書画・骨董

「秋冬山水図」

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雪舟「秋冬山水図」冬図




 「秋冬山水図」 雪舟論


再び、雪舟筆「秋冬山水図」の「冬景」に戻ろう。この画で特徴的なのは、何と言ってもあの懸崖の線であった。省略された崖の線ということならば、金地院蔵「秋景冬景山水図」の「冬景」がある。これは南宋画院系の典型的な対角線構図の作品であり、雪舟の特徴的な線とはかなりの乖離がある。
省略された線ということだけではなく、特徴的なのは、やはり垂直な線ということであろう。これまでにも多くの人がこの垂直線の独創性を語っているが、どこからが雪舟の独創といってよいのかを、ここでもう少しはっきりさせてみたい。

熊谷宣夫は「構図の垂直線的な処理は、雪舟に先行する詩画軸山水画に於いても屡々見出されるが、その場合はむしろ竪長な画面から来る制約に余儀なくされ、何ら絵画的必然さを伴わないものであった。と述べている。しかし、先にとりあげた詩画軸山水画、伝周文「三益斎図」には、その右奥に垂直に落下する滝を伴った主山が、濃淡の槽調の明瞭な、大きく力強い擦鍍でもって描かれている。この力強い垂直の筆跡は画の潔さを決定する大きな要因であり、このような潔さは、筆の扱いは変化しても、他の幾つかの伝周文の作品に同じように感じられるものである。このような画を支配する潔さは周文から雪舟に明らかに継承されているといってよい。さらに棚って14世紀前半、道釈人物画ではあるが、可翁筆「親子和尚図」(図13)の和尚の頭上に垂直に伸びる岩や蔦の線は、精神の昇華を感じさせる同様の潔さといえる。

ここで垂直線について更に潮り「那智瀧図」(図14)にまで目を向けてみたい。「那智瀧図」は13世紀末の垂迩画の名作であるが、縦長の画面中央の垂直に落下する滝は印象的である。これには宋代の山水画、例えば萢寛の「難山行旅図」に見られるような垂直の潔布のモティーフがかかわった可能性も指摘されるが麓)、飛滝権現の御神体である那智滝を垂直な一本の白い線として表した画面からは、荘厳ではあるが、苑寛にみられるような人を拒絶するような崇高さとは異なり、自然との親和性を感じさせる言わば「潔さ」と言うべきものを感じるのである。このような日本人の自然観に根差した垂直線の系譜を考えずにはいられない。

雪舟の垂直線もこの系譜に繋がるものである。懸崖の垂直線の潔さと、遠景の雪明かりの山を背後に控える楼閣の水平線による平穏な安定感によって、極めて清浄な世界が表されている。この清浄世界に浸り何の疑いも持たないのなら、確かにこれだけでもこの画は充分な満足を与えてくれる。しかし、ひとたびこの画に何らかの不思議さを感じたなら、この垂直線はその隠された世界の扉を次々に開いて見せてくれる「装置」となる。画中人物であるこの旅人になりきって、-歩ずつ歩を進めるにつれて、丁度「山水長巻」の横に連続していく空間を折り重ねたような、その空間の一つ一つを切り替え、刻々と目の前に開けてくれるのである。

私はあまりに「秋冬山水図」のうち「冬景」にこだわり過ぎたかもしれない。「秋冬山水図」は、元々は四季山水図であった。その四幅を-つの壁に揃えたり、次々に掛け替えて鑑賞したものであっただろう。現在残っているもう一幅「秋景」は「冬景」に比べ一見何の矛盾も無い穏やかな平遠の画のようにみえる。ところがこの「秋景」には、次に「冬景」をみるための仕掛けが隠されているのだ。「秋景」は「冬景」とよく似通った構図になっている。前景はやや込み合い、道はほとんど見せない。それでも視線は「冬景」の場合と同じように右下から左斜めの方向へ導かれ折り返して右上を目指す。ここで対岸に腰を下ろし対話する二人の高士をみつけることになる。この対岸は前後にかなりの距離があるはずなのに、まるですぐ側の対岸にいるかのように、全く同じ大きさで描かれた人物が二人向き合っているのである。不合理極まりないのだが、画面全体では全く不自然さは無い。

