忘れえぬ光景

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 クールヘッド&ダンディ 白洲次郎


 白洲次郎はダンディきわまりない「風の男」だった。
 けれども癇癪持ちで、頑固で、訥弁だった。

 白洲次郎は「有事の人」だった。けれども平時は、
 カントリー・ジェントルマンをまっとうできた。
 白洲次郎は「憂国の人」だった。

 日本がプリンシプルをもたないかぎり、
 いつまでも敗戦と戦後を終えられないと見ていた。

 白洲正子がこんなことを言っていた。
 「白洲はね、許せないことは許さないのよね」


 白洲次郎は昭和の変転とともにずっと謎の中にいる。いや、面影のまにまにいると言ったほうがいい。その面影は日本人にとってとても懐しく、とても大切な面影である。

 しかし白洲次郎という人物の実像はずいぶん長いあいだ、はっきりしなかった。今日出海は「育ちのいい野蛮人」とか「野人」とか呼び、青柳恵介は「風の男」と名付けた。

 白洲と悪口を叩きあった小林秀雄はまったく別の見方で、「あんなに単純で、大ざっぱなくせに、ひどく繊細な神経の持ち主」と評した。
 それでもみんなが白洲に憧れた。白洲行きつけの祇園「松八重」の辻村年江女将は「誰もが一目惚れどしたなあ」と述懐した。ディオールにいた山本千代子は「せっかちで口は悪いけれど、気が優しくて照れ屋だった」と言う。

 背がやたらに高く、いつでもとんでもなく洒落た恰好をしていた白洲である。洋服はロンドンのサヴィル・ロウの「ヘンリープール」の仕立て、ツィードはしばらく軒に吊るして世間並の使い皺が生じてからじゃなきゃ腕を通さない。ワイシャツはターンブル&アッサーのオーダーメイドだけ、傘はブリッグの絹の傘だった。

 サンフランシスコ講和条約の調印に吉田茂と赴いたときは、機内ではジーンズを穿いていた。一説には「最初にジーンズを穿いた日本人」とも言われる。明治35年生まれだから、ひょっとするとそうなのかもしれない。

 たしかに白洲次郎の実像は長らく毀誉褒貶に包まれていた。単刀直入で傍若無人きわまりないと言われる一方で、あんなに気が利く男はいないという評判がある。稀代のダンディで聞きしにまさる洒落男だが、あまりにも金に糸目をつけなさすぎると噂もされた。

 一方では「GHQが最も恐れた男」であり、他方では「吉田茂の腰巾着」「政界を陰で操るラスプーチン」なのだ。

 白洲正子が青柳恵介にむりに頼んで書かせた『風の男 白洲次郎』(新潮社 1997)を読むまでは、ほとんどその全貌(実像も虚像も)がつかめなかった。

 そのあと『白洲次郎:こんなカッコいい男がいた!』(平凡社 1999)がお目見えし、それから2年ほどたって、やっと白洲自身の文章が一冊になった。それが『プリンシプルのない日本』(メディア総合研究所 2001)だった。新潮文庫に入ったのはその5年後。文章はお世辞にもうまいとは言えないが、なにもかもに「真っ向う」であることが一行ずつからびしびし伝わってきた。

 なるほど、これでは毀誉褒貶が囂(かまびす)しいのも頷ける。いたるところで奔放であり、頑固であって、どんな相手にも歯に衣を着せない。傍若無人と受けとられてきたのも、よくわかった。
 けれども金目にモノを言わせていたのではなく、金目に近寄る連中を斬りまくり、自身は金目なものをみごとに手離れさせていたことは、歴然としていた。

 つまりは好き嫌いが画然としていたのだ。人やモノについて、画然と好き嫌いを言えるだけのコストを払ってきたのだ。だからインチキな連中は一発で見破られてしまうのだ。そして、「バカヤロウ!」と怒鳴られるのだ。日本人であればこんなことはできない。

 白洲は、一貫して政治家や役人を信用していなかった。とくに外遊する政治家や外務省の役人たちの相手国への慇懃無礼が嫌いだった。つまりは、おしなべて権威をカサに着る連中が大嫌いだったのだ。これでは白洲の陰口を叩く連中がいくらいたって、おかしくはない。


 よくよくわかったことは、白洲次郎はかなりの“憂国の士”であったということだ。とくに日本が戦争に突入したことの無謀、この戦争は負けるに決まっているだろうこと、敗戦したからといってアメリカに諂(へつら)うことも奴隷になることもこれっぽっちもなくていいことなどについては、何度も口を酸っぱくして書いている。

 けれどもどこか生まれついての大言壮語癖があるようで、いったいその正体は、わからないことも少なくない。そこを初めて証したのは、やっぱり白洲正子の『遊鬼』(新潮社)の巻末に収録された「白洲次郎のこと」と、『白洲正子自伝』(新潮社)だった。

 白洲は頑固で直情一徹の士(さむらい)で、いい意味での英国式スノビズムを身につけていました。日本語のしゃべりが訥弁だったのは、せっかち、癇癪持ちとつながっているのだと思います。気ばかり先に走って言葉が出ないんです。でも、血の気が多いのはまとめていえば白洲家の伝統だったのでしょう。

