やきもの

コンプラ瓶

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compradoor 明治印判手のコンプラドール醤油瓶



 飴釉の陶製コンプラ瓶


30代半ば、やっと一人前になった頃、クラスに同じ離島から来た生徒が二人いた。
保護者は、漁業を中心に半農半漁で生業を立てていた。

それからしばらくして大きな橋が架かり、陸続きになったので離島とは言えなくなった。
毎年6月には三者面談というのがあり、同僚のふるさとでもあったので、同僚の帰省を兼ねて一泊の出張面談会(他にも数人生徒がいて教育懇談会となった)を企画した。時間節約のために往路も復路も自家用車とフェリーだった。

懇談会後は、保護者が持ち寄った見たこともない大きな鯛や伊勢エビのご馳走で懇親会が準備され、所期の目的を果たすことができた。生徒たちも保護者に似て純朴・誠実で努力家であった。

これがご縁となり、お言葉に甘えて受け持ちの生徒の家に夏休みに家族旅行をした。日頃子どもたちの面倒を見ることが少なかったのでいい罪滅ぼしになった。

当時は、それほど骨董には興味はなかったが、趣味のひとつに陶芸をと思って皿山に陶器づくりを習いに出かけていた。陶器の練習よりも夕方には師匠と呑み歩くことが多く、呑み方の訓練を教わった気がする。おかげで晩酌が習い性となってしまった。

しかし、この体験も無駄ではなかった。制作するうちに陶器の魅力や骨董・古美術の世界へと足を踏み込むきっかけとなっていった。

話を元に戻す。

この漁業の生徒の家の床下に、漁具に混ざってコンプラ瓶が数本転がっていた。ヒビの入っていない完品(写真)を一本だけ頂いて帰った。当時は、コンプラ瓶の骨董的価値など知るよしもなかった。仲人まで務めた、この生徒は米国留学して神経内科医になり福岡で開業している。


compradoor 現代の波佐見焼コンプラ瓶 左端の柿色が幻の茶色の瓶によく似ていた


まだ話のつづきがある。40代半ばで、大きな離島の高校に転勤したとき、司馬遼太郎とも親しかった地域一番の数寄者・郷土研究家の蒐集品の中に見たこともないめずらしいコンプラ瓶がいくつかあった。
呉須(青色)の英字がほとんどであるが、ローマ字が朱色で書かれた瓶もあった。
当時すでに92歳で他界されていてその息子さんから、茶色の陶製コンプラ瓶をしばらくお借りしてたのしんだ。

ネットで検索してみたが、あの飴釉の茶色のコンプラ瓶(写真上は現代のミニコンプラ瓶)はお目にかかれない一期一会のまぼろしの一品である。いまでもあの数寄者の蒐集品陳列棚に眠っているのだろうか。

以上が、イシコロのコンプラ瓶とのなつかしいご縁のいきさつである。

コンプラ瓶について、愉しく興味深い投稿文があったので紹介してみる。



compradoor 左 波佐見 右 薩摩焼


 ーⅠー

文豪トルストイの机の上にはコンプラドール瓶があって一輪挿しに使っていた(徳冨蘆花が訪ねた折、トルストイの書斎には「コンプラ瓶」に薔薇がいけてあったらしい)話は有名です。

コンプラ瓶は、江戸後半から明治にかけて酒や醤油を入れて輸出された物の空き瓶です。
随分と数が出た物が、日本に帰って来て、さほど綺麗な物でもないのに高値で取引される不思議な空き瓶です。

この空き瓶が最盛期にはどれぐらいの高値だったか?
書いても良いのですが、本当かと?馬鹿にされそうなので止めときます(笑)ですが、知っている人は知ってますね!

コンプラドール瓶は概略、江戸の手書きと明治の印判に分かれますが、値段的には明治は江戸の6割強程度が相場だったと思います。

手に入れた所は、インドネシアのジャワ島のセランと言う古い田舎町でした。
ジャカルタに中心地が移る前は、この辺りが東インド会社の基地だったみたいで、古く広いお屋敷が沢山ありますが、見た感じの割には裕福とはいえません?

