一生一石

愛犬とイシコロのお話

黒いダイヤ 近代日本発展の原動力

忘れえぬ光景

00 a 軍艦島




 日本の炭鉱の歴史


日本の石炭鉱業は、明治初期に産業として成立し、日本の経済発展及び国民経済の向上に大きく貢献してきた。
その過程で、幾多の厳しい状況に直面しながらも着実にこれを克服し、生産・保安技術を蓄積し、世界でも高い技術水準に到達した。
これは石炭鉱業に関わった多くの先人達の苦労と努力の積み重ねから生まれたものです。 

2015(平成27)年の第39回世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が、UNESCOの世界遺産リストに登録された。
岩手県から鹿児島県にまたがる8エリアに点在する、幕末の1850年代から明治末期の1910年までの23資産が一挙に登録された。
日本経済の屋台骨を支える基幹産業であった石炭は、日本は工業立国の経済的基盤を築き、奇跡とも呼ばれる急速な産業化を果たす原動力となった。


zzz coal 石炭細工 S30年代三池炭鉱の伝統産業だった石炭人形


石炭の発見

石炭発見の歴史は、非常に古くさまざまな伝説や古文書に見うけられますが、資料があるものは、九州三池地方における――1469(文明元)年1月、三池郡稲荷村(とうかむら:現在の大牟田市にあたる)の百姓伝治左衛門が近くの稲荷山に焚き木を取りにいき、枯葉を集めて火をつけると、突然地上に露出していた黒い岩が燃え出した。
これが"燃える石"つまり石炭の発見である、 と伝えられています(安政六(1859)年。橋本屋富五郎発行 『石炭由来記』外)


江戸時代の状況

17世紀後半には,石炭は筑前・長門地区等で、薪の代替として家庭用燃料など自家消費を主たる目的として利用されていた事が報告されています。産業用に石炭が使用され始めたのは18世紀初頭になってからで、瀬戸内地方で製塩業者向けに販路を見出すと大きく発展を遂げました。                               

一方海外では、1765年イギリスでワットが蒸気機関を改良し、これによって石炭は蒸気機関向けの燃料として注目されるようになりました。鉄道や船舶の燃料として石炭は大量に使用されることになりました。産業革命の幕開けとなったのです。そして江戸時代の末期に日本が開国したことで、日本の石炭は外国商船の燃料用としても供給されるようになりました。長崎を中心に活躍したグラバーは、高島炭坑の開発に尽力しました。


00 a 軍艦島2


明治時代に入り

鉄道開通など文面開化が進展した明治初頭の国内の石炭生産地は、九州の筑豊、三池、長崎、本州の宇部、常磐、北海道の白糠、茅沼、幌内、夕張等の地域であり、その後各地へと広がっていきました。また上海、香港など海外需要に応える輸出も盛んに行われていました。1874(明治7)年の石炭生産総量は21万t、その内輸出量は12万tを占めていました。その後も石炭生産量は急速に増加し、1883(明治16)年には100万t、1888(明治21年)には200万tに達しました。


一方鉱山事故も頻発するようになり、1890(明治23)年には鉱業条例が公布され、鉱山保安に関する規定が設けられ、農商務省に鉱山局が設置されました。明治の中期にかけての採炭等の技術は人力から蒸気に移り排水、運搬等の機械化が進展し、日清、日露両戦争を経て急速に発展し、主要炭鉱ではポンプや巻上機が設置され、大きな煙突の光景が見られるようになりました。


1901(明治34)年に九州八幡に一貫式高炉が建設され、鉄鋼製品の国内生産が本格化しました。鉄鋼用に国内の石炭が大量に使われることとなりました。その結果、石炭生産量は1902(明治35)年に1000万tを達成しました。1910(明治43)年には1570万tの水準に増加しました。当時の石炭使用別の内訳を見ると、船舶用(240万t)、鉄道用(120万t)、工場用(含製鉄430万t)、製塩用(90万t)となっています。石炭産業に従事する労働者も増加し、明治末期には15万人となりました。


