらゆる真理が声なき声、言葉なき言葉で語られ、そのいとなみの功績は何物をも欺くことはない。このような無為自然の世界の言葉なき言葉を「希言」としてとらえ、その声なき声を「自然」だと説いた老子の声が聞こえてくる。


サグラダファミリア a56


 建築主任はアントニ・ガウディという人であった。バルセロナから100キロほどの片田舎に生まれ、幼少の頃、彼はリュウマチを患い、同級生との接触も少なく、自然を観察することに熱中せざるを得なかった。その結果、自然界の動物や植物に親しく接し、バルセロナの建築専門学校を苦学して卒業した。やがて、その才能が資本家グエルに認められ、31歳の時聖堂の建設を任される運命が巡ってきた。

 彼は前任者の設計図を排除し、自分がこどもの頃に見た森、森の木陰、カタツムリ、トカゲ、カメレオン等、全ての動植物を総動員させて、ふるさとの自然を再現する設計図に変更した。「私の師匠は一本の木である。一本の草である。自然界のすべてが私の師匠である。」と言って、地球の重力に従った構造をゆっくりと時間をかけて研究と実験を重ね、近代的な設計図や構造計算もなくとりかかり、その建築に生涯を捧げた。ガウディの建物は揺らぐことなく今も天空にそびえる。彼の遺志を継いで、贖罪聖堂は今も建造中である。完成まであと何百年かかるか分からない、という。

 ことばについてオムニバス風の考察をしてきたが、建造物は不完全であってはならない。言語の不完全性やあいまいさを弄ぶ我が身を恥じ入るばかりである。



サグラダファミリア ap2



 
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インド大統領選

時事評論

0 kki SILVER INLAID BIDRI EWER - India (Deccan, Bidar), 17th century





 被差別民出身のコビンド氏が当選 

 インド大統領選



タイトルを見て、一瞬、素晴らしい快挙と思った。

が、根強いカースト制度が、弱体化する訳ではない。

選挙でダリットの地位が大幅に向上するわけではない。

インドでは、セレモニー(儀式)のようなもので、

どこの國も同じことか、といささかガッカリした。



 2017/7/20(木) 21:34配信


 インド大統領選の開票が20日行われ、与党・人民党が推すカーストの最底辺層「ダリット」(被差別民)出身のラム・ナト・コビンド前ビハール州知事(71)が当選した。野党が擁立した候補も被差別民(推定人口:1億6千万)出身で「ダリット選挙」と呼ばれた。

 プラナブ・ムカジー現大統領の後任を選ぶ選挙で、上下両院議員と州議会議員による間接選挙で、17日に投票が行われた。インドでは首相が政治の実権を握り、大統領は国を統合する象徴的な存在。ダリット出身の大統領は1997年に就任したナラヤナン氏以来、2人目となる。大統領の任期は5年。

 コビンド氏は弁護士や上院議員を務め、ダリットの権利保護の活動を続けてきた。野党の国民会議派も、ダリット出身で女性初の下院議長だったメイラ・クマール氏(72)を擁立した。

 インドでは、カーストに基づく差別は憲法で禁じられているが、差別は根深く残る。ダリットは国民の2割近くを占めるとされるが、選挙でダリットの地位向上のための具体策が双方から訴えられたわけではなく、「カーストが票のための政治に利用されているだけ」(政府関係者)との声があがった。(ニューデリー)



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芥川賞・直木賞...選考で波乱

雑学曼陀羅

0 y 花=黒花蝋梅(クロバナロウバイ) 器=金銅華瓶(鎌倉時代)





 芥川賞・直木賞...選考で波乱


近年の芥川賞・直木賞作品は、ほとんど興味・関心がない。

不快なニュースが多い、佐世保在住の直木賞受賞ということでアップしておく。



 7/20(木) 1:32配信


19日、第157回芥川賞・直木賞の受賞作が発表された。19日夜に行われた選考会で、どの作品が受賞となったのか。
東京のホテルに集まった多くの報道陣が固唾(かたず)をのんで見守る中、芥川賞には、沼田真佑さん(38)の「影裏(えいり)」が、そして、直木賞には、佐藤正午さん(61)の「月の満ち欠け」が選ばれた。