それよりも、この同じ大きさの画中人物を目にした瞬間に、すでに画面の中に入ってしまって、語り合う高士たちと一緒に穏やかな秋の景色を眺めている自分に気づかされるのである。「秋景」で、このような画中人物の不思議さを体験させた後に「冬景」に目を移させる。これが雪舟の目論みであったのだろう。このように見てくると、気になってくるのは失われた春景と夏景である。四季の画幅が揃っていたとしたら、雪舟は私たちにどのような視覚の体験をさせてくれたのだろう。

雪舟「秋冬山水図」秋図


先に述べたように、「渓山清遠図巻」にも体験的な視覚性はあった。しかしそれは山水を余すところなく掴みとるためであり、最終的には遠望する視覚性に収散されていった。中国の山水画は一貫して大鑑的で統一された世界像を求めていた。それに対して、雪舟に限らず日本の絵画は、刻々と変化する視覚性の、その変化そのものの不思議さ、そこに美を見いだす傾向が強いように思われる。雪舟が日本的であるとすれば、このような潔さと変化そのものを美とする感覚によるものであり、単純に「天橋立図」や「鎮田滝図」のような日本の景色を描いたからではない。逆に、日本の景色も中国の風景の枠組みに合わせて選択され、描かれたと考えられる。

雪舟は中国山水画のモティーフを組み合わせ、画を構成していった。その構造そのものが日本的であるといえるのだ。中国の教養の上に日本的なものを重ねていった、その意味では雪舟は表現手段の違いはあっても俳謂師芭蕉に近いのかもしれない。

芭蕉も雪舟も旅の人である。旅とは日常生活とは異なった環境において、自然や人間世界とさまざまにかかわり合いながら、時間的、空間的に連続して展開して行くものである。日本人にとっての旅は到着する目的地よりもその行程、まさに移動しつつある旅そのものが重要とされ訂)、愛された。このような日本に独特な旅を今道友信は「見の旅」と呼び、芭蕉を見の旅の人とし、次のように述べている。

・・・芭蕉の見の旅としての旅の美意識は、単なる物見遊山としての観光旅行の水準を遠く越え、その歩む相対の道が深く分け入れられるとき、超越可能な風雅、すなはち蕊術を介して、いつか絶対の道に合するのを待ち望む宗教の行に通ふものがあると言わざるをえない。「西行の和歌における、雪舟の絵における、利久が茶における、その貫通するものは-なり」と芭蕉自らが録してゐるのは、まさにそのことなのである。

さて、今、前節の最後に引いた芭蕉の文には、「その貫通するものは-たり」といふ結びがあるが、それは、もともと、孔子の「吾が道は-以て之を貫く」といふ語を踏んでゐるのではなからうか、また、老子の「常に道に非ずして道とすべき道」と言はれるまことの道であらうか、といふように、シナの古典を思はしめるが、富山奏の頭注によれば『古文真宝』の「文は貫道の器なり」をも承けてもゐる、といふ。シナ古典の影響といふことになれば、前節の冒頭に引いた『おくのほそ道』の「子もいづれの年よりか……」の文に先立つ書き出しの「月日は百代の過客にして……」の大文章は、註釈家たちの言を俟つまでもなく、 「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。而して浮生、夢のごとし。歓を為すこと幾何ぞ」 といふ李白の「春夜宴桃李園序」を踏むものである。このやうにみると、見の旅そのことはともかくとして、それを誘ひ出すことになる宇宙を旅とみなす世界観や風雅を貫く道は一つとみなす一元論などは、そもそも芭蕉の基本的考え方に属するものであるが、これら二つは、シナの詩文から芭蕉の学ぶところであった、としなければならない。