大正―昭和時代前半(第二次世界大戦以前)

炭坑開発は、日本国内のみならず、新たな領土となった台湾・樺太・満州(中国東北地方)へと広がっていきました。しかし1920(大正9年)の第一次世界大戦後の世界経済恐慌のあおりを受けて,日本の石炭産業も不況の波に見舞われることになりました。石炭需要は激減し,石炭価格は急激に下落してしまい、休山する炭鉱数や失業者数は増加してしまいました。
                                    
その後昭和に入り、重化学工業を中心とする軍需産業海運業、電力業界なども活況を取り戻し、石炭産業の発展が続くことになりました。特に1937(昭和12)年 の日中戦争開始以降は石炭需要が急増し、石炭供給不足に直面することになりました。

(生産量は1937(昭和12年)に4530万t、1939(昭和14)年に5110万t、太平洋戦争に突入する1941(昭和16年)には、5647万tとなり日本の産炭史上での最大値を記録しています。端島炭坑の外観が軍艦のようになってきたのもこのころです。


00 a 軍艦島1


2015(平成27)年発行の地方自治法施行60周年切手(長崎県)


昭和時代後半~平成年代 (第二次世界大戦以降)

1945年(昭和20年)8月に太平洋戦争=第二次世界大戦は日本の敗戦で終結しました。日本の国土は荒廃し、1945年の石炭の生産量は2230万tまで低下してしまいました。そこで戦後復興の重要政策として、石炭・鉄鋼の増産に集中する「傾斜生産方式」が実施され、石炭生産量は1948(昭和23)年に3480万t、1951(昭和26)年に4650万tまで回復しました。

しかしその後、エネルギー利用の分野では世界規模で変化が起きつつありました。1950年代に中東やアフリカに相次いで大油田が発見され、大量に安く供給された石油は工業化の進展に伴いさまざまな交通機関、暖房用、火力発電などの燃料として、その消費量が飛躍的に増えました。このような影響を受けて日本の産業界でも石炭から重油へという燃料転換が急速に進むことになりました。


zzz coal 石炭細工 本象牙×石炭 象 約260×220×115㎜ 2785g


これをエネルギー革命と呼んでいます。1962(昭和37)年に、初めて石油が石炭を抜いてエネルギー供給の首位の座に就くと同時に、鉄鋼業界は安価な海上運賃を背景にして海外の原料炭輸入にシフトしていきました。電力業界でも石炭よりも安価な石油が主体となっていきました。        

一方国内の石炭会社は坑内掘りが主体で、採掘条件は決して恵まれず、生産コストは上昇し、経営は苦境に追いこまれてしまいました。1991(平成3)年石炭鉱業審議会は「ポスト八次石炭政策」を答申し、国内炭生産の段階的縮小を図ることにしました。この方針により、これまで生産を続けていた炭鉱も漸次閉山していき、高島炭坑は1986(昭和61)年に、三池炭坑は1997(平成9)年に閉山となってしまいました。

現在では北海道で坑内掘り1鉱と露天掘り数鉱が生産を続けるだけとなり、生産量も120万t程度になりました。一方で日本の石炭輸入量は世界一となり、2013(平成24)年で約2億tにも達しております。今なお日本の石炭は電力・船舶、鉄鋼、繊維、化学,セメント産業など多数の業界で使用され続けている資源であり、日本経済を支えている主要なエネルギーであり、エネルギー全体の1/4を占めております。                           

これらのことからわかるように産業のライフサイクルという視点から日本の石炭産業はその典型的な栄枯盛衰を経験してきました。石炭という資源に視点を置いて日本経済の行く末を展望することは、エネルギー供給という重要な課題を見るときに大きな教訓を与えてくれることになるでしょう。最後に改めて石炭鉱業に携わった先人たちのご努力とご苦労に深く敬意を表し、同時に多くの尊い犠牲者に対してご冥福をお祈り致します。