 たしかに白洲に対する誹謗中傷はひどいものでした。「内閣の茶坊主」「太鼓持ち」「獅子身中の虫」などなど好き放題に叩かれました。親族親類知人は肩身の狭い思いをしたものですが、白洲は白洲で悪く言われれば言われるほど奮起していたようです。世間の風聞なんて水泡(みなわ)のようなものだと思っていたのでしょう。ただ、途中からは極端な歴史不信にもなっていましたね。


 ざっとこんなことを書いているのだが、なかで中曽根康弘が「ディシプリンの権化のような人」と言ったことについては、そうではなくて「プリンシプルに忠実であったと私は言いたい」と書いている。
 もうひとつ、うん、これだろうなと思えたのは、「白洲は平時の人じゃない」と言っていることだった。そうなのだ、白洲次郎は「有事の人」だった。

 白洲次郎は弱冠17歳のとき、単身イギリスに渡った。親から放り出されたに近い。それまでは芦屋に生まれ育って、神戸一中にいた。

 1919年にケンブリッジ大学クレアカレッジの史学部に入り、ヨーロッパ近世史を叩き込まれるとともに、白い背広の着こなしとべらんめえのキングスイングリッシュと嵐のようなベントレーやブガッティを乗り回すことを身につけた。クレアはチョーサーが住んでいた街だ。

 オヤジは綿花で大儲けした金持ちだった。たんなる成金オヤジとは思えない。白洲文平(ふみひら)という男で、明治初期にさっさとアメリカに渡ってハーバード大学に留学し、その後にドイツを遊学したうえで、帰ってくると三井銀行と鐘紡にちょっとだけ勤めたあとは、綿花貿易で大儲けした。

 そうとうのキャッシュが唸っていたようだ。白洲商店の大きな番傘に墨痕黒々と「二十世紀の商人 白洲文平」と書かせたような、そんなオヤジなのである。こういうオヤジの次男に生まれたのが白洲次郎なのだから、この父にして、この子あり、だ。

 ただ息子には甘かった。ケンブリッジの息子に、今の換算でいえばざっと年間4000万円を仕送りしていたらしい。法外だ。息子は息子でこの大金を惜し気もなくベントレーやブガッティに投じて、自身もル・マンなどのカーレースに駆って出た。こういうとき、いつも白洲のそばにいて、静かに英国式ダンディズムを提供し続けたのが、のちのストラッフォード伯爵の学友ロビン・ビングだった。二人は車でジブラルタルまで行っている。

 そのオイリーボーイぶりは死ぬまで“車ディレッタント”として続いた。なにしろ70歳を超えて、なおポルシェをびゅんびゅん乗り回していた男なのである。

 そんななかで出会ったのが樺山正子なのである。樺山愛輔の娘、18歳。樺山家は元伯爵家で、薩摩の出身である。室蘭に日本製鋼所をおこした。

 その樺山正子の兄の丑二が次郎と昵懇になり、すぐさま妹を次郎の嫁に薦めたようだ。正子にも「おい、白洲次郎の嫁になれ、いい男だぞ」とさかんに暗示をかけた。
 二人は見合いをし、すぐにデートを重ねた。正子は書いている、「そこへ忽然と現れたのが白洲次郎である。ひと目惚れというヤツで、25歳まで遊ぶことも、勉強も、目の前から吹っ飛んでしまった」と。そりゃ、そうだろう。少しでも誇りのある女ならこの男に惚れないわけがない。ともかくもこうして、かの韋駄天お正こと“白洲正子”が誕生したのだった。

 もっとも、こうも書いている。「18歳のひと目惚れなのだから、当てにならぬことおびただしい。恋は盲目というけれど、とかく若い娘は好きな男を理想化して見るので、結婚してからこんなつもりではなかったとがっかりするものである。私の場合も例外ではなかったが、惚れた弱みで何でも許すことができた。そういう時期が長かったように思う」。

 当の白洲のほうはどうかというと、歳をとるにつれて正子夫人の大きさや深さに気がついていったようだが、最初のうちは周囲にこんなことを自慢げにほざいていた。「おい、夫婦円満の秘訣は何かわかるか」。みんながキョトンとしていると、「それはな、一緒に住まないことだよ。わっはっはは」。

 昭和15年には南多摩の鶴川村に古い農家を購入して、二人で移り住んだ。日本水産には辞表を出した。疎開ではあるが、どうもそれ以上の意味をもっている。

 ライフスタイルが腰を下ろしたのだ。この農家は、その後に少しずつ改修され、のちに白洲正子の数寄な暮らしの住処として有名になった「武相荘」(ぶあいそう)である。「無愛想」をもじったものだ。

 白洲はこの農家で日々平然と農業に打ち込んだ。まさにカントリー・ジェトルマンに徹したのだ。カントリー・ジェトルマンは田舎紳士のことではない。田園にいて中央を見抜く日々をおくれる者のライフスタイルのことをいう。


 
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