教育評論

無痛・無苦の文明志向

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a 氷河のアーチ崩落




 文明に無痛・無苦を求めた人類の誤算


人間の求める本来のよろこびについて、思いを巡らしてみると、進化する文明との関わりが結構大きい気がする。
人はなぜ物欲・支配欲・知識欲だけで本来のよろこびを感じて安らかな気持ちになれないのだろうか?
文明を享受するよろこびと心が充たされるよろこびが共存共生しないのだろうか?
ヒトのこころと文明の無機質について、社会病理学の一視点から考察してみた。



 「無痛文明とは」

・科学技術の発達等文明の進歩により、人生の中での苦しみや辛さから逃避して生きていくことが可能な社会。人間が生きて行く中で経験する様々な苦難を退け、目の前の快楽のみを享受しながら生きていくこの社会システムは、人間本来の生きる喜びや多くの人生経験を得ることができない。まさに「死につつ生きる」のである。完全に痛みのない社会になっているとまでは言わないが、現代のわが国が行き着く先はこの無痛文明社会ではないか。痛み、苦痛を消し去るところへ「進歩」しているのではないか。

・現代の社会病理の原因は無痛化にあるのではないか。無痛化が形にならない不安をもたらしている。かつては貧困が社会病理の原因であったが、今は豊かなことが社会病理の原因となっている。人生で必ず出会う苦しみやつらさから逃れていく、あるいは目をそむけていく仕組みが社会全体に張り巡らされている社会が無痛文明である。自分は苦しくない、つらくないといいくるめることができる社会である。

・文明の進歩とはそういうことではないか。病気にならない、なかなか死なないなど、あるところを越えていくと無痛文明となる。無痛文明では、いきいきとした生を生きることができない。無痛文明では、痛み苦しみから逃れると同時に、生きる喜びを失っているのが原風景である。

・このような社会に向かわせたのは、私たち一人一人である。共産主義やソ連といった仮想敵はなく、我々の内にある「欲望」がその原因である。欲望がわれわれを縛って、喜びを奪っている。この反作用が社会病理であり、痛みを再確認している。例えば、何の不自由のない主婦が人生の目的が分からなくなって落ち込み生きる意欲を失う事例が珍しくない。気持ちはよいが、喜びがない、閉塞状態にある。

・現代社会では物的な豊かさは充足されているが、精神的な充足がなかなか得られていない。目の前の快楽は簡単に手に入るが人間として真の意味での「よろこび」、「嬉しさ」を感じることができず、逆に「むなしさ」さえ覚えてくるのである。これも現代人が対峙する一種の社会病理現象である。

 「自己家畜化」

・人類が文明を起こした際、猪を豚にするなど、野生動物を家畜化した。これと同じように現代社会においては人間みずからが家畜となりつつある。家畜化の特徴としては次の3点が挙げられる。

(1)人工的な環境で生活する(檻、柵)
(2)繁殖を管理される(人工授精等の生殖技術、養殖)
(3)死をコントロールされる(屠殺等)。

現代における人間社会でも人工的な都市、家に住み、人工授精、安楽死、尊厳死等が行なわれている事実をみると、猪が豚になったように、類人猿が人になったように、人間社会も「家畜化」している傾向が見られる。自己家畜化の果てが無痛化になる。


 「予防的無痛化」

・今日、これから襲うであろう痛みを根っこから解決してしまう、つまり予防的に無痛化を図る現象が見られる。妊娠中の羊水検査がその一例である。生まれ出る子に障害があるかどうかを調べ、障害のある確率が高いと、中絶してしまう。これは、障害のある子どもを育てる苦労を事前に回避する行動である。つまり苦難や辛さを早い段階で切り捨てる予防行為である。出産に限らず、近年はこのような予防的無痛化を促進するテクノロジーが多く開発され、社会で認知され、広まっている。