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ヒトが 「ネアンデルタール人」 を絶滅させた

雑学曼陀羅

00 a ネアンデルタール人



進化においては、優れた者が勝ち残るのではなく、子供を多く残した者が勝ち残る

純粋血統種、白人優生学、民族優生論を信奉する、先進諸国が真っ先に人類から姿を消すだろう

人類、生物、文明の産物、オリンピックの成果、どれを観てもハイブリッド(交雑種)が強い

文化の混淆も、交配文化が元祖よりも各地に伝播してたくましく生き残っていく


現代人が洗脳されてるすべての仮説は、なにも信頼できる根拠がないのだ

かと言って、真実や真相を知ることがしあわせとは限らない

自分が思い描く夢のままでいた方が気楽でストレスは溜まらない

夢から覚めた浦島太郎の末路は哀れなものである

意識の奴隷、思い込みが人間に賦与された最高の玉手箱かもしれない




ヒトが「ネアンデルタール人」を絶滅させた

「勝ち組だけが生き残る」は当てにはならない

人類の大きな特徴は、直立二足歩行だった



20180218(日) 15:00配信


700万年前、人類はチンパンジー類と分岐した。初期人類、アウストラロピテクス属を経て今に続くホモ属へと進化。私たちの祖先にはどんな種がいて、どのように生き、絶滅していったのか。『絶滅の人類史』を書いた分子古生物学者の更科功氏に聞いた。

 ──私たちホモ・サピエンス(ヒト)が生き残った最後の種ですね。

 人類は名前がついているだけで25種ありますが、実際は100種くらい存在したかもしれない。

 人類の大きな特徴は、直立二足歩行と犬歯(牙)の縮小です。直立二足歩行を始めた頃、アフリカは乾燥化が進み森林が減少していた。類人猿も木登りが下手な個体は餌を求めて森から出ていかざるをえない。疎林や草原に追い出された個体の中で生き残ったのが初期人類です。もともと直立二足歩行はその不便さゆえに人類でしか進化しませんでした。


■優秀だから勝ち残ったわけではなく、追い出された

 ──人類は優秀だから勝ち残ったわけではない? 

 ええ、力が弱く木登り下手な人類祖先は、ゴリラやチンパンジーなど類人猿に負けて豊かな森林から追い出され、仕方なく疎林や草原に出てきた。決して希望に満ちて草原へ旅立ったのではない。

 直立二足歩行の最大の欠点は走るのが遅いことです。草原は肉食獣に襲われやすい場所。そこへ出ていくことは死を意味するわけだから、追い出されたという表現でいいと思う。ゴリラもチンパンジーも人類より力が強い。人類には牙もないから戦ったら死ぬ。こちらが出ていくしかないですよね。


 ──なぜ牙を失い、不便な直立二足歩行を始めたのでしょうか? 

 チンパンジーはオス同士の戦いで牙を使う。でも人類はオスとメスが集団生活をする中で、初めて一夫一婦制かそれに近い社会を作った。メスをめぐる争いがなくなったから牙という凶器を捨てた。

 一夫一婦制はオスがメスや子供に食物を手で運ぶために始まりました。もちろん最初は一夫多妻や多夫多妻などいろんなグループが混在していたことでしょう。その中で結果的にいちばん多くの子孫を残せたのが一夫一婦制だったということ。家族のために食物を運ぶオスは、自分のためにしか食物を収集しないオスより肉食獣に襲われる。

 当然生き残るオスの数は少ない。でもメスや子供にとっては、食物を与えられるので生存に有利になる。結果的に直立二足歩行の遺伝子が受け継がれる。進化においては、優れた者が勝ち残るのではなく、子供を多く残した者が勝ち残るのです。



00 a ネアンデルタール人2


 ──そして250万年前、ホモ属が現れた。

 ホモ属が石器を作るようになると頻繁に肉が食べられるようになり、脳を大きくすることができた。肉は植物より消化しやすいから腸も短くて済む。腸に使うエネルギーを回すことで脳はさらに大きくなる。食事や消化が短時間で済めば、暇な時間を石器用の石集めや石器作りに充てられ、作り方をまねるための仲間とのコミュニケーションなど知的活動が増えます。



00 a ネアンデルタール人1


■人類史上最大の脳を持っていたのがネアンデルタール人

 ──脳の大きさ = 頭のよさ??? 

