書画・骨董

富岡鉄斎 歳寒三友(松竹梅)

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s-富岡鉄斎 松竹梅
富岡鉄斎 歳寒三友図



 歳寒三友図

歳寒三友(さいかんのさんゆう)は、宋代より始まった、
中国の文人画で好まれる画題のひとつであり、具体的には松・竹・梅の三つをさす。
三つ一緒に描かれることも多いが、単体でも好んで描かれる。
日本では「松竹梅(しょうちくばい)」と呼ばれる。

松と竹は寒中にも色褪せず、また梅は寒中に花開く。
これらは「清廉潔白・節操」という、文人の理想を表現したものと認識された。
日本に伝わったのは平安時代であり、江戸時代以降に民間でも流行するが、
「松竹梅」といえば「目出度い」ことの象徴と考えられており、
本来の、中国の認識とは大きく異なっている。

始原と考えられているのは、中国の宋代において、文同、蘇軾等が竹を水墨画の主題として描き始め、後、梅・蘭・菊・松と画題の広がりを見せていく。
その中でも、松・竹・梅の三者が前記理由で特に頻繁に取り上げられていくのである。
元・明代には、陶磁器に描かれる主題としても好まれるようになる。

日本においては、主に陶磁器・漆器・染織に描かれることが多い。
また、門松・雛飾りそして婚礼・出産等の慶事に用いられる主題として民間に定着し、「鶴亀」等の主題と組み合わせて用いられることもある。(Wikipedia)


s-富岡てっさい 四君子絵図 四曲屏風一隻 大正8年(1919) 84歳
富岡鉄斎 四君子絵図 四曲屏風一隻 大正8年(1919)84歳


富岡鉄斎は、イシコロが好む文人画家のひとりである。

 鉄斎は江戸時代末期の1837天保7年、京都三条通新町の法衣商十一屋伝兵衛・富岡維叙の次男として生まれた。幼名は知られていないが、若い頃は猷輔を称し、のちに道昴・道節と称した。一時期、鉄斎を名としたこともあるが、明治維新のころから百錬を戸籍上の名とし、字を無倦、号を鉄斎とした。
 
 幼い頃胎毒のため難聴となった鉄斎を両親は商人には向かないと思い、彼を学問の道に進ませようした。富岡家は代々、石門心学を家学としてきた家柄で、父も学問好きであった。鉄斎は国学、漢学、陽明学、仏教など幅ひろく学問をおさめ、このころから神官を目指そうと決めていたようである。

 師事した師はいずれも熱烈な勤皇派であったから、幕末には鉄斎も勤皇思想に傾き、志士たちとの交流も生まれ、幕府のブラックリストに載せられていたと云われる。

 学問を進める中で、十代後半から、嗜みとして絵を描き始めたらしい。絵師に手ほどきを受け、大和絵も学んでいる。もとより本格的に画家を目指してのものではなく、文人(学者)のたしなみの一つとして学んだと考えられる。
 
 血気盛んな青年時代の鉄斎に大きな影響を与えたのが、尼僧・大田垣蓮月尼(1791~1875、幕末期の女流歌人)である。 和歌を詠み、陶器をつくる風流人として世に知られていた蓮月と鉄斎の父・維叙とは行き来があり、尼の一人暮らしを心配した維叙が、鉄斎を蓮月宅に住み込ませたらしい。鉄斎は学問の傍ら、蓮月の作陶を手伝ったり書画にいそしんだらしい。
 
 20代半ばの1861文久元年に「支那、阿蘭陀の事情を知ろうとして」長崎に一年間遊学し、南宋画なども人気の高かった僧・春徳寺鉄翁に学んでいる。


鉄翁 秋山
鉄翁 秋山煙靄図


日高鉄翁 祖門 

鉄翁 祖門(てつおう そもん、寛政3年2月10日(1791年3月14日) - 明治4年12月15日(1872年1月24日))は、幕末長崎で活躍した南画家である。木下逸雲・三浦梧門と共に長崎南画三筆とされる。

本姓日高氏。諱は祖門、道号を鉄翁とした。別号に明言・魚光・銕道人・蓮舟人など、室号は太素軒。

長崎銀屋町の桶職人日高勘右衛門[1][2]の子。11歳で父を亡くし、華嶽山春徳寺13世玄翁和尚に養育される。

幼少より画を好み、はじめ唐絵目利の石崎融思に漢画を、文化元年(1804年)からは来舶清人の江稼圃に師事して南画を学ぶ。

師が没した文政3年(1820年)に春徳寺14世住持となる。文政10年(1827年)、51歳の田能村竹田が春徳寺の鉄翁を訪問。ふたりはこの邂逅を「前世からの知己」と大いに喜んだ。天保年間には親友木下逸雲とともに清人陳逸舟の門下となり、山水図や蘭竹図の画法を伝授された。

56歳のときには京都・大坂・江戸に遊歴。特に京都では貫名海屋・日根対山・中西耕石・安田老山・金子雪操・鼎金城・前田半田らと交わった。


鉄翁 四君子
鉄翁 四君子図


嘉永3年(1850年)、60歳で退隠すると東淵山雲龍寺に移り、居室を「太素軒」とし書画禅三昧の日々を過ごす。この時代を特に太素軒時代といい墨蘭竹図・山水図などに名品が多い。蘭竹画、とりわけ四君子(蘭、竹、菊、梅の4種を、草木の中の君子 として称えた言葉)のひとつ蘭画の第一人者として知られた。

正月は、朋友と交わりて歓談し、酒を酌み交わして 亦々一楽
朋友訪れなくば、独座して、活きた四君子、歳寒三友図を愛でながら 亦々一盃

イシコロのたのしみは、今年も無限に広がる


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