口コミでこの町の中国人の家に面白い物が沢山あると聞きやってきました。
色々、変てこな物も出てきましたよ。

この地に住む中国人の商売はインドネシア人とは違います。
ネシア人はズラリと並べて、どれが欲しいですか?と来ますが、中国人は一点づつ出してきます。

そしてアッチに行ったり、コッチに行ったり置く場所も同じ所には置きません。
用心の上に用心を、暴動が起きたら最初に狙われるのが華僑ですから先祖伝来の知恵です。

大型ビーカーに満タンの水銀を出されたのには驚きましたが、次に出て来たのが写真の瓶二本でした。

ネシアにしては高いですが、結局は買ってしまいました。
裏をみますと、この様なマークで、所々途切れていますね。
これは明治に成って出た型紙印判の印判手と言う技法なんです。

CPDとはコンプラドールと言うポルガル語の略称で、日本語に訳せば仲買人の意味です。
そして漢字が金富良社・・、と言うめでたい当て字が使われています。

右側のコンプラドール瓶、これもネシアで見つけ偽物と思って記事にしましたが、薩摩焼と
言う事で良かった良かった!なんとて、値段は印判二本の値段と同じです。

此処に出した目的は値段の比較ではなくて、文字の比較です。
左のZOYAが醤油瓶で、右のZAKYが酒の容器でした。

その昔から日本の醤油は輸出されていたんですね。
そうそう東南アジアや中近東では醤油は良く使います。
イラクではイラク製の醤油がありました。

昔に輸出されたものの空き瓶が戻って来る!面白い世の中です。


 ーⅡー  

昨年の暮れ、押し入れを掃除していて出てきたコンプラドール瓶です。
可哀そうに天袋の隅の日頃、目につかない所にありました。

これを手に入れたのは、20年近く前、千葉に住んでいた頃で、休みの度に東京に出て骨董市巡りをしていました。

有る日、川越の骨董市に行きました。
机を一つ置いてた小さな店が有り、店主は愛想良く、サラリーマン風の営業マンタイプ、とても骨董屋さんには見えません!その上、紺色の綿のエプロンをしているんですね!
品物は僅か2~3点、その中にこれが有りました。
兄さん、これ本物?と聞くと、答えは無無~、なんとか、かんとか値切って買って帰りました。

しかし、帰ってからみて見ますと、何処から見ても貫禄がありません!勿論風格もありません!
陶芸家の巨匠、加藤唐九郎さんが随筆でコンプラドール瓶を取り上げていました。

「最近の若者に何処に行くのかと聞いたら、コンプラドール展を見に行くと行った何処が良いのか?さっぱりわからん?」そのような内容で有ったと思います。
コンプラドールとはオランダ語で略してCPD、仲買人の意味です。醤油瓶と、酒瓶があって、書かれている単語が違います。

つまり、江戸の後半から醤油や酒を入れて輸出した中身の抜けた容器が、数十倍以上の高値になって日本に里帰りする人気商品になってしまいました。

それから数年後、泣く子も黙る!名品?いや迷品として図録に載っているのを見つけました。
96年に発行されました、「やきもの真贋鑑定」の本150ページで2200円です。
「はじめに」と言う部分に面白い事が書かれています。

室町時代の、お伽草子の中に「つくも神」と言う神があり、「つくも」とは99と言うことで、器物は100年経つと人を魅了する妖怪に生まれ変わるらしいです。今出来の偽物には何の魅力も無いよと言っているようです。

偽物でも100年経てば倣と言う名前がついて、それなりの価値を持つ物もありますね!
この本のページをめくりますとオオー素晴らしい記事が有りました。

解説によりますとコンプラドール瓶は現在も高級醤油の入れ物として作られています。
形も本物に比べてだらしなく、染付の発色も渋く似せていますが新しい物です。
この瓶本物よ!と言って売ったら偽物になるんですが。売主は無無と言ったので偽物にはならないですよね!

本物のお値段は、この頃の一番高い時で江戸の瓶25万、明治18万していました。
100分の1に近い値段で本物が有る筈がないですよね!



 
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