 頭のよさというより、脳の活動が多かった。ヒトに最も近縁な種で4万年前に絶滅したネアンデルタール人や、同じヒトでも1万年前のほうが現代人より脳容量は大きかった。

 人類史上最大の脳を持っていたのがネアンデルタール人。彼らは私たちとは違う何かを考えたり、想像もつかない能力とか、現代人の物差しでは測れないものを持っていたんじゃないか。脳の形から、見たものを処理する視覚野の部分が大きいので、視覚に関係する能力はネアンデルタール人が勝っていたでしょう。

 ──40万~50万年前に別のホモ属からネアンデルタール人とヒトが分化した。つまり両者は兄弟? 

 兄弟というよりは双子ですね。祖先の集団の一部がアフリカを旅立ち、その一部がヨーロッパに移住、そこからネアンデルタール人は進化した。一方アフリカに住み続けた集団からはヒトが進化した。

 2種はヨーロッパとアフリカで別々に暮らし、4万7000年前にヒトがヨーロッパに進出してネアンデルタール人と再会する。

 その後ヒトがヨーロッパへ大量進出してからは3000年くらい両者は共存しました。互いの接触はなるべく避けたと思いますが、少数ではあるけど両者は交配もした。


 ──ネアンデルタール人もヒトも食人の痕跡が残っていますね。

 はい。飢餓の極限状態で食人の犠牲者となったネアンデルタール人12人の骨は、脳や骨髄目当てにたたき割られ、石器で肉を剥ぎ取られた傷が残っていました。

 ネアンデルタール人絶滅の主な原因は、寒冷な環境とヒトの進出でした。ヒトは骨で針を作り、寒さをしのぐ毛皮服を作って防寒、何でも食べ、きゃしゃな体で広範囲を動き回る。投槍器を使い狩猟技術も高かった。一方ガッシリ体形のネアンデルタール人は基礎代謝量だけでヒトの1.2倍、動き回るには1.5倍のエネルギーを要した。力は強いけど燃費が悪いので、移動範囲は狭まり獲物も少ない。ヒトが自分たちの土地にズカズカ入り込んできて獲物を横取りしていった。

■動物の全重量の10%をヒトが占めている

 ──未来の人類は私たちヒトをどう特徴づけるんでしょう。

 南極まで行っているし、本格的に世界中に広がった。それから異常に数が増えた種ですよね。現在、動物の全重量の10%をヒトが占めていて、そんなに多い種は全人類史上初めてです。

 ──え、たったそれだけ? 

 現代のITや宇宙への進出など目覚ましい文明の発展は、記録はされるでしょうけど、ヒト30万年間のうちテクノロジーの進化はたった200年。生物学的な定義としては「地球中に広がった種」となるんじゃないですかね。

 ほかの種に比べ個体が弱いから集団で行動し、協力関係がなお強まった。集団の中で初めて一夫一婦制を形成したことも特徴に入るかな。それに将来、考えることをAI(人工知能)に任せていくようになれば、脳はさらに縮小する可能性がある。脳の大きさのピークはネアンデルタール人なので、「ヒトは脳が縮小していった種」というのも加わるでしょうね。

 ──次の人類はどのように出現すると思いますか? 

