文学・芸術

『マルドロールの歌』 (2)

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『マルドロールの歌』





   『マルドロールの歌』 (2)



 なんとか読者がしばらくは、読んでいるものとおなじように凶暴になり、これら陰鬱で毒だらけの頁の荒れ果てた沼をわたり、けわしく未開のみずからの道を、迷うことなくそこに見つけてほしい。この本を読むには、しっかりした論理、うたがう心、そしてそれらと同量の精神の緊張とを保っていてもらわないと、命にかかわるこの放射性物質は、水が砂糖にしみこむように、魂にまで浸透していくだろう。

 これからの頁をだれもが読むのは、よくないことだ。いくらかの人たちだけが、あぶないめにあうことなく、この苦い果実をあじわえる。だから臆病な魂よ、こんなだれも行ったことのない大陸の、おくふかくまで踏みこまないうちにひきかえせ。ぼくの言うことをよく聞くのだ。進んでしまわないうちに、ひきかえすのだ。母親の顔のきびしい凝視から、うやうやしくそらされる息子のまなざしのように。いやむしろ、ふかい考えをもつ寒がりの鶴たちが、はるか彼方に形成する角度のように。

 読者よ、この著作にとりかかったとき、ぼくが助けをもとめたのは、おそらく君も欲しがっている憎悪なのだ!君がその憎悪を、かぞえきれない悦楽にひたりながら、高慢でおおきく、うすっぺらな鼻の穴で、鱶のように腹を仰向けにして、美しく黒い大気のなか、その行為の重要さと、君にふさわしい食欲のすくなからぬ重要さとを、君がまるでわかっているかのように、その赤い放射性物質を、ゆっくりとおごそかに吸い込むんじゃないぞと、言っているのはだれだ? ぼくは君に約束する。その放射性物質は君のみぐるしい鼻の、ゆがんだ二つの穴を楽しませるにちがいないと。おお化け物よ、その楽しみのために、永遠なる神への呪われた信仰を、あらかじめ三千回たてつづけに、君は吸い込んでおけ! 君の鼻孔はえもいえぬ満足、びくともしないエクスタシーに際限なくひろがり、香水やお香のようにかおりたち、もうそれ以上のものなど、この世でほかに欲しいものなど、なにもいらなくなってしまうだろう。というのもそうすれば、ここちよい天空のすばらしさ、そして平和のなかに住む天使たちのように、君の鼻孔は完璧なしあわせにすっかり満たされてしまうからだ。

 マルドロールがしあわせに生きていた、人生のはじめの何年かのあいだ、彼がどんなに善良だったか、ぼくはほんの数行であきらかにすることができるが、それはもうすんでしまったことだ。やがて彼は、自分が性悪に生まれついていたことに気づく。なんという運命のいたずら! 彼はそれからずっと、自分の本性をできるかぎりかくしてきた。だがついに、その不自然の精神集中のために、毎日頭に血がのぼり、そこで彼はいつわりの人生をつづけられなくなり、わが身を決然と悪の道に投げ込んだ……。

 するとどうだ、なんていい気持ちなんだ! そんなことを言っているのはだれだ! バラ色の顔した赤ん坊を抱けば、その頬をカミソリで切り取りたくなり、もし正義がこらしめのながい行列をひきつれて、そのたびごとに妨害にやってこなかったら、彼はしょっちゅう切ってしまっていただろう。彼は嘘つきではなかったので本音を吐き、おれは残忍だと言った。人間どもよ、聞いたかね? 彼はこのふるえるペンで、それをまたここに書いているのだ! そのように、意志よりも強い力が存在しているのだ……。石は重力の法則からのがれようとするだろうか? とんでもない。悪が善と手をにぎろうとするだろうか? とんでもない。ぼくがくどくど言ってきたのは、じつはそのことだ。


 想像力の産物であれ、じっさいに持ちうるものであれ、心の高貴な特性とやらの助けをかりて、人類の称賛を手に入れるために、ものを書くやつがいる。だがぼく、このぼくは残虐のよろこびを描くために才能を使う! うたかたのものでもなく、でっちあげのものでもない、あのよろこびを描くために。そのよろこびこそ人類とともに生まれたのだ。そして人類とともに終わりをむかえるだろう。

