やきもの

琉球南蛮甕

 ←盛夏の茶花 →イキな男 ①
s-DSCN9948 (1)




 琉球南蛮甕


zt 琉球南蛮甕1



 苦い想い出

骨董・古民具に関心を持ちはじめた駆け出しの頃は、兎に角、振りのよい大甕・大壺に眼が集中した。備前焼の千石甕を欲しくなったこともある。

ある日、馴染みの骨董屋で物色していたとき、素性のわからない(盗品なども含まれる)流れ業者が、骨董品をトラックに満載して立ち寄った。

主人と一緒に外に出て見学していたら、びっくりするほど骨董品が安い。
はじめての経験で嬉しくなり、直接値下げ交渉して、この琉球南蛮甕を衝動買いした。
結局、主人は何も買わなかった。私が傍に居なかったらおそらく欲しいものが沢山あっただろう。


s-DSCN9947.jpg
ふたつの大壺たちに挟まれた備前焼の花入れは、岡山県無形文化財指定の故・石井不老(与佐吉)の作品である。
残念ながら、焼締めの発色や焼成温度は、南蛮焼締の方が美しい。
値段は雲泥の差があるが、だれの作かで重宝されるだけで、時代・出自には関係なく賞玩に値する。



トラックが去り、店内に戻ったとき、主人が立腹して言った。
「店に売りに来たものを、常連が直接買うのは御法度です。そうでなければ、骨董屋は成り立ちません。」
ガレージセールの客気分で、しばらく主人の憤慨が飲みこめなかった。

なるほど、その時、骨董業者たちの裏の世界や内幕を垣間見た。
本意ではなかったが(内心ワクワクだったので)、軽率を詫びて店の品を購入した。
流れ業者にしてみれば、相手が誰であれ、早く捌ければそれでいいのである。

苦い想い出とは別に、この美しい焼締の琉球南蛮甕は、現在は稀少・高価で入手できない。



zt 琉球南蛮甕



 荒焼き 南蛮焼締め


琉球の大貿易時代の後半、シャム、安南あたりから陶器製作の技術がもたらされた。
伝世されている古い陶器は主として南蛮ガメ等であることから泡盛の製法と共に南方より伝来したと考えられている。
これ以降 琉球陶器の時代に入っていくが、これについても「球陽」に貴重な記録が見られる。
尚永王(在位1573年~1589年)の頃の付記に、萬暦年間(尚永王在位年間と解して良い)

「汪永沢小橋川親雲上考紹を瓦奉行職に任じ、陶瓦と焼甕等を総管させた」とある。
屋根瓦と今日私たちが言う荒焼きが生産されていた。
この記録に見られるように、奉行職を置くほどであったから、この時代以前の久しい前から既に数箇所に窯が築かれていたと解釈できる。
はっきりした記録は残されていないが、そのころ築かれた窯が今日知られている 山田、喜名、知花、古我知等の古窯だと考えられている。
これらの窯で焼かれたものは、窯跡から出る陶片や伝世品からほとんどが荒焼きの甕類である。
史書を裏付けるものと言えるだろう。

甕の形態は明らかにシャム 安南の南蛮甕を模して作られている。
山田焼の発祥の地の山田城主である護佐丸が読谷村の座喜味城に移った時分に移築したと考えられる喜名焼きはシャムの宋胡録の写しを焼いている。
それと同時に琉球泡盛の源流であるシャムの酒ラオロン酒を入れた、ソコタイの
酒甕も写され、これが現在の壷屋焼きまで引き継がれている。

甕は広い用途を持ち酒類の貯蔵はもちろんのこと穀類やその種の貯蔵、味噌、塩、油類、その他塩漬け豚肉、漬物類の容器として幅広く重宝されていた。




スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 愛娘 Erika
もくじ  3kaku_s_L.png やきもの
もくじ  3kaku_s_L.png 余白の人生
もくじ  3kaku_s_L.png 忘れえぬ光景
もくじ  3kaku_s_L.png 文学・芸術
もくじ  3kaku_s_L.png 雑学曼陀羅
もくじ  3kaku_s_L.png 時事評論
もくじ  3kaku_s_L.png 教育評論
もくじ  3kaku_s_L.png 書画・骨董
         
盛夏の茶花 ←盛夏の茶花    →イキな男 ① イキな男 ①

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【盛夏の茶花】へ
  • 【イキな男 ①】へ