 何らかの断絶が起きないとヒトから別種が分かれることはない。普通に考えて、1万年後、ほかの惑星に移住した集団が別種の人類になる可能性がいちばん高いのかな。




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和食は藝術 料理に生きるオノマトペ

文学・芸術

としだれ桜4





和食は藝術

 日本人の審美眼と美意識 

 料理に生きるオノマトペ




00 a おむすびころりん



私の主張は、「‘語感’の生じる主な原因は発音時の体感である」というものである。発音時の体感には、発音の際の口腔、咽頭腔の運動感覚、その結果生じる皮膚感覚に加え、そもそもその音を発しようとする心的態度、すなわち気持ちも含まれる。そして、言葉を聞いてある語感を感じ得るのは、その言葉を自ら発したときの感覚を記憶しているからである、としてきた。

「Wundt以来、発音器官の運動を音感形成の一つの大きな原因とみなす説があって、それが共感覚の理論となっている。われわれは、聴覚印象と同様に調音感覚を重視するものである。」さらに「語音は聴覚的存在であると同時に発声感覚上の存在でもある。

呼吸圧から喉頭を経て唇に至るまでの運動感覚が関与する。」とまで言われる。「西欧の言語学者には、調音器官の運動を通じて初めて対象の擬態性を感受する可能性が生じるもののような考え方をする学者が多い。

もちろん対象の擬態性と聴覚印象と調音上の運動感覚の三者が完全にあるいは大方一致すれば、対象の擬態性を把握する仕組みはなおよく説明がつく。

しかし、必ずしもそれを必要としない。言葉の場合は聴覚印象として擬態性が感じられさえすれば、対象の擬態性を知覚しうるというのが共感覚の理論である。」

この聴覚印象に視覚現象を加えた擬態性・擬音性(オノマトペ)が日本人の審美眼を形づくり、日常生活のあらゆる分野に浸透し、言葉・表現・料理の美意識の根源となっている。

この日本語の繊細なオノマトペのニュアンス(微細な違い)を、印欧語(インド・ヨーロッパ語)を中心とした世界の言語の中で、これまで発見された例を観たことはない。

世界一流の料理人から庶民までが、美しい日本料理・和食の繊細な味覚(オノマトペ)に惹きつけられる所以である。

 ☆ ☆ ☆



 オノマトペ 日本人の美意識


雨の降り方を例にしますと、ぽつぽつ、ぱらぱら、しとしと、ざーざー、などのオノマトペ(擬音語や擬態語)や、「霧のような」「横殴りの」「叩きつけるような」などの比喩的表現が充実して微妙なニュアンスの違いまで区別できるのが日本語の繊細さ(やわらかさ、まろやかさ、喜怒哀楽、映像が頭に浮かぶ、心象風景、心理描写)ではないか、と思います。

オノマトペというのは、上の「しとしと」のような擬音語・擬声語・擬態語を指しますが、日本語はオノマトペが発達していることでも知られています。例えば雨の降り方でも、
「ポツポツ」「しとしと」「ザーザー」など、たくさんあります。
さて、皆さんは下に挙げるオノマトペからどんな法則を考え付きますか?

「ハタハタ ― パタパタ ― バタバタ」
「ヒューヒュー ― ピューピュー ― ビュービュー」
「コロコロ ― ゴロゴロ」
「トントン ― ドンドン」(たたく)
「カリカリ ― ガリガリ」(かじる)
「ケラケラ ― ゲラゲラ」(笑う)
などなど

そうなんです!!日本語では多くの場合、「清音-半濁音(パ・ピ・プ・ペ・ポ)-濁音」の順でその度合いや対象のものが強く、大きくなるのです。このルールに当てはまらないものもあります(たとえば「プンプン」(怒る)と「ブンブン」(振り回す)など)が、多くの場合、「ピチャピチャ ― ビチャビチャ」のように、このルールが当てはまります。

お酒を「とくとく」注ぐならばお猪口(おちょこ)かもしれませんが、「どくどく」注ぐと大量であるイメージがあります。
皆さんも色々なオノマトペを考えてみて下さい。きっと新しい発見があるはずです。

「あ、雨がポツポツ降ってきた!」と言うとき、雨は今降り始めたばかりで、空から一滴ずつ落ちてくる感じです。
これからどのぐらい強い雨になるかはわかりませんが、今の状態はまだ弱い雨です。

