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忘れえぬ光景

「夜と霧」 フランクル著(1)

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「夜と霧」ヴィクトール・フランクル著 霜山徳繭訳 みすず書房




「夜と霧」 ドイツ強制収容所の体験記録


ドストエフスキーはかつて「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」と言った。

もし人が、その収容所での行動やその苦悩や死が今問題になっている究極のかつ失われ難い人間の内的な自由を証明しているようなあの殉教者的な人間を知ったならば、このドストエフスキーの言葉がしばしば頭に浮かんでくるに違いない。彼等はまさに「その苦悩にふさわしく」あったということが言えるのであろう。

彼等は義しき苦悩の中には一つの業績、内的な業績が存するということの証を立てたのである。人が彼から最後の息を引きとるまで奪うことができなかった人間の精神の自由は、また彼が最後の息を引きとるまで彼の生活を有意義に形成する機会を彼に見出さしめたのである。

なぜならば創造的に価値を実現化することができる活動的生活や、また美の体験や芸術や自然の体験の中に充足される享受する生活が意義をもつばかりでなく、さらにまた創造的な価値や体験的な価値を実現化する機会がほとんどないような生活 --- たとえば強制収容所におけるがごとき --- でも意義をもっているのである。

すなわちなお倫理的に高い価値の行為の最後の可能性を許していたのである。それはつまり人間が全く外部
から強制された存在のこの制限に対して、いかなる態度をとるかという点において現われてくるのである。

創造的及び享受的生活は囚人にはとっくに閉ざされている。しかし創造的及び享受的生活ばかりが意味をもっているわけではなく、生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死もそうである。苦難と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである! 

一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命とそれが彼に課する苦悩とを自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれているのである

--- ある人間が勇気と誇りと他人への愛を持ち続けていたか、それとも極端に先鋭化した自己保持のための闘いにおいて彼の人間性を忘れ、収容所囚人の心理について既述したことを想起せしめるような羊群中の一匹に完全になってしまったか --- その苦悩に満ちた状態と困難な運命とが彼に示した倫理的価値可能性を人間が実現化したかあるいは失ったか --- そして彼が「苦悩にふさわしく」あったかあるいはそうでなかったか --- 。

かかる考察を現実から遠いとか世間離れしているとか考えてはいけない。確かにかかる道徳的な高さはごく僅かな人間にのみ可能であり、ごく僅かな人間だけが収容所で内的な自由について充分知っており、苦悩が可能にした価値の実現へと飛躍し得たのかもしれない。しかしそれがたった一人であったとしても --- 彼は人間がその外的な運命よりも内的に一層強くあり得るということの証人たち得るのである。

しかもかかる証明は多かったのである。そしてそれは強制収容所においてばかりではない。人間は至る処で運命に対決せしめられるのであり、単なる苦悩の状態から内的な業績をつくりだすかどうかという決断の前に置かれるのである。


それにも拘わらず、私と語った時、彼女は快活であった。「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」と言葉どおりに彼女は私に言った。 「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを追っていなかったからですの。」

その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。「あそこにある樹は一人ぽっちの私のただ一つのお友達ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。

外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつけた一本の緑の枝を見ることができた。「この樹とよくお話しますの。」と彼女は言った。

私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状態で幻覚を起こしているだろうか?不思議に思って私は彼女に訊いた。「樹はあ なたに何か返事をしましたか?・・しましたって!・・では何て樹は言ったのですか?」 彼女は答えた。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる・・私は・・ここに・・いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」
・・・本書 「苦悩の冠」より引用

ヴィクトール・フランクル著 池田香代子 新訳 みすず書房 より引用してみる。

たとえば、強制収容所で亡くなった若い女性のこんな物語を。これは、わたし自身が経験した物語だ。単純でごく短いのに、完成した詩のような趣きがあり、わたしは心をゆさぶられずにはいられない。この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴れやかだった。

「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」 彼女はこのとおりにわたしに言った。 「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」 その彼女が、最後の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。 

「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だちなんです」 彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。外ではマロニエの木が、いままさに花の盛りを迎えていた。板敷きの病床の高さにかがむと、病棟の小さな窓からは、花房をふたつつけた緑の枝が見えた。 

「あの木とよくおしゃべりをするんです」 わたしは当惑した。彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。譫妄状態で、ときどき幻覚におちいるのだろうか。それでわたしは、木もなにかいうんですか、とたずねた。そうだという。ではなんと? それにたいして、彼女はこう答えたのだ。 「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって・・・・」



池田香代子 新訳 あとがき より抜粋引用

若いころこの本に出会って深く感動し、影響を受けた者はおびただしい数にのぼるだろう。私もその一人だ。高校生のときに読んで震撼し、そこにうねる崇高とも言うべき思念の高潮に持ち上げられ、人間性の未聞の高みを垣間見た思いがした。

それを今なぜ改めて訳すのか。不審に思われる方もおられるだろう。私自身も、最初は荒唐無稽な話だと思った。遠く学恩に浴してきた霜山訳に、そのようなことは断じてできない、とも思った。けれど、今この本を若い人に読んでもらいたい、という編集者の熱意に心を動かされ、また霜山氏から思いがけない励ましをいただいて、僭越は百も承知で改訳をお引き受けした。

けれど、これは訳すべきだった、というのが、訳了した感想だ。なぜなら、霜山氏が準拠した1947年刊の旧版とこのたび訳出した1977年刊の新版では、かなりの異同があったからだ。細かいことから言うと、旧版には多出した「モラル」ということばが、新版からほとんどすべて削られている。

残ったのは二ヶ所だけだ。その真意は推し量るしかないが、ここで扱われるべきは精神医学であり、さらにはより根源的な人間性なのだ、とする筆者の考え方がそうさせたのではないか。時をおいて旧版を検証したとき、フランクルは、冷静な科学者と立場から書いたつもりが、その実、それらの箇所ではやや主情的な方向に筆がすべったと見たのではないか。

しかし、私は旧版は旧版として擁護したい。これが書かれたのは、収容所解放直後と言っていい時期だ。「モラル」と書きたくなるのも当然ではないか。モラルの荒廃を目の当たりにした無惨な経験に、ここまで冷静に向き合った筆者の精神力には胸を衝かれるものがある。

引用文献

「夜と霧」ヴィクトール・フランクル著 霜山徳繭訳 みすず書房
     ヴィクトール・フランクル著 池田香代子 新訳 みすず書房(2002年)


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