ともに初ノミネートでの快挙だが、芥川賞の選考については、一筋縄ではいかなかったもよう。
高樹 のぶ子選考委員は「大変な対立、ほとんどケンカ状態で。かなり長く選考委員をやっていますが、本当に疲れ切って...」と話した。

選考委員の間でも、もめにもめたという、芥川賞の受賞作「影裏」。
仕事で岩手県に移り住んだ男性が、同僚と親しくなるものの、東日本大震災をきっかけに、同僚の意外な人間性を知っていく短編小説。

沼田さんは、岩手・盛岡市に住む現役塾講師。
この作品が、作家としてのデビュー作だという。

沼田さんは「光栄です。まだ1作しか書いていないので、頑張ります」と話した。
そして、今の心境を質問されると、「ジーパン1本しか持ってないのに、ベストジーニスト賞みたいな」と、ユーモアを交えて答える一幕も。

沼田さんの生徒は、「しゃべり方が結構独特で、なかなかにセンスを感じるというか、言葉回しがおもしろくて、授業もよかったです」、「授業の間に本の話をしてくださったりとか、本の話をすると、すごく盛り上がるので」などと話した。
沼田さんの同僚は「ついに夢がかなったというところで、本当に講師一同、本当にうれしく思っております」と話した。

また、直木賞の「月の満ち欠け」は、娘を亡くした男性が、娘の生まれ変わりだという少女に出会うところから始まる物語。
佐藤さんは、デビュー34年目にして、念願の受賞。

長崎・佐世保市の自宅をつないでの電話会見で、喜びを語った。
佐藤さんは「何か、取っちゃったなっていう感じです。(何のために小説を書いている?)なんのために!? いや、何のためなんでしょう。いや、ちょっとそれ難しいですね。あんまりいじめないでください」と話した。

書店では、受賞作が発表されると、早速、店内に特設コーナーが設けられ、店員は、受賞を知らせる本の帯付け作業に追われていた。
贈呈式は、8月下旬に東京都内で開かれる予定となっている。




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アンティーク華瓶の優美なフォルム

書画・骨董

0 kk 轆轤引きの青銅器 亜字形華瓶





 アンティーク華瓶の優美なフォルム


0 kk 古銅 請来型水瓶a 山芍薬の花殻 野菊



 華瓶について



華瓶は花瓶とも書き、華生、華入ともいう。要は華を挿す瓶である。ケビョウと呼ぶが、中国の銅器の形に似たもの、すなわち、口が大きくひろがり、左右に耳をつけ、また細かく文様を刻むものがある。これをカ(クワ)ヒンと呼ぶが、字は同じである。

 普通華瓶といった場合、その形に二種ある。ひとつは「亜」字形というもので、亜の字に似た広口で、頸が細く狭ばめられ、胴が膨らみをもっており、 その下に腰の細い台をつけているものである。もうひとつは酒を入れる徳利の形に似たもので、細長い頸をもち、頸から胴へ向って次第に下膨れし、下に低い高台をつけている。



0 y 花=黒花蝋梅(クロバナロウバイ) 器=金銅華瓶(鎌倉時代)



 亜字形華瓶 徳利形華瓶



0 kki 仙盞形水瓶 ・浄瓶(じょうへい)法隆寺献納宝物



  亜字形と徳利形とではどちらが古いかといわれると即答しかねるが、遺品の上からは亜字形の方がやや古くからあり、しかも平安時代後期の品が割合多く遺っている。徳利形華瓶は、平安時代後期のものも皆無ではないが、数が少ない。鎌倉時代からは実に多くの遺品がある。



0 kki SILVER INLAID BIDRI EWER - India (Deccan, Bidar), 17th century


  華瓶はもとインドの迦羅舎という宝瓶といわれ、香水や宝薬を入れたものという。(『陀羅尼経』『大日経』)その口に宝華を挿すのは口を覆い、栓をする意味で花を挿したものと伝えられ、よって元来、華瓶は花を挿し、花を供養する目的のため用意されたものではないことが判る。だから華鬘や散華などの方がより花を供養するという本来的な意義を有するものである。