「雨がザーザー降っている。」は、激しい雨の降り方を表し、部屋の中にいても雨の音が聞こえる感じがします。

「今日も朝から雨がしとしと降っている。」と言うと、雨の粒は小さく、音も静かですが、
ずっと続けて降っている感じがします。

単純に雨の強さだけを考えれば、
Cポツポツ  →  Aしとしと  →  Bザーザー
ですが、「しとしと」は、他の二つとは違う面を持っていると思います。

「しとしと」は単純に音や降り方の状態を表すだけでなく、静かに降り続ける雨が人の心に呼び起こす気持ちも一緒に表しているようです。
「しとしと降る雨」は、人の心を寂しく、もの悲しく、憂うつにする一方、気持ちを落ち着かせて、何かを深く考えさせたり、懐かしい昔を思い出させたりします。

雨がしとしと降る日、あなたは何を思い出しますか?
「しとしとぴっしゃんしとぴっしゃん」は? (子連れ狼?)
「ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷらんらんらん」は? 
「しとど濡れる」は?



としだれ桜2


 擬音語と擬態語


外国人の日本語学習者にとって、区別ができない難解な表現である。

日本語の語彙の中には、擬音語(ぎおんご:Onomatopeia)と、擬態語(ぎたいご: Mimesis)というものがある。
日本語は形容詞・動詞の数が多くない言語だが、この言葉によって日本語はもっと多くの表現ができるようになる。

 それぞれの定義

 擬音語:生物の声や無生物の出す音を表す語

例)
ピカチュウ の チュウ(ねずみの鳴き声)
ブーブー(ぶたの鳴き声)
ガタンゴトン(電車の音)
ザーザー(水が強く出る音;例 雨がザーザー降る)

 擬態語:動作・状態などを音で象徴的に表現する語

例)
ピカチュウ の ピカ(雷の光る様子)
ピカピカ(繰り返して光っている様子)
ピカッ(鋭く瞬間的に光る様子)
フラフラ(揺れている様子)
ブラブラ(空中で何かが揺れている様子)
ブランブラン(勢いよく空中で何かが揺れている様子)
しとしと(雨が弱く降る様子)


x s ミヤマナルコユリ


 擬態語 音と意味の関係

本来、語と意味との結びつきは恣意的だが、擬態語ではある程度法則がある。

母音
ア& オ: 大きいこと・荒いこと・動きが遅い様子
例)
ザーッと ドドッと のそのそ

イ:  小さいこと・動きが速い様子
例)
チラチラ ピッと イライラ

エ:  品がないこと
例)
テラテラ へこへこ 

子音
カ行:乾いていること・硬いこと
例)
カサカサ カチカチ キチっと

サ行:さわやかな様子・湿っていること
例)
サラサラ シトシト

タ行:硬いこと・とがっていること
例)
ツンツン チクチク


x s アマドコロ(甘野老)


ナ行:ねばっていること
例)
ネバネバ ヌルヌル のろのろ

ハ行:軽いこと・空気の動く様子
例)
ヒヤヒヤ ハラハラ ホッと フワフワ ヒラヒラ ほかほか ふっくら

パ行:瞬間的なこと・鋭いこと
例)
ピリっと プリプリ パタっと パクパク

マ行:やわらかいこと・速い変化
例)
モコモコ もったり メキメキ メラメラ

ヤ行:弱いこと・遅い様子
例)
ゆっくり よろよろ 

清音 vs 濁音
清音:小さい・速い・きれい・軽い
例)
ころころ きらり さらり はらはら とことこ つかつか

濁音:大きい・遅い・汚い・重い
例)
ごろごろ ぎらり ざらり ばらばら どかどか づかづか

語根(stem)の重なり
擬態語には2拍の語根を重ねるものが多い

同じ語根を重ねるもの(一番多い) 連続した動きを表す
例)
こそこそ きらきら ぴかぴか

似ている語根を重ねるもの
例)
かさこそ どぎまぎ こんもり

2つの異なる語根を重ねるもの
例)
すたこら そそくさ

語根に「っ」「ん」「り」がつく場合
「っ」小さい動きをし始める様子
「ん」弾み(bounce)のある動き
「り」一回だけの動き・断続的な(off and on)動き

