忘れえぬ光景

しゃぼんだま

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2016 00 カラス




 野口雨情の世界


今朝もFMラジオの音楽を聴きながらブログを書いていた。すると、なじみ深く非常に美しいメロディが流れてきた。それは弦とハープシコードで演奏されたバロック調に編曲された「七つの子」であった。歌はなかったが、私は頭の中で思わず口ずさんだ。何とすばらしい歌であるかと、今さらながら深い感銘を受けた。

 からす なぜ鳴くの からすは山に
 かわいい七つの 子があるからよ
 かわい かわいと からすは 鳴くの
 かわい かわいと 鳴くんだよ

 山の古巣に 行ってみてごらん
 まるい眼をした いい子だよ


 カラスは、どちらかといえばあまり好かれていない鳥である。実際、ゴミを散らかしたり、巣を守るために人間をつっついたりすることもある。そして、あの「カー!」という鳴き声もキレイとはいえず、何よりもあの黒い姿が不吉で不気味に見えて忌み嫌われている。ホラー映画に登場するのも、日本でも西洋でもたいていカラスだ。

 このような嫌われ者のカラスに対して、この歌はカラスに対する愛情に満ちあふれている。
 耳障りとも聞こえる「カー!」という声は、「か(ー)」わい」(可愛い)と鳴いているんだよというのだ。そして、そんな嫌われ者のカラスにも子供がいる。カラスも人間も親が子供を愛おしむ心は変わらないのだ・・・といったメッセージがここに読みとれなくもない。

 そして、そんなカラスの子供は、まあるい眼をした、いい子だというのである。つまり、カラスの本当の姿を見てごらん、それは可愛いよといっているのだ(実際に、カラスは愛嬌があって可愛いと私も思う)。

 この歌の作詞をした野口雨情という人を、私はあまり知らないけれど、とても優しい人なのだなと思ってしまう。

 ところで、この「七つの子」であるが、七羽の子供がいるという説と、七歳になる一羽の子供がいるという説がある。どちらなのかはわからないのだが、私はどちらかといえば、七歳の子供がいるとした方が自然であるように思う。

 というのは、鳥のヒナを数えるのに、「つ」という言葉を使うことはないだろう。卵なら七つといえるだろうが、ヒナは七つとは数えない。「つ」という言葉は、普通はモノに対する数え方である。しかし、あきらかにカラスを擬人化し愛情が込められているこの歌が、カラスをモノ扱いしていると解釈することはできない。

 もっとも、カラスは七歳(七年)もたてば大人だから子供とはいえないという意見もあるかもしれないが、すでに述べたように、これは擬人化されているのだから、そういう生物学的な見解は的はずれであろう。

 では、なぜ七歳なのだろうか?

 ひとつには、七という数字が縁起がいいといった意味があるのかもしれない。
 あるいは、子供成長を祝う七五三と関係があるのではないだろうか?

 つまり、七歳といえば、最後の成長を祝う歳である。つまり、(途中で死ぬといったことがなく)七歳まで成長することができたんだといった、親の喜びが込められているのかもしれない。

 この、途中で子供が死ぬことがなく・・・という点でいえば、実は野口雨情は幼くして子供を失うという経験をしている。生後、わずか七日で亡くなってしまったのである。そのときの心情を歌にしたのが、「しゃぼんだま」であるといわれている。


2016 00 カラス1


 しゃぼん玉 飛んだ
 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで
 こわれて消えた

 しゃぼん玉 消えた
 飛ばずに消えた
 生まれてすぐに
 こわれて消えた

 風 風 吹くな
 しゃぼん玉 飛ばそ


 今まで、深い意味も知らず無邪気に歌っていたこの歌が、こんな悲しい歌であること、涙なしには歌えない歌であったことを、最近になって知った。

 「七つの子」が発表されたのも、「しゃぼんだま」と同じく子供が亡くなった後である。たぶん、「七つの子」にも、成長を迎えることができず亡くなった子供への思いが込められているのかもしれない。

 視点を変えて考えてみる。天文学的数値で俯瞰すると、七日、七歳、二十七歳、七十歳もあまり変わりはないように思える。
それなのに、ニンゲンだけは悠久の時の流れに逆らって、齷齪ぶつくさ不平不満を言いながら、時間の長短にたいして一喜一憂しながら生活している。おかしな話である。

 長寿を薄命よりも善しとして、崇め祀り、願望や妄想にどっぷりと浸り、ほんとうの自分を見失ってしまっている。

 生物の本能として、死から遠ざかることを甘美なもの、死に近づくことを忌み嫌うからかもしれない。

 しかし、「しゃぼんだま」が胸をつきさすほど痛ましい感じがするのに対して、「七つの子」には、そうした悲しみというものは感じない。

 ここには、悲しみよりもむしろ、悲しみを乗り越えてやさしさに変容させた豊かな人間性が感じられると同時に、自然や、あらゆる生き物、いのちに対する深い愛情の念が感じられる。

 これは、四季に恵まれた日本人が伝統的に受け継いでいる、もっともすばらしい精神的資質ではないだろうか。この歌には、ともすると時代に取り残されていく、大切なこころが見事に表現されている。




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