忘れえぬ光景

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船箪笥




 白洲正子の民芸批判


「戦前,数寄屋橋前の近くに『こうげい』という店があった。民芸運動が華やかであった頃,『たくみ』と相前後してできた店で,『たくみ』よりやや程度の高い浜田庄司や河井寛次郎の作品を手がけており,あまり値段のはらない李朝の陶器とか,車箪笥や船箪笥など,骨董のたぐいも並んでいた」

『白洲正子自伝』(1994)には,彼女が「こうげい」とのいきさつがあっさりと書かれれている。もともと民芸作家の作品を取り扱う店を,彼女は元の経営者から譲り受けたのであった。川村二郎は『いまなぜ白洲正子なのか』において,白洲が「こうげい」を経営することになった理由は,一流の職人技術と工芸作家の創意を結びつけることをもくろんだからであるとみている(川村)。また馬場啓一は,白洲自身,そもそも戦前から「こうげい」で民芸品を何点も買い求め,自宅で使用していたことからすると,民芸そのものに評価を与えていなかったはずはないと考察している(馬場)。

馬場のいう通り,白洲正子は最初傾倒していた民芸に対し批判を加えていくようになる。
「そこには,柳たちが始めた民芸の根本精神を,後の時代に受け継いだ人々が忘れてしまったことへの大きな幻滅があった。受け継いだ人々ばかりでなく,創立メンバーの主だった人間の中にも,その初心を忘れてしまったような連中がいて,彼女を失望」させた(馬場2007)。

だが,そこには柳宗悦その人への拭いきれない幻滅があり,その幻滅の大きさこそが本物を見抜く,白洲正子という目利きを作りあげたのではないかと思われる。

1955年に公刊された『私の芸術家探訪記』に収録されている「浜田庄司と民芸」は,陶芸家の浜田庄司が住む益子まで訪ね歩くエッセイなのであるが,冒頭から堂々たる柳宗悦への民芸批判が展開されている。自らの美意識に従って,歯に衣を着せぬ主張をするのが白洲正子の独特の持ち味であり,そこには常に辛口でありならがらも論じる対象への愛情が溢れているものがほとんどである。しかし,このエッセイにおける柳批判は辛辣さのみが際だっている。
まず白洲正子は柳自身の「美」への視点が甘いことを強く指摘している。

「たとえばここに井戸の茶碗がというものがある。そのことについては柳さんも度々書いていられますが,これは昔朝鮮の農民が使っていた飯茶碗で,たくさんのがらくた茶碗の中から最初に発見したのは利休であります。だからといって朝鮮の農民芸術全体がいいとは限らない,いいのは利休の眼であって,極端なことをいえば,井戸の茶碗は朝鮮とも農民とも何の関係もないとすらいえる。相手は,自然の植物のようにただあるがままにある,発見するのはいつも「人間」です。個性であり,自我であり,意識である。
・・・・・・柳氏の論法によれば,天下一品の茶碗は農民の中から生まれた,故に民芸以上の芸術はないということになり,それを取り上げた昔の茶人は,「器物で美の標準を人に贈った。茶道は此の贈物を弘めることに誠実な役割を勤めた。人々は美しさという神秘なものを計算する簡単な物差を受けたのである」と。ここに柳さんの美に対する態度がはっきりと読める。「ものを観る」とは,人から貰った物差で計る,ということだったらしい。まことに簡単で間違いのない方法であります。」

利休など茶道を伝えてきた先人達は,ただ目の前に柳のいう健康的な器物があったから,後世に伝えられる美学や美意識が茶道という形式を通じて「簡単に」獲得できたのではないと,白洲は強く主張した。彼女にとって「ものを観る」ということ,さらにはそこから美意識を作りあげていくということは,単に他人から与えられるような「物差」では獲得できるはずのないものだったからである。「用の美」が備わった民衆の使用する器物でありさえすれば,美しいのか――,そう彼女は問いかけている。


車箪笥


白洲正子は,柳宗悦の無関心さにも論及する。利休のような過去の先人たちが「想像もつかない努力と苦しみ」を感じながら培ってきた美に対して,柳が無関心であり,くわえて「過去の人々がすべて言いつくしたことを,もう一度自分の言葉で表現したいという,近代人の切なさ」に対しても,同じように一向同情を示さないと説いた。

そして,さらに彼女は続ける。

「芸術家が反抗するのは,外にある「現実」ではない,自分自身という「現実」相手に闘うのです。これは今始まったことではなく,ほんとうの芸術家が皆やって来たことですが,不幸なことに現代は昔のようなゆうゆうたる時代ではない。前には機械文明の進歩をひかえ,後には華々しい過去の文化を担っている。二つの力にはさまれて,たまたま狂気にはしるのも無理はない。この不幸を自分の不幸と感じられない所に,白樺派につながる氏の楽天性と,牧歌的な健康と,(農民に愛情を持つかたわら近代人の悩みに対しては平気でいられる)偏狭な貴族趣味が見られると思うのですが,民芸の仕事が社会化したために,つまり宣伝のために,そういう態度をとらざるを得なかったのかも知れません。

戦後の機械文明の進歩が確実となった時代と,過去の華々しい文化が損なわれていく時代の狭間で,過去を掬い上げ,民芸運動を展開するために,仕方なく農民と彼らが使用してきた器具や器物だけに配慮するのかと,白洲は柳に疑問を投げかけた。そして,次のように,民芸運動が失敗に終わっているのではないかと断言をする。

「・・・・・・動機は疑いもなく社会へ対する正義感という,強い信念と誠実な意図のもとに始まった民芸運動も,今や完全に目的をはたし,流行を極めるとともに必然的に下降の道を辿り,先にいったような安易な夢をむさぼりはじめました。それは「物」が証明しています。多くの民芸には,昔のような真面目さもなく,無邪気さもなく,都会の,――というより外国の人々に媚びを呈する表情が現れ,感傷的で恒久性のない商品と化しつつある。形を失った思想ほど空しいものはなく,故郷を失った民芸ほど抽象的な存在はない。民衆を導くつもりが反対の効果を及ぼした,この事実に対して柳さんは,ただ困る以上の何ものもお感じにならないのか」

民芸運動の下降は「物」が証明している――。探訪した浜田庄司の作品に対しても,かつての輝きはなくなり,「一般民芸に共通する,ある物足りなさ」を感じていると,白洲正子ははっきりと述べている。もはや柳宗悦が発見した「自然発生的な陶器」は過去のものになってしまったのならば,現代の民芸作家に残された仕事は「伝統の重荷」を背負いながら,「無技巧とみえるまで技巧」をつくすより他にないのではないかと,彼女は指摘している。利休が「多くの罪と汚れと争いに満ちた社会,――豪華と奢侈の限りをつくした桃山城内にあって,一人井戸の茶碗を見つめていた」ように,自己と向き合ってものを作るべきなのではないかと説き,白洲正子はこのエッセイを終えている。

 成蹊大学経済学部論集 第42巻第2号(2011年12月)より



 
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