 神の摂理と密約をかわして、才能と残虐とが同盟をむすべないものだろうか? いや、残忍だから才能をもてないのだろうか? ぼくの言葉が、それをこれから証明するだろう。君がそのあかしを見たければ、ぼくの話に耳をかたむけるだけでいい……。失礼、ぼくの髪の毛が、頭のうえで逆立ちしたようだ。いやなんでもない。自分の手でかんたんに、もとどおりになったよ。この歌を歌う者は、これが未知のものだと言い張りはしない。それどころか、その主人公の傲慢でたちのわるい考えが、全人類のなかに存在していることに、ぼくは満足している。

 十五日のあいだ、爪をのばしっぱなしにしておかなければならない。おお!うわくちびるのうえにまだまったく、なにも生えていない子供の美しい髪の毛を、うしろになでつけてやりながら、額をやさしくなでてやるふりをして、その子をベッドから乱暴にひっぺがすのは、なんていい気持だ! それから突然、本人が異変をあまり理解しないうちに、あのながくしておいた爪を、その子のやわらかい胸に突き刺す。その子が死なない程度に。死んでしまったらそのあとで、その子の苦しむありさまが眺められないだろうから。ついで傷口から、血をすすり、飲む。と同時にそれは永遠にひとしいほどつづくのだが、子供は泣き、わめく。もし、塩のようににがいその子の涙とまちがえていなければ、まだ熱いその血ほど、うまいものは絶対にない。

 人間よ、おまえはふとしたはずみに指を切り、思わず自分の血の味を知ったことが、一度もなかったと言うつもりか? そうだろう、そいつはなんてうまいんだ。それはさておき、君もあの日のことはおぼえているだろう。くらい思い出にさいなまれ、眼からあふれでるもので濡らしてしまった手のひらをくぼめ、病みおとろえた顔にそえたあの日のことを。その手が抵抗不可能な力にみちびかれて口にむかい、口はそのとき、彼をいじめるために生まれてきた者をぬすみ見る生徒の歯のようにふるえて、そのみずからの涙をいっきに飲みほしたのはだれか? そうだろう、そいつはなんてうまいんだ。だって酢の味だったんだから。恋する女の涙がもっと上等だともいわれているが、子供の涙のほうがさらにうえだ。子供は裏切らないし、まだ悪を知らない。恋に狂う女はいずれ裏切る……。

 ぼくは友情とか愛情とかいうものをぜんぜん知らない(ぼくはこれからもそんなものを絶対にうけいれないだろう。すくなくとも人類からのものは)ので、これは類推することで判断しているのだ。だから君がまだ、自分の血と涙をあじわっていなかったら、飲め、安心して子供の涙と血を飲め。ぴくぴくとうごめく肉を君が引き裂くとき、その子には目かくしをしておけ。そして、戦場で瀕死の重傷をうけた兵士が喉からしぼりだす刺すような呻きに似た、その子のいまわのきわの叫びをじっくり聞いてから、一度なだれのように遠ざかり、こんどはとなりの部屋からとびこんできて、助けに駆けつけたふりをする。神経と血管とがふくれあがったその子の手のいましめを解いてやり、その子の血迷った目があたりを見られるようにしてやりながら、その子の涙と血を、君はまたすする。そのときの悔恨の情の、なんという真実! われわれに内在していた、めったに姿を見せることのない神聖なきらめきが、きらめくが、もうおそすぎる! おのれが悪事をはたらいた相手である無垢なる者を、おのれみずからがなぐさめえたことに、胸は高鳴る。

 「少年よ、残酷な苦痛にさいなまれる者よ、ぼくには名づけることもできない犯罪によって、君を犯した奴はだれだ! なんてかわいそうなんだ! どんなにつらかろう! 君のお母さんがこれを知ったら、いまぼくがそうであるように、犯罪者でもあんなにこわがる死の、うんとそばまで近づくことしかできないだろう。ああ! 善とはそして悪とは、いったい何なのだ! それによってぼくたちが怒りをこめてみずからの無力を示したり、まったく馬鹿げた方法で無限なるものにたどりつこうとする情熱を見せてみたりする、それは一つのおなじものなのか? それとも二つのべつのものなのか? そうだ……どちらかといえば、それらは一つのおなじものだ……だってそうでないと、裁きの日にぼくは、どうなるというんだ! 少年よ、かんべんしてくれ。君のノーブルで神々しい顔のまえにいる者は、君の骨をくだき、いま君の身体のあちこちにぶらさがっている肉を、ついさっき引き裂いた、その張本人なんだ。ぼくにこんな犯罪をおかさせたのは、ぼくの病める理性の錯乱なのか、それともみずからの獲物を引き裂く鷲のそれにも似た、ぼく自身にもよくわからない秘密の本能なのか。いずれにせよぼくは、ぼくのいけにえとおなじように苦しい!

