やきもの

「古丹波」礼讃

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古丹波 自然釉壷 v_img03




 古丹波 自然釉壷


大正から昭和にかけて柳宗悦の民芸論がはやりました。その中で丹波のやきものが大きく取り上げられました。丹波焼きのふるさとは、現代では兵庫県篠山に近い立杭、古くは相野に近い三本峠近辺でした。このあたりで焼かれた焼き物を丹波、ないしは古丹波と称しています。
篠山市には「丹波焼古陶館」があってすばらしい丹波焼きのやきものがコレクションされています。

丹波焼きは六古窯の代表である現在の愛知県の常滑から影響を受けて成立した窯であると考えられています。しかしすぐにその影響を脱して、独自な造形を主張するようになったといわれ、常滑の形から離脱して独自の形態を持つようになります。土も赤く良く焼け、あたかも備前のような細かい土味を誇ります。

備前は自然釉が茶色に近いものですが、丹波の自然釉はとても美しい、深くて澄んだグリーン、いわゆるモス・グリーン色をしています。その美しさは吸い込まれそうな美しさです。信楽や伊賀のグリーンも美しいですが、薄い色のグリーンです。これと比較して丹波は濃い、深いグリーンです。赤い土に濃いグリーンが美しい対比をなしているのが魅力です。口の形の独自さも丹波の魅力です。


古丹波自然釉大壷2


丹波の壷の魅力は、この赤い土にモス・グリーンの美しい釉の色の対比、のびのびとした口の造形の自由さ、猫掻きの痕の面白さ、生活用具として朴訥で衒いのない頑強な「用の美」が大きな見所でしょう。



 

 丹波焼 実用陶器の力強さ


 丹波篠山(たんばささやま)は京都と参院を結ぶ交通のかなめです。
徳川家康の実子・松平康重を城主として築かれた篠山城を中心に武家屋敷が置かれ、呉服町、魚屋町など、町名も当時の名残を残しています。
平安時代末期から鎌倉時代のはじめが発祥といわれ、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前とともに日本六古窯の一つに数えられています。
丹波焼は無釉焼き締めの器は、実用的かつ飽きの来ない素朴さがございます。


 丹波焼の歴史

 丹波焼(たんばやき)の歴史は古く、平安時代末期から鎌倉時代初期まで遡ります。
丹波から摂津に抜ける三木峠に残る古窯趾では、そのころに焼かれた窯であることがわかりました。

初期の頃の丹波焼は、穴窯を使い焼き締めの紐作りで、窯の中の炎と灰による自然釉の光沢を帯びた重厚な美しさをたたえ、口の大きい甕などを主に制作しておりました。
この紐作りの甕や瓶は「古丹波」として世に知られています。

時代が進み、桃山の終わりには釉薬を使った陶器がよく見られるようになりました。
江戸時代には茶陶も焼かれ始め、織部好みの三角花生なども作られ、小堀遠州は丹波の茶碗や茶入、水差しを取り上げるなど、多くの素晴らしい作品が生み出されました。
さらに日用雑器の皿や鉢、土鍋に至るように幅広く造られるようになり丹波立杭焼として現代も愛されています。


2016 00 「古丹波」


今田町(現篠山市)における伝統産業であり、兵庫県の特産品でもある丹波焼は、瀬戸、常滑(とこなめ・愛知県)、信楽(しがらき・滋賀県)、 備前(岡山県)、越前(福井県)とともに日本六古窯の一つに数えられ、長い歴史と伝統を継承して今日に至っています。

丹波焼の創業については、これまで鎌倉時代中期をさかのぼる史料がなかったためにその発祥は鎌倉時代とされてきました。

しかし、昭和52年(1977)県道改良工事に伴い、兵庫県教育委員会によって三本峠北窯の物原(捨て場)発掘調査が行われた 結果、平安時代末期から鎌倉時代初期の「絵のある古丹波刻文壺(こくもんつぼ)」を主体とした壺や甕(かめ)などが出土し、丹波焼発祥の地はここで、その開窯期は平安時代末期であることが確認されました。


 丹波焼の起源

丹波焼の起源を須恵器にとる諸説があります。 須恵器は5世紀のころ大陸系技術の導入によって作られはじめた陶質の土器で、6世紀に入って、発祥の大阪府南部から 地方にその生産地が拡がりましたが、平安時代以降は急速に衰退したといわれます。