例)
反転(rolling)をあらわす「コロ」



00 a おむすびころりん1


「コロッ」 転がりそうな様子
「コロン」 弾んで転がった様子
「コロリ」 一回、転がって止まった様子
「コロコロ」 連続して転がった様子
「コロンコロン」 弾みながら勢いよく転がる様子
「コロリコロリ」 断続的に転がる様子
「コロリンコ」 一回、転がって止まってしまった様子

 

 

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/ヒ/ と /シ/ を混同する 江戸っ子・関東人

雑学曼陀羅

zzz keiryu 鶏龍山俵壺 珍珠梅2




/ヒ/ と /シ/ を混同する江戸っ子・関東人



アナウンサーの発音訓練ができていないのか

被ヒ害者を死シ骸者と発音する。

布団を敷く(ひく)
人(しと)
七(ひち)
「お昼(おしる)」
『朝日新聞』(アサシシンブン)

実際には「ひ」をきちんと発音しようと思えば出来る単純な訓練で済むことだが、公衆の面前でやられると、興ざめして不自然で居心地が悪くなる。

もちろん、狭い島国の方言と捉えれば、目くじらを立てる必要などないことであるが。
東京在住の関東人・東北人が文化・教養人が代表で優秀であるかのような話題・番組になると、無教養・無感性が丸出しで、穏やかでなく鎌首をもたげてくる。

口を大きく開けてハッキリ発音ができない、寒冷地で雪深い食糧不足の関東以北・山陰の住人と、九州や南国の豊かで肥沃な生鮮食料品(魚介・野菜・作物)に恵まれた地域の住人の豊かな食生活・味覚・感性が上質に決まっている。と言いたくなるのだ。

/ヒ/ と /シ/ の混同は、元をたどれば、ずばり、ズーズー弁のなごりである。

奈良時代は関東全域でズーズーと(?)しゃべっていました。
口の開け具合が、寒さのため、ゆるゆるでしゃべることが多く、
「う」の発音も、上方ではしっかりとuの口をするのですが、
東ではw(←uを2つくっつけたような発音記号です)の口です。

標準語は上方式のuで発音するようになっていますが、
東京以外の関東では、まだまだwでしゃべっていることが多いでしょう。

「ひ」と「し」の違いも、
上方では[hi]声門摩擦音、東では[ci]硬口蓋歯茎摩擦音で、
異なっています。

奈良時代には、上方でハ行はファに近い発音でした。
現在の発音も、1000年2000年という単位で変わっているのです。
京と江戸の言葉の違いは、だいたい1000年ほど違っていると考えられます。
1000年前に京で生まれた言葉が、いまの江戸で使われているのです。
文化的に京から遠かった島根県の出雲では、
東日本と同じ「いる」「だ」「ずーずー」を話す、
山陰のズーズー弁とも言われます。

つまり、東日本の特色とも言えるしゃべり方は、
古い日本のしゃべり方なのです。
交通機関もなかった頃は、周りの人のしゃべる言葉を聞いて人は成長しますので、
方言色が強かったのでしょう。

遺伝と言うよりは、都から離れた僻地の風習、文化、癖だと思います。
上方の人は、口をはっきりと開けてしゃべりますけど、
東の人はあまり開けていないでしょ?



zzz keiryu 鶏龍山俵壺 珍珠梅1


/h/ の発音ができない、フランス人と江戸っ子

味覚能力も欠落している ??・・・共通点



退職後の外国語大学・教授時代、隣がフランス人女性講師の研究室だったので、日仏言語比較論でよく話をした。
ジュテーム(I love you)トレビアン! メルシーボークー ・・・発生音がズーズー弁によく似ている。
広島の白島電停をイロシマ(色島)のアクシマ(悪島)としか発音できない。が笑えなかった。