 少年よ、かんべんしてくれ。このかりそめの人生を抜け出したら、ぼくは君と永遠にだきあっていたい。ぼくらはひとつになり、口と口をあわせよう。だがそうしたところで、ぼくの罰はまだまだ不完全だろう。だからこんどは君がぼくを、爪も歯も同時につかって、やすむことなく引き裂けばいい。この贖罪のホロコーストのために、ぼくは花環にお香をたきしめ、われとわが身をかざるとしよう。そしてぼくらは二人して、引き裂かれるぼく、引き裂く君……、おたがいの口と口をあわせて、ともどもに苦しもう。おお少年よ、金髪のあまい眼の君よ、ぼくのこの提案のように、君はやってくれるかい? 君はどうだろうと、ぼくはそうしてもらいたい。そうすれば君はきっと、ぼくをしあわせにしてくれるだろう。」

とこんなふうにしゃべってやれば、君は一人の人間に悪をなしつつ、その人間から愛されることになる。それこそ考えられるかぎりの、無上の幸福だ。君はずっとあとになってから、その子を病院にほうりこめばいい。そのこわれた子はいずれにせよ、もう生きてはいられないだろうから。君は世間では善い人だといわれ、立派な墓が古くなるまで、月桂樹の冠と金のメダルがなげかけられて、君の素足をかくすことだろう!


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 チュイルリー宮殿の公園のベンチに、腰をおろしていたあの少年は、なんてやさしかったことか!彼の勇敢なまなざしは、とおくの虚空に、目に見えない対象を刺しつらぬく。彼が九歳以上であるはずはないのだが、彼は年齢にふさわしい遊びを楽しみはしない。すくなくとも、彼は笑うべきだった。そして一人ぼっちでいるかわりに、友人たちと散歩すべきだった。だがそれらは、彼の性格にはあわなかった。

 「ねえぼく、ぼくちゃんはなにを考えているのかな?」
 「天国のことです」
 「天国のことなんか、考えなくてもいいよ。地上のことを考えるだけでじゅうぶんだ。生まれてまもない君が、もう生きるのに疲れたのかな?」
 「いいえ、でもだれだって、ここよりは天国が好きなんですよ」
 「まあいい。でもわしはちがうよ。天国だってこの地上とおなじように、神様に創られたんだから、君は天国でもこことおなじ不幸にでくわすことは、まあ確実だね。死んでからだって、君は自分の手柄で、ごほうびなんかもらえないよ。君がこの世で、かずかずの不正をこうむったからといって、あの世では、もうそんな被害をうけないという保証にはならないのだよ。君の得になるやりかたは、神様のことは考えないということだね。そして、他人が拒んでも、君は君自身に正義を行うべきだよ。それで、友人のだれかが君を責めたら、そんなやつは殺してしまうことで、君はしあわせにならないだろうか?」

 「だけど殺すなんて、それは禁じられています」
 「君が思いこんでいるほど殺人は禁じられていないよ。ただそれを、やりっぱなしにしなければ、それでいいんだ。法律にかかわる正義なんて、どうだっていいんだよ。考えねばならないのは侮辱罪の判例くらいのものだ。君が友人のだれかを嫌っていて、その野郎の思っていることが、いつも目のまえにちらつくのが気になる不幸に、君は襲われたことがなかったかね?」

 「それはあります。そのとおりです。」
 「だったらそのやつは、君の一生自分を不幸にするんだよ。だって君の憎しみが、受け身のものでしかないのがわかれば、やつはすくなくとも、君をあざわらうのをやめないだろう。そして罰をうける心配なしに、君に悪いことをしつづけるだろう。だからそんな状態に終止符をうつには、一つの方法しかないんだ。それはやつを消すことだよ。だからわしは、現実の世の中がどんな基盤からできているのか、それを君にわからせたくて、それでここにきたかったのだ。阿呆でもないかぎり、人はめいめいが、それぞれの正義を行わなくちゃならんのだ。同類たちを支配したいとは思わないかね?」