今田町辰巳字水谷(すいだに)において須恵器の窯跡が発見され、ここから多くの須恵器が出土したことから、ここが丹波焼の 発祥地であるという須恵器・丹波焼同窯論がありますが、これを否定する研究家も少なくありません。

また、三田市の末(すえ)地区からも須恵器の窯跡が発見されていることから、距離的に近いこの地の須恵器が丹波焼発生の 背景にあるという説もあります。しかし、前述した三本峠北窯からの出土品からみると、丹波焼は須恵器系ではないとする研究家 もあり丹波焼の起源については判然としません。

一方、丹波焼の陶祖についてもさまざまな説や口碑(こうひ)があります。
すなわち、大同元年(806)この地に来て陶法を伝えた長門国(ながとのくに)萩の陶工風呂藪(ふろやぶ)惣太郎(宗太郎)が それであり、上立杭の陶器神社と称する神社の祭神はこの惣太郎であると伝えられています。

また、下立杭の墓地にある元和2年(1616)建立の碑は、陶祖風呂藪惣太郎の碑とも、あるいは慶長のはじめ、 八上城主(前田主膳正)が名工宗太郎に与えた「早苗豊後守」の碑であるなど、さまざまな説や伝承がありますが、 いずれもその真偽を明かにする確証はありません。


 丹波焼の特徴

①生活用器づくりに徹する

窯が開かれてからおよそ800年、丹波焼は一貫して日用雑器を主体に今日まで焼き続けており、灰釉や鉄釉などによる 素朴で飾り気がなく野趣味たっぷりな湯呑・皿・鉢・徳利・ぐい呑・壺・花瓶など「生活用器」の生産を身上としております。

②穴窯時代は自然釉

穴窯時代のやきものは、紐(ひも)づくりロクロ仕上げで、人工的な釉薬(ゆうやく)は使われず、穴窯の中で長時間焼かれること により、燃えた薪の灰が焼成中に器に降りかかって、原土の中に含まれた鉄分と融け合い、緑色や鳶(とび)色を自然発色しま した。これが自然釉(ビードロ釉)といわれるもので、穴窯時代丹波焼の特徴となっています。


古丹波自然釉壺 室町中期140萬


③窯変美の魅力

登り窯による焼成は約60時間続き、最高温度は1300度に達しますが、その結果燃料である松薪の灰が器の上に降りかかり、 釉薬と融け合って窯変し、 「灰被り(はいかぶり)」と呼ばれる魅力的な色や模様が一品づつ異なって表れるのが丹波焼の大きな特徴で、このため実用だ けでなく、観賞用としても愛陶家に広く知れ渡り、しかも作品の焼肌に馴れ親しむほど、さらに色合いや模様が変化し趣を変え るのが、丹波焼の真骨頂といえるでしょう。


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 丹波焼の製品

 1.)穴窯時代の製品

穴窯時代の主な製品は、米や水などの貯蔵用に用いる無釉で大型の壷や甕(かめ)、穀物や豆類をすりつぶしたり、 粉を練ったりする擂(すり)鉢や練り鉢などで、末期に至り船徳利・ラッキョ徳利などの大型徳利や、桶・盤も作られるように なりました。

 2.)江戸初期の製品

登り窯時代に入って、蹴りロクロや人口釉が使用されるようになり、製品も多種多様化しました。 特に赤土部釉(あかどべゆう)の使用に特色が見られ、代表的な製品として山椒壷があり、穴窯時代から引き続き壷や甕も 多く作られました。
新しい製品としては、片口、薬研(やげん)、各種の鉢、油壷・塩壷などの小壷、各種の茶器などが作られるようになりました。

 3.)江戸中期の製品

茶入・水指(みずさし)・茶碗・建水・香炉・蓋置などの茶器が全般的に作られるようになり、とりわけ丹波焼を代表する徳利は、 各種の瓢箪(ひょうたん)形徳利をはじめ、浮徳利・エヘン徳利・ローソク徳利・傘徳利・海老徳利・鶴首徳利・筒描貧乏徳利など、 50種類を超える多種多様の徳利が生み出されました。そのほか装飾的文様を施した壷・花器や鉢・皿・植木鉢、 神仏供花用花立、書道用水滴、湯たんぽなどが作られています。

 4.)江戸末期の製品

江戸時代末期には、立杭周辺で白土薬が採取されたこともあって、「白丹波」と呼ばれる白釉を使用した製品が多くなり、 徳利・壷類をはじめ飯碗・鉢・湯呑など多種の製品が作られました。

  (資料提供:丹波立杭陶磁器協同組合)



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