教育評論

『人間失格』 トラウマ②

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  『人間失格』


 太宰治のトラウマクリニック②



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 永遠の青年文学


 この人間失格の原作は、永遠の青年文学と言われる太宰治の代表作であり、また彼の人生そのものであると言われています。未だに多くの人たち、特に青年たちの迷える心をわしづかみにして、絶大な共感を得ています。

 「大人とは、裏切られた青年の姿である」という彼の名言がありますが、「裏切られた」という感傷的な表現を前面に出し、裏切るか裏切らないか、つまり人を信じることについて敏感になっているのは、そもそも人間不信が根っこにあり、人に対しての信頼感が揺いでいることが伺えます。「信じるかどうか」が、この作品、そして太宰作品を通しての一つの重要なテーマとなりそうです。原作と彼の人生を絡めながら、私たちの青年期に感銘を与えるゆえんをみなさんと詳しく探っていきましょう。


 自己愛性―裕福さのツケ

 葉蔵は、幼少期から召使いを何人も抱える豪邸に住み、端正な顔立ちで何人もの幼なじみの女の子たちにチヤホヤされて過ごしてきました。そんな家柄、経済力、容姿に恵まれてしまったら、自己イメージが高くなり過ぎてしまい、その後の現実が自分の思い通りにならなくなった時に、そのギャップに傷付きやすさは強まります。自己愛性パーソナリティ障害です。実際に、太宰も名誉欲しさに芥川賞の推薦を選考委員の大御所・川端康成に懇願したという逸話はあまりにも有名です。

 葉蔵は、定職に就かず、ヒモのような生活を続け、「きっと偉い絵描きになってみせる」「今が大事なとこなんだ」といつまでも叶わぬ夢を追い、不健康なこだわりを持ち続けています。これも、自己愛性パ-ソナリティ障害から派生したもので、もともとの高過ぎる自己イメージにより健康的なあきらめができないのです。幸せの青い鳥を追い続ける「青い鳥症候群」とも呼ばれ、現代でもある程度の年齢を重ねても「いつかビッグになる」と言う男性や「いつか白馬の王子様が迎えに来る」と言う女性が当てはまります。


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 依存性―甘え上手

 葉蔵の虚無感は、果てしなく底沼であり、人間関係ではけっきょく満たされません。この満たされない心は、やがてお酒や薬物で満たされるようになります。バーで居候していた時は、いつも酔っ払い、痩せていきます。何かにすがり、のめり込み、歯止めが利かないのです。健康的な人の「もうこれぐらいで止めておこう」という節度、限度の加減がないのです。例えば、「もっと命がけで遊びたい」「生涯に一度のお願い」「そこを何とか頼む」などの葉蔵のセリフが分かりやすいです。

 このようにある一定の枠組みから外れやすい性格傾向は、嗜癖性格と呼ばれ、依存性パーソナリティ障害との深い関係があります。人間関係に溺れるだけでなく、アルコールに溺れ、やがて、睡眠薬、麻薬にも溺れていき、依存の対象が広がっていきます。そして特に、アルコール、薬物などの依存物質を乱用してしまうと、やがて止めることだけで手足が震えたり自律神経が乱れたりする離脱症状(いわゆる禁断症状)と呼ばれる体が欲して言うことを聞かなくなる症状が現れ、アルコール依存症や薬物依存症に陥っていきます。

 最終的に、アルコールと薬物で体がボロボロになってしまった葉蔵は、後見人の平目の助けにより、入院隔離されます。ようやく、断酒、断薬が強制的ながら徹底されるのです。依存症の患者は、もともと「枠組み」が外れやすいということがあるので、生活や考え方の「枠付け」を徹底する治療を行います。例えば、規則正しい生活リズムや「ダメなものはダメ」というルールを守ることです。


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 共依存―依存されることに依存する病

 葉蔵の、美形に加えて、陰のある物憂げな表情や、漂う孤独の匂い、弱弱しくよろめきそうなたたずまいは、女性に助けてあげたいという気にさせる魅力や魔力が潜んでいるようです。これは、実際の太宰のポートレートを見てもそう感じさせます。さらに、雰囲気だけでなく、「金の切れ目が縁の切れ目ってのはね、解釈が逆なんだ」とさりげなく知性を披露するインテリぶりや、言葉少なげで独特の間があることは、守ってあげたいという女性の母性本能をさらにくすぐるようです。