 「ぼくもそれは思います」
 「それならもっとも強く、最高にずるくありたまえ。最強であるためには、君はまだ幼すぎる。しかし、人類の才能のもっとも美しい武器である狡猾は、今日からでも使える。羊飼いのダビデが、投石器のはなつ一つの石で、巨人ゴリアテの額を襲ったとき、ダビデの勝利はひたすら、策略のおかげであったことは、じつにすばらしいことじゃないかね? もしそうじゃなくて、素手で戦っていたら、巨人はダビデを蠅のようにおしつぶしていたにちがいない。君の場合もおなじことだ。正々堂々戦うなら、君の意思に従わせようと君が思っている奴らに、君は絶対に勝てないだろう。だけど策略をめぐらせば、君は一人で、みんなと戦えるのだ。君は、富やすごい宮殿や栄光が欲しくないかね? それとも君が、あのように高貴な抱負をぼくに語ったのは、あれは嘘だったのかな?」

 「いえいえ、ぼくはあなたをだましたのではありません。ただぼくは、ぼくの欲しいものを、ほかの方法で手に入れたいだけです。」
 「でもそれじゃあ、君はぜんぜんなにも手に入れられないだろう。高潔で正直な手法は、くその役にも立たないのだよ。もっとエネルギーにみちた梃子と、もっとかしこいたくらみを活用しないと。君が君の美徳で有名になり、君の目標にたどりつくよりはやく、ほかのやつらはみな、倒れた君の背中のうえでとびはねながら、君よりさきに競技場のゴールに着いてしまうだろう。こんなふうに、君のせまい考えのための場所など、もう残されてはいないのだ。もっと心をひろげ、現世の地平まで清濁をあわせのむことができなくっちゃあ。たとえば、かずかずの勝利をもたらすおそるべき栄光のことを、君だって一度ぐらいは聞いたことがあるだろう? だが勝利は、それだけで得られるものではない。

 勝利をはぐくみ、そしてそれを勝利者の足がふみしめるためには、血が、たくさんの血の流れることが必要なのだ。君が良識をもって殺戮を行った戦場でも、ちらばる屍体やばらばらの手足がなければ戦いはなく、戦いあんくして勝利もまたない。だから有名になりたければ、血の流れに優雅に身をしずめ、人肉で大砲を養わなければならないということが、君にもわかるだろう。目的が手段をゆるしてくれるよ。有名になるためにいちばん大切なことは、金銭をもつことだ。そして、君が金銭をもっていないのなら、金銭を手に入れるために、人を殺すべきなのだ。だが、君はまだナイフを、使いこなすだけの力がないから、もっと身体が育つまでは、泥棒をすればいい。そして、君の身体をはやく育てあげるために、日に二回、朝一時間と夕方一時間の体操を、ぼくは君にすすめる。そうしていれば、君は二十歳まで待たなくとも、十五歳になれば、確実に成功をする犯罪をためせるようになるだろう。栄光への愛着は、すべてをゆるす。そしておそらくずっとあとで、同胞の主人である君は、はじめに彼らに為した悪とほぼおなじだけの善を、彼らにかえしてやるだろう!……」

 マルドロールは、若い話し相手の頭のなかに、沸騰する血を見た。少年の鼻孔はふくれあがり、唇にはすこしだが、白い泡が見られる。マルドロールは少年の脈をとる。脈拍がはやい。熱病がデリケートな肉体にとりついたのだ。少年は話のつづきをおそれる。さらにながく少年と対話することができなくなり、このわざわいの主は、ひっそりと姿をくらます。しかし、大人であっても善と悪とにバランスをたもち、情欲をコントロールするのがなかなか困難であるのに、このまだ未経験でいっぱいの精神にあっては、どうだろう? この少年はどれほどの相対的エネルギーを、必要とするだろうか? 彼は三日間寝床につくために、チュイルリー宮殿を去るだろう。この美しい魂を包みこんだ、感じやすくこわれやすい花に、母親のスキンシップがなんとか、平和をもたらしてくれますように!


 
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