 奈良西大寺に遺る土砂加持に用いる華瓶様の瓶器は口に蓮華を挿しており、本来の華瓶の姿に近いものを示している。


0 kk 信貴形水瓶 鎌倉時代 国重要文化財 耕三寺 広島県尾道市


 亜字形の華瓶の変遷を時代的にたどってみると平安時代のものは頸部のくびれが鋭く、胴(壷)部は膨らみの強いもので、その肩口で頸部との境目が一段盛上っている。ごく古いものは頸に紐帯がなく、肩口の盛上げもない。それから腰部、つまり台座の部分にいたると胴(壷)の底は水平に切られた形で台座につながる。初期のものは台座の高さが極めて低く、地付き(底部)もそんなに大きくない。平安後期から地付きがだんだん大きくなって胴の膨みと同大ぐらいになる。平安後期も末期(12世紀)になると腰部(台座)のくびれが次第に太くなり紐帯の位置も上方にあがる。そして頸から胴、そして腰へかけて丸味をおびてくる。この時代のものはよく経塚の一括遺物の中にみられるが、一鋳にすることから底に木栓を嵌め込むものがよくみかける。鎌倉時代のものはこの木栓はみられない。


0 kk 古銅 請来型水瓶


  鎌倉時代になると胴は横へ張らず、むしろ上下に張り、丸味の強い膨みを呈する。そして胴より台の地付きの方が大きくなる。室町時代になると頸部と腰部のくびれがゆるくなって太く、しかも長く伸びる。胴はいよいよ丸くなる。そして底板をロウ付けする位置が鎌倉・室町と時代が下がるほど低くなり、今日のものは地付の台座の辺に底がある。


0 kki s-DSCN6891 (2)


  この亜字形華瓶は発生的には、壷に仏飯器の鉢支と同じ輪台をつけたものではないかと思っている。だから元来この壷は鉄鉢などと同じく尖底であって転倒を防ぐ意味で輪台を付したと考える。こう見ると仏飯器同様その器形の段や、紐帯の意味などの説明もつく。私は常に古いもののみを推賞する訳ではない。しかし古い時代のものはその本来の発生的な形がよく示され、器形に必然的理由がある訳ですが、時代の下降に伴って形式化の一途によって、それが本来何であり、何を意味するかということを全く忘れ去ってしまっている点に不満がつのるのである。


0 kki 龍首水瓶d 飛鳥時代(献納宝物243号)法隆寺献納宝物


それは合目的的になっているといえるかもしれない。例えば華瓶の底の取付けの位置の下にくる事は水の要領の増大をはかることである。輪台に底のないのは仏飯器の場合と全く同じである。しかし輪台というものの意味がわからねば底の取付けを下にもってくることに何らの疑いもないであろう。水を少しでも多く入れることは挿す花に有効であるという意識の方が先に立ち、目的にかなうことになるのであろう。


0 kki A Sultanate Cast Bronze Ewer and cover, India, 14th-15th Centuryewers


もうひとつ、何故、時代の下降と共にこうも器形に美しさが失われるのであろう。本来合理的につくられていたものが、単に製作のための簡便化、別な合理化が考えられてこうなったのだろうか、例へば華瓶の台座地付きの部分が次第、次第に大きく発達してくるのは器物の安定を計るためであろうか。しかしこうしても決して器形の安定感が増したとは少しも見えないのであるが。不思議なことである。


0 kki Turkish ibrik 1


 亜字形の華瓶の頸部や腰部、あるいは地付きの部分に蓮弁を飾る物が出てくる。平安末期から鎌倉時代に盛行するが、これも仏飯器の場合とよく似ている。

  徳利形の華瓶で平安後期と考えられるものもなくはないが、大体鎌倉時代以降のものがほとんどである。この形のものは口径が割合に小さく、頸部の長いのが特徴である。平安時代のものは頸部はそれほど長くはないが、だんだん長くなり、鶴首の花挿しみたいになる。頸部の中程に紐帯をつけるのが普通である。初期のものはやはり胴体部が下膨れで、張りがあり、高台も低い。鎌倉時代になると胴の張りが少なくなり、やや胴長になり、高台がたかくなる。この種の華瓶には肩や胴の中程に紐帯(玉縁)があるが、これが時代の下降と共に幅の広いものとなり、その上下に細い紐がつけられる。これを子持ち玉縁という。玉縁の全くないもの、いわゆる高野徳利のようなものもなくはない。また、頸部や胴の下部から台にかけて蓮弁を刻んで飾るものもある。慈覚大師請来型というような名もあるがそんなに古いものはまだ見ない。