 実際に、彼が巡り会う女性は、人一倍世話焼きで母性本能が強いです。「いいわよ、お金なんか」という下宿先の世話焼きの礼子、「うちが稼いであげてもダメなん?」という女給の常子、居候させマンガの仕事の依頼をとってきてあげる静子、信頼の天才である良子、キスされて麻薬を渡してしまう寿、そして母性本能に溢れる鉄などキャラが強烈過ぎます。彼女たちに共通するのは、単に華があるわけではなく、どこか訳ありで陰があり引け目があり、彼女たちは自分に対する自己評価が低く劣等感がありそうです。このような劣等感のある女性が「この人の苦しみを分かってあげられるのは私だけ」と優越感に浸ることができるゆえに、葉蔵はもてはやされるのです。世話焼きとしてお世話をすることで、自己評価を保とうとします。「私はこんなにこの人の役に立っている」と。葉蔵の方もそんな劣等感や母性本能の強い匂いのする女性をあえて嗅ぎ分けています。

 このように、必要とされることを必要とする、言い換えれば、依存されることに依存する状態は、共依存と呼ばれます。ややこしいですが、これも一つの依存の形です。そして、実際に、依存症の人が依存症であり続けることができる大きな原因として、その人のパートナーや家族が共依存であり、依存症の治療に弊害になっていることがよくあります。


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 退行―幼少期の生き直し

 父親の死に伴い、一切の面倒を見るという兄の働きで、葉蔵は故郷の津軽に帰り、療養生活という名目で、年老い世話係の鉄と二人で暮らすことになります。父親にゆかりのある人ということで、どうやら昔の父親の愛人のようです。もともと子どもに恵まれなかった鉄は、葉蔵に強い母性的な無二の愛情を注ぎます。「こんな僕でも許してくれるのか」と言う葉蔵に対して、鉄は優しくそして力強く言い放ちます。「いいんだ」「神様には私が謝るので」「何があっても私が護る」と。その後に、駐在とのやり取りで、鉄が葉蔵をかばう様子は母そのものです。

 母性本能の強い鉄と過ごす日々は、葉蔵に安らぎを与えてくれました。どんどんと子ども返り、赤ちゃん返りしていきます。退行です。童心に返ったように無邪気に海岸ではしゃぎ、子守唄で心地良くなります。胎内回帰の寝像のポーズは、子宮の中にいる心地良さを表しているようです。退行を通して、かつて手に入らなかった愛着を育み、幼少期を生き直そうとしているようです。


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 回復

 原作では、鉄との愛着を育む他愛のない日々が綴られ、締めくくられます。そして、葉蔵は最後に語ります。「今の自分には幸福も不幸もありません」「ただ、一切は過ぎていきます」と。最後は、「現実は何も解決してくれない」という受身的な虚無感に堕ちていく退廃的な美学を描こうとしているようです。諸行無常の響きさえ聞こえてきそうなエンディングです。実際に、太宰はこの作品の完成後に自殺をついに遂げています。

 一方、映画ではもう一つのエンディングが用意されていました。原作とは一味違った展開です。葉蔵は、鉄の愛情に育まれてついに巣立つのです。愛情に満たされた平穏でのどかな故郷から東京に出発する電車の中では、戦争に入っていくという緊張感ある会話が軍人たちの間で交わされ、超現実世界に引き戻されています。その後、突然、乗客が過去に出会った全ての人に変わり、楽しく騒いでいます。まるで走馬灯のように過去を振り返る幻想的なシーンです。その中には、子ども時代の自分と向き合うシーンがあります。それは、過去から現在に至る自分を見つめ直す客観的な視点が身に付いたことを象徴しているようです。そして、葉蔵はつぶやきます。「今の自分には幸福も不幸もありません」「ただ、一切は過ぎていきます」と。そこには、かすかな希望が見えます。スプリッティングという両極端なものごとの捉え方による「阿鼻叫喚」な生き様を乗り越えて、情緒を安定させて客観的に「現実を見つめ直して受け入れていく」という能動的で淡々とした人生へと回復していく可能性を仄めかしているようにも思えます。


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 シネマセラピー

 私たちは10代から20代の間の多感な青年期に、勉強、部活、仕事、恋愛を通して、人間関係の幅や深みが一気に広がり、世界が開けていきます。そして、気付かないうちに人の心を傷付けたり、逆に傷付けられたりする経験を経て、人をどこまで信じていいのか不安や迷いが生まれます。そんな時期に、その感受性を過激にそして必死に体現してくれるこの人間失格の葉蔵は、さ迷える私たちに衝撃を与え、重なり合い、そして自分の状況を振り返らせ、人を信じることとはどうあるべきかを気付かせてくれます。この作品を足がかりとして、その青年期の信じることの危うさを乗り越えた私たちは、ほどよい信頼感や自信を実感できる「大人」に成長しているのではないでしょうか。

 (Posted by Tomclinic) 2014.08.15


 
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