文学・芸術

井伏鱒二の世界

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 井伏鱒二 『川』


 漢詩に、「勧酒」という詩がある。作者は于武陵(うぶりょう)。西暦で言えば、847年ごろ。中国「晩唐」の時代に在世した詩人である。漢詩というが、実は唐詩のこと。

 「勧酒」

 勧君金屈卮
 満酌不須辞
 花発多風雨
 人生足別離

 これを、日本で読み下し文にすると、

 「酒を勧む」
 君に勧む 金屈巵(きんくつし)
 満酌 辞するを須(もち)いず
 花発(ひら)けば 風雨多し
 人生 別離足る

 井伏鱒二が、訳した。名訳として有名である。

 「酒を勧む」

 この杯を受けてくれ
 どうぞなみなみ注がしておくれ
 花に嵐のたとえもあるぞ
 さよならだけが人生だ



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 生い立ちと来歴

1898年(明治31年)、広島県安那郡加茂村粟根に父・井伏郁太、母・ミヤの次男として生まれた。井伏家は室町時代の1442年(嘉吉2年)まで遡れる旧家で、「中ノ士居」の屋号をもつ代々の地主である。5歳のときに父を亡くし、特に祖父にかわいがられて育つ。1905年(明治38年)に加茂小学校入学、1912年(明治45年)には福山中学校に進学した。同校の庭には池があり、二匹の山椒魚が飼われていて、これがのちに処女作として知られるようになる発表する「山椒魚」に結びついた。

作文は得意だったが成績はあまり振るわず、中学校3年生ころから画家を志し、卒業すると3ヶ月間奈良・京都を写生旅行。そのとき泊まった宿の主人が偶然橋本関雪の知り合いと聞き、スケッチを託して橋本関雪に入門を申し込んだが断られ、やむなく帰郷する。

こののち、同人誌に投稿などをしていた文学好きの兄からたびたび勧められていたこともあって、井伏は文学に転向することを決意、早稲田大学文学部仏文学科に入学する。そこで同じ学科の青木南八と親交を深める一方、文壇で名を成していた岩野泡鳴や谷崎精二などのもとを積極的に訪ねるようになる。

しかし1921年(大正10年)、三年のとき、井伏は担当の教授と「衝突」し、休学して帰郷してしまう。約半年後に帰京、復学の申請をするが、同教授が反対したため叶わず、やむなく中退となった。さらにこの年、無二の親友だった青木が自殺するに及んで、井伏は日本美術学校も中退してしまう。

1923年(大正12年)、同人誌『世紀』に参加し、「幽閉」を発表。翌年、聚芳社に入社するが、退社と再入社をくりかえしたのち、佐藤春夫に師事するようになる。1924年(大正13年)、親友を頼って山口県柳井市に滞在。後になって、当時お露という名前の柳井高等女学校の生徒への切ない恋を告白した書簡が見つかっている。

1927年(昭和2年)、「歪なる図案」を『不同調』誌に発表、初めて小説で原稿料を得たが、なかなか芽が出ず、文藝春秋の女性誌『婦人サロン』に、同人誌仲間の中村正常(中村メイコの父)と組んで、「ペソコ」と「ユマ吉」というモガとモボを主人公にしたナンセンス読み物を書き始める。同年10月、遠縁の娘、秋元節代(当時15歳)と結婚。

1929年(昭和4年)、「朽助のいる谷間」を『創作月間』誌に、「幽閉」を改作した「山椒魚」を『文芸都市』誌に、「屋根の上のサワン」を『文学』に発表。翌年、初の作品集『夜ふけと梅の花』を出版。この年は小林秀雄らが出していた雑誌『作品』の同人となったり、太宰治とはじめて会ったりしている。1938年(昭和13年)、「ジョン萬次郎漂流記」で第6回直木賞受賞、『文学界』誌の同人となる。戦時中は陸軍に徴用され、開戦を知ったのは南シナ海上を航行する輸送船の中だった。その後日本軍が占領した昭南に駐在、現地で日本語新聞の編集に携わった。この経験がその後の作品に大きな影響を与えている。

1965年(昭和40年)、『新潮』誌に、「黒い雨」(連載当初は「姪の結婚」)を連載。この作品で1966年(昭和41年)、野間文芸賞を受賞。同年に文化勲章も受章した。1970年(昭和45年)、「私の履歴書(半生記)」を日本経済新聞に連載した。1990年(平成2年)、名誉都民。

1982年(昭和57年)、荻窪の古老、矢嶋又次の昔の荻窪の「記憶画」に触発されて執筆した「荻窪風土記」を新潮社より発刊。

1993年(平成5年)6月末に東京衛生病院に緊急入院、7月10日、95歳で死去。



彼の作品には、幼少から川釣りを愛しただけに、『川釣り』『川』『黒い雨』など「川」をモチーフにした作品が結構多い。意外性や謎解きで魅了することもなく、淡々となんの変哲もない話題が進行していく。そして、あとになってもなぜか記憶に残っている。日本人が愛するふるさとの原風景、原体験の描写が、忘れえぬ光景として記憶の底に沈殿しているためかもしれない。

彼は、自分が体験したことを、膨らませて、小説に形作ったものに違いない。「ラの字」なんて名前をつけた登場人物。そのモデルになった人を、井伏鱒二は憎んでいたのではないか? 軽蔑していたのではないか?・・・というふうに思える経験は誰にでもあることことだ。


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 『川』 あらすじ


ある村に川がありそこに住民が川沿いに6軒ほど暮らしている。

川は渦がいくつか巻いておりそれぞれがぶつかっている。

そこに住んでいる吉岡羊太は多田オキタを追い回していたが多田オキタは拒む。
夜、オキタの家まで羊太が徘徊していたがオキタが川に身投げしてしまう。
それを知った羊太は夜逃げする。
そして羊太の家にオキタの家から盗んだと思われる日記帳が見つかり羊太はますます評判が悪くなる。
しかし、今度は羊太がオキタと同じ場所で自殺してしまう。

川を繋ぐ橋があり「禿げ頭」の家と「白髪」の家が行ききできたが鶏が胡麻の実を食べたという理由で橋を壊してしまう。
そのことで4年間付き合いがなくなったがある日「白髪」から「禿げ頭」へ代筆による借金返済の要請の手紙を送る。その後も因習にまみれたど田舎の「水喧嘩」が続く。

村に沢田伍一という一番の貧乏人がいてその息子が盗人で出所して戻ってきた。
そしてそのときに川が氾濫し二人の住んでいた家が流され二人は川で遺体として発見される。

川が氾濫すると中州の形が変わり「心臓型」と「花瓶型」の2つができる。
そこに堤防を作ることになったが「洋の字という壮丁」と「ラの字のおかみさん」が作り方で対立する。

また青ペンキの家に住む水の番人の「年より」がいる。
橋の向こう側にも青ペンキの家があったが橋を通るバスの回数券の販売競争がおき「年より」が極端に割り引いて売りつけていた。

そして「年より」が喜んでいたらライバル会社の女性社員が会社の金を持ち逃げし「年より」が共犯者とみなされ取調べを受ける。
結局疑いは晴れたが疑われたショックで川に身投げしてしまう。

水死体の上がった場所の近くに工場があり劇場もあり舞台も行われていた。



 
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