0 kki s-DSCN6895 (2)



 なお亜字形華瓶にしてもこの徳利形の華瓶にしても鍍金のあるものが割合に多い。その鍍金は本鍍金(ケシメッキ)よりも箔鍍金のものの方が多い。仏飯器にも華瓶にもいえることだが、大体遺品として認められるものは平安時代からのもので、それも後期の藤原時代からのものであり、鎌倉時代のものはかなりの数が認められる。

  仏具の時代的な変遷を追及するといろいろ興味深い問題が次々と出現するが、その解明は甚だ容易ではない。しかし、かつて立派な美しい形のものが生み出されてあったにもかかわらず、今日のわたしたちはそういうものを顧慮せずに、どんどん新型、新型といって別なものを造り出しいているが、本来的な眼でこれをみると、いずれも奇形であったり、異形であったりする。

  万物は流転する。変化しないものは何もない。個人の嗜好や審美眼でとやかく言っても仕方のないことで、老人は諦観するしかない。




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龍首水瓶 国宝

文学・芸術

0 kki 龍首水瓶d 飛鳥時代(献納宝物243号)法隆寺献納宝物





 龍首水瓶 国宝



0 kki 龍首水瓶a 飛鳥時代(献納宝物243号)法隆寺献納宝物


0 kki 龍首水瓶c 飛鳥時代(献納宝物243号)法隆寺献納宝物


銀製鍍金・鍍銀
高49.9径18.9
飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館
 

 法隆寺に伝わった水差し。明治11年(1878)、法隆寺から皇室に献納された「法隆寺献納宝物」(現在は国有、東京国立博物館に収蔵)の一つ。このような長い首と下にふくらむ胴に把手を取り付けた器形は、ササン朝ペルシャに源流をもち、一般に「胡瓶(こへい)」と呼ばれる。かつて銀製と考えられ、「銀龍首胡瓶(ぎんりゅうしゅこへい)」として国宝に指定されたが、鋳造した銅器に金、銀をメッキしたものとわかった。


0 kki SILVER INLAID BIDRI EWER - India (Deccan, Bidar), 17th century


 いかめしい顔の龍頭が注口、細い龍身が把手となり、蝶番(ちょうつがい)で把手に留めた龍の上顎が蓋となっている。角を押すと蓋が開き、片手でも注ぐことができる。龍の眼には薄緑色のガラスがはめてある。全体に薄手に作られた胴部には、向かい合う2組の有翼の天馬(ペガサス)4頭を毛彫(細い線刻)し、金メッキで浮き立たせている。注口の部分、胴、台脚は別々に鋳られ、首と胴は轆轤(ろくろ)仕上げされている。



0 kki Traditional Turkish Handicraft



 ペルシャの天馬、中国の龍という東西の伝統的なモチーフを組み合わせ、器形も文様も力強い躍動感にあふれた優品である。唐時代中国の作と考えられてきたが、龍の造形や毛彫の手法などから、7世紀の日本製??とする見方が強くなっている。



0 kki s-DSCN6891 (2)



 イシコロ私見のコメント


この水瓶を7世紀の日本製(弥生時代:須恵器の時代である)? などと鑑定するのは、アリエヘンことである。

東西文化の交流が花ひらくのは、後世になってからの話で、大和國はまだ未開の地域であった。

その後、大和を支配していた朝鮮半島の渡来人、中国人を通して、仏教美術品などを発注し取り寄せてはいる。

当時の西方アジアの先端技術にほど遠いこの極東の地で、職人たちが観たこともないペガサスや後世の西洋の動物(象・ライオンなど)を正確に模写できるはずがない。


0 kki s-DSCN6895 (2)


日本人は、感性ゆたかな民族であるが、エジプト、中国、イスラム、ヨーロッパと比べたら、歴史が極端に浅い。


0 kki Turkish ibrik 1


世界史的に周知の事実を歪曲して、むかしから西洋に劣らぬ優秀な民族であった、と喧伝するのは笑止千万で、それこそ恥と嫉妬の文化に上塗りするようなものである。

天皇崇拝の忖度(そんたく)歴史学者しか育たなかった証拠でもある。




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