教育評論

肩書文化

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 肩書文化と日本人


おもしろいイギリスの風刺映画を観た。

中国の焚書坑儒のごとく、文学、思想、小説、芸術・・・すべての書籍を所持することを禁じて、見つかれば消防署が駆けつけ焼き払う、という恐ろしい近未来のSF映画だった。若者のマナー、髪型までも取り締まり、国家の治安維持、思想統制を図るシステムである。最後はどうなるのだろうかと興味津々であった。

結末は、統制をかろうじて逃れた人たちがホームレスとなって森に逃げ込み、焼却されていく世界の文豪たちの小説・思想を各自1冊ずつ暗唱して脳内の記憶に残し、その語り部の人を苗字・実名ではなく、「スタンダールの赤と黒」さん、「ヘミングウェイの老人と海」さん、で呼称していた。完全に暗記したら官憲の目を逃れるためにその書物は焼却してしまうのだった。

現在でも、思想統制、言論統制がひかれ、報道・言論の自由がままならぬ独裁制国家が相変わらず多く存在する。69年前の日本の戦前においても同じ状態だった。

独裁者集団にとっては、専制政治であれ恐怖政治であれ、為政者の意のままに政治や民衆を動かすことはそれほど魅力的なことなのだろう。立場が支配者側になれば、国家だけでなく末端の組織にいたるまで、いつでもだれでも願望することかもしれない。

人間の深層に潜む欲望とは、際限がなくおそろしいものである。

ストーリーの中のセリフが印象に残った。

「人は読書をして知恵がついたら(学問をしたら)他の人が愚かに見え、優越感を持ち、肩書き(身分・階級制度)がつけば、他者を蔑むようになる。そんな読書(学問)なら、ほんとうの意味で自由・平等の社会とは言えない。」これには笑えた。

詭弁とは知りつつも、なぜか嗤えないものが残った。


ところで、日本の名刺と海外先進国の名刺の違いをご存知だろうか。

日本の名刺は、肩書の後に名前が書かれているが、海外の名刺はまず名前、そしてそのあとに肩書や所属、連絡先などが書かれている。

ここに潜んでいる大きな違いは、日本は肩書文化で、とにかく肩書がものを言うという社会なのに対し、海外では肩書ではなく、「おまえは誰なんだ」ということが重視される。

私は日本が大好きだし、日本文化も好きだが、この肩書文化というのはどうも好きになれない。
退職して肩書がなくなった人はいったい何者になるのだろう。
たいした肩書きでなくても、元○○を生き甲斐・ヨスガとして過ごしている人をよく見かける。
こんな人は社会からも引退してしまうのだろうか。なんだか寂しい話である。

肩書きのない無名の人々が、老後は周囲の目を気にせず、のびのびと自由に暮らしているのではないだろうか。

「先生と呼ばれるほどのバカじゃなし」という川柳があるが、日本は依然として肩書がものをいう社会であることに変わりはない。



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