余白の人生

野の花 而今

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 刹那と永遠 瞬間と無限


一粒の砂に世界を見、
一輪の野の花に天国を見る
手のひらに無限をつかみ、
一瞬のうちに永遠をとらえる

(ウィリアム・ブレイク「無知の告知」)

  ブレイクが夢想したように、世界を見たり永遠をとらえたりしたいというのは、人の本能かもしれない。だが、限りある生命を持つ人間にとって、それは見果てぬ夢のように思われる。
では、もし、その夢を実現できるとしたら。もし、それが可能になるとすれば―それは「想像力」や「理解力」といった、人間の精神によってなされるものになるだろう。


 英国の詩人ウイリアム・ブレイクの「無知の告知」の冒頭の言葉である。ブレイクは続ける「一粒の砂に世界を見、一輪の野の花に天を見る」と。一筋の光も闇あればこそ、その存在が明らかになる。光の中で光を見ることはできない。見上げる高峰もまた低き連山や裾野の広がりがあってこそなのである。


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 人間の本質は、ブレイクが詠いあげたように一粒の砂や一輪の野の花のようないと小さきものの中に存在する。

 掌中の一粒、その白く輝く一粒の砂の中に、彼は全世界を見ているのだ。今や彼の周りの全世界が、その小さな一粒の砂に凝縮し、全世界を表象しているのだ。いや、その小さな一粒の砂が全世界そのものであるのだ。

 極大の無限の世界を極小の無限の中に握っているのである。極限の無限の中ではその逆もまた成立する。極小の無限の中に極大の無限を見ることもまた可能なのだ。

 「一輪の野の花に天を見る」この詞章もまた同様である。無限の宇宙を小さな野の花に閉じこめているのだ。無限に広がる青い空、天空に散らばる無数の星々が、野に咲く花に宿っている。
 
 「無垢の告知」でブレイクはまた人生の歓喜と悲嘆が織りなす「天から与えられた魂がまとう衣」を、さまざまな苦痛に満ちた生を詠っている。人間は歓喜のうちに生まれ、悲嘆の中でその生を終えねばならぬ存在である。人の世の喜びと悲しみ、歓喜と悲嘆はゆえに人間にとって必然的なものなのだ。

 その悲しみ、悲嘆をくぐり抜けてこそ、我々は心の平安を得ることができるのだ。耐え難いと思える悲しみ、永遠に続くかと思える悲嘆、極大の無限から極小の無限へ「一粒の砂に世界を見、一輪の野の花に天を見る」とき、私たちは、その悲しみと悲嘆を一粒の砂に閉じこめ、一輪の野の花に包み込み、癒されて、その心の痛みを心の糧として、いわば魂が浄化されて、再生できるのである。


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冒頭4行の原文は、

 To see a World in a Grain of Sand
 And a Heaven in a wild Flower
 Hold Infinity in the palm of your hand
 And Eternity in an hour

 William Blake: Auguries of Innocence

 一粒の砂に世界を見、
 一輪の野の花に天国を見る
 手のひらに無限をつかみ、
 一瞬のうちに永遠をとらえる

 sand とhand / an hour と flowerは脚韻を踏む。

 ブレイクのこの詩には生きる力がある。この詩には生きる智慧がある。
 ブレイクのこの詩には人を生かす力がある。この詩には人を生かす智慧がある。

 ブレイクのこの詩は哀歓を織り交ぜた人の世を歩み続けるすべての人の道標である。



 
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