時事評論
貧困と貧乏の違い

「貧困」と「貧乏」の違いは何か
拙著『最貧困女子』(幻冬舎)で、僕は極度の貧困状態に陥ってセックスワークの中でも最底辺の売春で糊口をしのぐ女性たちのルポをまとめ、いくつかの提言をした。
まず貧困と貧乏は違うということ。これは多くの貧困の支援者が言うことだが、貧乏とは単に貧しい状態を意味するが、カネがなくても周囲に助け合う仲間や家族がいたりすればそのQOL(生活の質)は高く、決して「困」ではない。対する貧困とは、貧しいうえに苦しみを抱えた人たちで、その貧しさから抜け出せずにずっともがいているような状況を言う。
「貧困」に陥る3つの無縁と3つの障害
加えて貧乏から貧困に落ち、そこに固定してしまう人(主に取材対象は女性だったが)にはいくつかの共通点があることを指摘した。その共通点とは、3つの無縁と3つの障害だ。3つの障害とは「知的障害、発達障害、精神障害」、しかも明確に症名が診断されるものではなく、むしろ見過ごされがちな「ボーダーライン上の障害」を抱えていること。
一方で3つの無縁とは「家族との無縁、地域との無縁、制度との無援」。つまり、頼れる家族も力になってくれる友人もいなくて、そもそも面倒な申請を伴う公的扶助などに自力でたどり着き獲得する能力を失っている。3つの障害があれば3つの無縁にもつながり、こうした条件がいくつも重なって、人は貧乏ではなく貧困に陥るのだと、経験則的な結論を出した。
だがここで問題なのは、このような状態で働けなくなった人たちは、一目見て働けないように見える人だろうかということだ。
答えは、否である。少なくとも僕が取材した貧困女性に、見てわかる身体障害を抱えた人はいなかったし、重病を診断されて闘病中という人もいなかった。おそらく一目でわかるのは、「この人ぐらい面倒くさい性格だと、どんな職場にもなじまないだろうな」という直感ぐらいだ。
だが取材を続けるほどに痛感するのは、彼ら彼女らは、見た目ではわからない大きな傷や痛みを抱えた人たちだったということだ。見た目には五体満足でも、働けないほどに大きな心の痛みを抱えていて、ずっとずっとその痛みから逃れられずに苦しみ続けている人たちなのだということだった。
つまるところ、導き出されるのは、このすさまじい貧困者への差別や生活保護バッシングの根底にあるのは、そもそも見えづらい痛み、見えない痛みを抱えた人たちの存在と、目には見えない痛みを「ないもの」にしてしまう人々との対立なのではないかということだ。
なぜ人はアルコール中毒になるのか
ここでようやくK君の祖父の話を持ち出したところに帰結できる。そもそもアルコール依存症は治療の必要な脳の病気だが、その前段としてK君の祖父がどうしてそこまでアルコールに逃げてしまったのか。連れ合いの死か、そのほかにK君も知らない苦しみがあったのか。よくよく考えてみれば、たとえば薬物中毒者にも当てはまる。
なぜ人はアルコールや薬物の中毒になるのか、弱いからだという人もいる。快楽主義者という人もいる。だがたとえばこんなシーンを想定してほしい。
戦場で兵士が爆発に巻き込まれて足をもがれて、凄絶な痛みにもがき苦しんでいる。前線は移動し、周りには味方も敵もいない。ただただ、痛みに苦しみ、死を待つばかりのとき、その兵士は何を思うだろう。いっそ殺してほしい。いっそ死んで楽になりたい。
そんなときに目の前に、その後に死ぬほど苦しむのがわかっていても、一時的にその苦しみを緩和してくれる何かが与えられたとき、その兵士は手を出すだろうか出さないだろうか。この差し出されたものが、アルコールであり薬物だ。
だからこそ、アルコールや薬物の依存者には、過去に壮絶な心の苦しみを抱えていた人が多い。そしてその苦しみは、他者から見てわかりやすいものではないのだ。
人間には、血が出ているとか身体のどこかが欠損しているといった見てわかる苦しみとは別に、見えない苦しみがたくさんある。そしてそれが及ぼす痛みは、直接的な外傷の痛みよりも大きく長引くものなのかもしれない。まして他者が見てわからないという理由でそのケガの治療をしてもらえないとしたら、その痛みはより残酷なものとなるだろう。
K君の祖父がアル中になった背景に、どんな見えない苦しみと痛みがあったのかはわからない。だが祖父がその後も立ち上がれなかったのなら、それは受けた生活保護制度の中に、その痛みを発見しケアし緩和し、抜け出させてくれるようなアプローチがなかったからではないのか?
貧困とは、生活保護制度とは何か
働けないのか働かないのか? 生活保護の「旅する人類論」ほどにはすんなり飲み込めなかったようだが、そんな話を最後まで聞いてくれて、仲間内では友達思いで有名なK君は、こう言った。 「今さらっすか? そういう話は、あのジジイが死ぬ前に聞きたかった」
K君ごめん。できれば君は裏稼業からは足を洗って、たまにはメールじゃなくて直接、お母ちゃんのところに会いに行ってみてほしい。
前回記事(若い貧困者が「生活保護はズルい」と思うワケ)で、ずいぶんと誘導的な書き方をしたことを謝罪したい。 僕自身、ウェブ記事の連載というものは初めてだが、紙媒体との差は何といっても読者との相互性だと思う。東洋経済オンラインの記事に寄せられたコメントの中で差別的で脊髄反射的な「ナマポ」(生活保護受給者)の声が重なるのを見て、こんなにも……と落ち込んだが、そもそも貧困とは、そもそも生活保護制度とは何か、人の痛みとは目で見てわかるものだけなのか、批判的な読者も肯定的な読者も、あらめてその意味を考えてほしい。ちなみに僕自身は、「現状の」生活保護制度については否定者である。
(東洋経済オンライン 鈴木大介)
スポンサーサイト
~ Comment ~