学生時代に、鼻音で甘く囁き、蕩けるような発声・音質の仏歌手・Twiggyの唄が流行った。日本語にはない発音で、日本語で歌わせたら、舌足らず(品のいいズーズー弁)の甘く切ないメロディーで、当時一世を風靡していた。
恋をするならフランス語、喧嘩するならドイツ語、商売するなら英語、と言われている所以である。

ところが、フランス・地中海沿岸(南国・沖縄も)の料理となるとそうはいかない。
長期間(何年・何か月・何日も熟成しコクが出た)手間暇かけて仕度する和食・日本料理と比べたら高級料理と言える代物ではない。

西洋・白人料理贔屓で味音痴の日本人は、フランス料理が世界一と洗脳されて、持て囃す。一方では、日本に和食の修業に来た料理人たちが、口をそろえて「結婚式のメイン料理に、和食を出さずに、なぜ洋食を出すのか? 理解に苦しむ。」
あんな時間もかけないインスタント食品に、味気ないソースと白トリュフを乗っけたものを正規の料理と呼ぶのは、和食ではモグリのエセ料理である。

香り・味覚・トッピング・栄養バランス・安価・・・で日本料理に勝るものはない。
今、世界中で、幕の内風コンビニ弁当が大流行しているのを観ればわかることだ。



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漢時代の先人の知恵 青銅器の造形と美

書画・骨董

zzz sedou 漢時代 青銅器 酒器 2点 唐物発掘品2 w20 h12cm





 漢時代の先人の知恵 

 青銅器の造形と美




zzz sedou 漢時代 青銅器 酒器 2点 唐物発掘品1 w20 h12cm



イシコロは、中国古代の青銅器の造形・緑青色・金文文字にこよなく惹かれる。

このフォルム・センス・感性は現代人も太刀打ちできない、と思っている。


zzz sedou 漢時代 青銅器 酒器 2点 唐物発掘品 w20 h12cm


ここに、アップした漢代青銅器だけ観ても、現代の容器・酒器の優雅な原型と言えるだろう。

ということは、人類の技術は紀元前からあまり進歩していないということだ。


zzz sedou 漢時代 青銅器 酒器 2点 唐物発掘品2-1 w20 h12cm



容器は、液体を蓄えておく単純な生活用具。

急須・水差し・酒器・手付きカップ・・・何不自由なく暮らしていた。

AI・IT・デジタル機器と鬼の首を取ったように騒々しいが、

溶接技術・アナクロさえうまくできないステラ社が

電気自動車を大量かつ迅速に生産できないなど、お笑いにもならない。

紀元前から、文明はあまり進化してないということだろう。



zzz sedou 漢時代 青銅器 酒器 2点 唐物発掘品5 w20 h12cm



 閑話休題


早朝、ジゲモンで、禁漁に入った今季最後の大村湾のナマコの幼形が出ていた。

大きいのは高価だけで身が堅く美味しくないが、5~7㎝は最高にウマイ。

モナリザの叔母に持参したら、古戦場跡の鷹ノ巣地区のお百姓さんが自家製の野菜や漬物を売りに来ていた。

高菜漬けと蕪の赤紫蘇酢ものをいただいて帰った。香りと味覚に舌がとろけた。


zzzz jiku 【石河有隣 燕子花蜻蛉図 絹本共箱】3 花鳥虫画尾張名古屋 196.6×27.8 本紙約116.8×26.4cm 2090



関東人は、雪国の東北出身が多いから、新鮮な魚介・野菜に恵まれていないのだろう。

ハタハタ・キンキのショッツル、きりたんぽ、あぶりがっこ、粗末で口に合わない。

高価な洛北・京野菜の漬物などと比べ、高地野菜はフンダンニあり、自家製の漬物にはかなわない。

スーパーや店頭に出るものは、化学調味料のため食べられたものではない。




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