漢土の旅の詩を、しかし、我が国の風土で学ぼうとすれば、そこに彼我の対立は秘すべくもない。
しかも、学ばれる師の位置に立つのが唐風であるとするならば、いかに現実の風情とは言へ、日本を唐の型で見るのであれば、詩風は大きく唐風に呑まれてゆくのではないか。芭蕉は、句の中で哀憐の対象について、猿を捨て子に置き換へて、俳譜の優位を示したやうに、ここでも和漢の対立を俳句でものの見事に止揚して、俳讃の藝術的優位を証し立てる。・・・

このような旅を表すのに最も優れた絵画形式は絵巻であった。絵巻は日本人に好まれ、日本で特殊に発達した絵画形式である。絵巻は連続し刻々と変わっていく情景や事件そのものを楽しむ絵画であり、刻々と移り変わる景色や事物の変化は、まさに旅人の目を通して眺める世界そのものである。「山水長巻」は長さ15mを超える水墨四季山水画巻であり、「秋冬山水図」は各一幅の画でありながら、まるで画巻の構造をその中に抱え込んだかのような作品であった。これまで見てきたように、画中に入り込み刻々とその変化を愛でろということは多くの日本の絵画に共通する性質といってよいだろう。

しかし、画の中に入ったとき体験する不思議さがこれほどの作品は「秋冬山水図」の他には考えられない。それは、単に眺めるのではなく、折り重なった画の意味を頁をめくるように読み解いていく、そのような感覚である。「秋冬山水図」は雪舟の作品の中でも最もスリリソグな「読む絵画」と言ってよいであろう。

当時の一流の画師としては当然の力量とはいえ、雪舟は実に多彩な作品を残している。槽、行、草の多様な筆法の山水画をこなし、そればかりでなく四季花鳥図屏風の形式も作り上げている。現在は模本しか残っていないため、厳密な考察は難しいが、伝雪舟といわれている一群の四季花鳥図屏風をみると、「山水長巻」や「秋冬山水図」とは別の系譜、すなわち狩野派を代表とする桃山金碧障屏画の世界につながっていくしののようにみえる。

多彩な雪舟の仕事のうち、筆様の世界に於けるきわめて不思議な到達点がこの「秋冬山水図」であった。「秋冬山水図」は雪舟の前の時代にも後の時代にも存在できない、極めて微妙な位置でのみ可能な絵画であった。雲谷等顔の「山水長巻」の模写が雪舟のこの「読む絵画」を継承できなかったように、この後、安土桃山以降の絵画は、より「見る絵画」に向かっていくのである。

 雪舟筆「秋冬山水図」を読む  永津 禎三 琉球大学教育学部紀要(57) 2000-09



北宋 郭煕



 イシコロコメント

この論文は、よく観察されていて、興味深く読ませてもらった。
中国古典絵画に魅せられたイシコロには、雪舟の図は画格・峻法・墨色から評価して、デフォルメした稚拙な子供の漫画にしか観えない。中国山水画の本質;本当の奥深さ、深遠さを学ぶことなく帰国したとしか思えない。

海外に留学をした先達が、短期に学べるはずもなく、祖国に戻って留学先の良さを吹聴して、派遣された異国について何も知らない皆からちやほやされ、悦に入っている姿は、現在も変わらない。

日本の美しい伝統文化が、グローバル化の大義の下に白人優位の西洋文化に占領され、席巻され、やがて消滅していくのは観るに忍びない。




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~ Comment ~

NoTitle 

正しいと思われますか?


 雪舟の山水図(個人蔵)で気付いたことがあります。
 画面右の高いところにあるV字の谷の部分から、尖った山の先端が見えているのですが、このV字の谷と尖った山の先端の組み合わせの形が、この山水図には合計三ヶ所あります。
 大きい順に、1中央 2左側 3右側(最初に説明した部分)です。1と2は、一部を共有しています。
 よかったら探してみて下さい。下手なパズルより、きっと面白いですよ。

※「雪舟」で検索して頂くと、ウィキペディアの、四季山水図(山水長巻)の画像の下に、山水図(個人蔵)として画像があります。
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