同じ例として河川管理が挙げられる。洪水防止のため川底や河川敷をコンクリートで敷き詰め、堤防を高くし、洪水を発生させないために人工的にあらゆる加工を加える。更にはその人工的な管理の跡を巧妙に隠し、予防的無痛化をわからなくしている。このような環境にいると目に見えない人工的コントロールに巻き込まれているという気持ち悪さが付きまとい、常に誰かがコントロールしているのではないかと常に疑心を抱くようになる。


a 氷河のアーチ崩落1


 「社会病理の根源」

このように予防的無痛化が現れる一方で、「痛み」に向き合い、「痛み」から多くのことを学んだという事例も多々ある。障害児が生まれ、目の前が真っ暗になり、初めての挫折を味わい、絶望したのち、手間をかけながらも子を育て、新しいものの見方をするようになり、道端の花など今まで気づかなかったものが見えるようになり、苦悩、痛み、障害と格闘し、自分自身が変わり、気づかないことに気づき、違った世界が見えてきた結果、昔に戻りたいとは思えないということがある。これはすごいことである。今までの人生では味わえなかった人間の生に対する喜びを感じ、むしろこの人生が良いと感じるようになった。自己肯定できたといえ、自分が変えさせられたといえる。

目の前の快楽を味わうことは、すぐに飽きがきて、次々と快楽を追い求めることになる。
喜びとは、人間が本当は味わいたいとは思っていない苦しさや辛さを経験する中で、自分が大きく変化し、新しい自分を発見し、「これでよかったんだ」「こんな新しい自分を発見できてよかった」と、これまでよりも、社会が輝いて見えることである。

・自分の人生を自己肯定して生きていくためには、自分が大きく変えられてもふつふつと喜びを感じること、紆余曲折あってもよかったと思えることが大切である。

・目の前の快楽を求め続けるのではなく人生における「痛み」や「苦しみ」に向き合い悩み、考え、行動する。そしてこの過程において人間の生に対する喜びを感じるようになることこそ本来あるべき人間の姿なのである。今日のわが国においてこれができないことが現代社会病理の大きな根源になっているのであろう。

・統合失調症・猟奇・倒錯的行動などの自傷行為の原因は、痛みが失われていく社会へ対抗するため、痛みを自分で与えていることにある。痛みを感じることで生きている実感を取り戻そうとしている。

・佐世保事件は死の確認かもしれない。訳の分からない自傷行為と軌を一にしているのではないか。

・無痛化の解決には、単純な処方箋はない。無痛化は、文明が立ち上がって以来、ずっと進んできた道であり、解決は難しいのではないか。


・無痛化は先進諸国共通して同時並行的に進行している現象にみえる。多少国によってニュアンスや形態が違ってくるが。

・無痛化の傾向は文明が立ち上がったときから始まっている。ローマ帝国の貴族の酒池肉林のような社会病理が、現代は貴族のみならず大衆化されてきており、特に、中流以上の人たちに多くみられる。かつては子どもの非行は家庭の貧しさに原因のあることが多かったが、今は無痛化された家庭に多く、ごく普通の家庭の子どもにもリストカットや摂食障害等がみられる。

・無痛化は悲観論であるが、何か対策を講じなくてはいけない。一人一人が無痛化された自分を少しずつ変えていくしかない。楽観論で、解決を文明に委ねることは危険である。

・自傷行為は、自らのあがきとして自らに苦しみを与えるものなので、出口はないのではないか。

・人を傷つけることを再確認する小説、映画がはやっているが、これによってリアリティーを求めているのではないか。

・命の大切さを教えるのに、学校教育では意味がないのではないか。教室で教材を用いて教えるのに命の大切さはむいていない。人と人との痛みを伴う関係のなかで学んでいくものである。




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~ Comment ~

文明化の果てに 

快適さを求めた果てに、何も感じることができない社会が
到来しています。
先生の文章を読めば読むほど絶望的な気分になってきますが、
肩の力を抜いて、気負うことなく生きていこうと思います。

やっと、先生のブログをゆっくり読むゆとりができました。
大賢大愚の気持ちで、仕事に当たって行きたいです。

これからもご指導・ご鞭撻をお願いします。

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