雑学曼陀羅

植物の畏るべき知性

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2016 00 k 「年賀 蘭」
 


 植物の畏るべき知性

 『植物は〈知性〉をもっている』 NHK出版 2015



 動物の生命は植物に支配されている



 ‥トマトには環境的嗅覚ともいうべきものがある。‥ジャガイモの葉は昆虫たちの死の床だ。‥根端は高性能の計算センターである。‥カシの木々は隣りどうしでひそひそ話をしてコミュニケーションをとっている。‥葉っぱの表皮細胞はレンズのように外界を感知する。‥ツタはありとあらゆるリスクを「出会い先」で分散させる性能に富んでいる。‥ハスは水の中の根茎どうしで開花のスウィッチを調整している。‥ゼラニウムはどこを切られても挿し木で再生する。‥マメ科植物はおそらく利他的ですらあるだろう。


2017 bb アスファルトを突き破って咲くタンポポ


 この本にはこんなふうに、植物が発揮している”知恵”の数々が挙げられて、植物は五感どころかきっと二十覚(20くらいの知覚)を発揮しているにちがいないという主張がなされる。“植物の知恵”はメーテルリンクが期待していた以上のもので、あえて「植物がもつ知性」とか「聡明な判断をする植物群」と言っていいのではないかと強調する。

 著者のステファノ・マンクーゾはフィレンツェ大学の植物神経生物学研究所の創設者で、植物生理学のプロ中のプロだ。ただ、この本ではその深い見識をひけらかさなかった。まあまあ気楽な本にした。きっと詳しい描出もしたかったのだろうが、サイエンスライターのアレッサンドラ・ヴィオラがシロートにもわかるようにまぶした。

 それでも全ページに、植物のステータスをすべての生物学(生命の科学)の本道に据えたいという、著者のずっと以前からのやむにやまない気持ちが貫かれている。その気持ちは生物研究者としてまことに真摯なものに溢れているので、読んでいると心地よい。

 これまで植物についてはじれったいほどに誤解が渦巻いてきた。あるいは植物研究の成果はつねに過小評価されてきた。マンクーゾとヴィオラはこれを引っくり返したい。生物学ならびに科学全般における「植物の地位」を思い切って上げたい。

 生物学は植物学と動物学を安易に区別しすぎたのである。「進化は植物をへて動物に向かっていきました」「さあみなさん、よく観察してください。植物は動物と違ってじっとしていますね」などと説明してきたことがおかしかった。これを根底から覆(くつがえ)したい。


2017 bb ブロックに沿って根を張る木


 進化論がこんなふうにしたのではなかった。実は、とっくにチャールズ・ダーウィンが1880年の『植物の運動力』で植物の運動性を観察して報告していた。息子のフランシス・ダーウィンも父親よりも大胆に「植物がたいそう知的なんだ」ということを、いささか勇み足をするくらいに強調していたのである。

 それなのに長らく、植物は「光合成をする動きのない生命」あるいは「昆虫たちのはたらきに扶けられてきた生態の主」とみなされ、動物のようには、まして哺乳動物の能力と比較されるようには扱われてこなかった。もっとありていにいえば、動物が人間の機能と頻繁にくらべられてきたのに対して、植物はほとんどそのようなVIP対応を受けてこなかったのだ。

 VIP対応がなかったというのは、たとえば1983年にバーバラ・マクリントックがノーベル賞をとったのはあまりに遅きに失したのではないか、というようなことだ。彼女は「動く遺伝子」を発見して、それまでの「ゲノムの不変性」という神話をぶち壊したのだが、その業績の評価が遅れたのはマクリントックの研究観察の対象が植物だったからだった。

 ボタニカル・スタディは下拵えの上手な料理人のようにみなされてきたのだ。盛り付けは動物学や分子生物学やエソロジーの評判で飾られた。しかし振り返ってみれば、そもそも細胞の発見からして植物観察による発見だったのだし、RNA干渉の発見についてのノーベル賞は線虫を研究したファイアーとメローに与えられたけれど、実際にはその20年も前にリチャード・ジョーゲンセンがペチュニアの観察研究で発見していたのだった。

 それよりなにより生命進化の基本を見抜いた「遺伝の法則」はメンデルのエンドウマメの交配観察からだったのであり、それがDNAのセントラルドグマやゲノム編集に至ったのである。


2017 bb 図鑑『フローラの神殿』(1912)に収録されている植物画
図鑑『フローラの神殿』(1912)に収録されている植物画
植物のセクシャルな美しさに魅了された英国人R・J・ソーントンが出版。西欧の植物図鑑愛好家のあいだで古くから「史上最美の一冊」と呼ばれている。左が夜の女王、右がドラゴンアルム。日本語の解説をした荒俣宏いわく「史上最も珍奇な一冊」。




 それなのに植物研究はずっとワリを食ってきた。「植物が動物に従属する」という見方は、どう見てもかなりばかげたものなのに、いつまでたっても植物的知性は語られてこなかったか、植物に「知覚」や「知性」を持ち出すなんて、おっかなびっくりだったのだ。実際にも「サボテンは喋った」と言いだしたクリーブ・バクスターはオカルト科学者扱いされた。

 つまりは植物に携わることはよほど地味なことが、その植物に動物やヒトに匹敵する〝才能〟を見出すなんて、トンデモ科学だと思われてきたわけである。
 こうしたことを通して、マンクーゾは、科学界で植物派に対する「邪悪な偏見」が支配してきたと腹を立ててきたのだった。マンクーゾ
からすれば、植物は「じっとしている」のではなく、れっきとした「独立栄養体」であり、完璧な「自給自足者」であり、それでいて地球のほぼすべての生き物たちと共生してきた「共生生命群」なのである。

 この本には、読者にはこのような知的植物観をもってもらいたいという切なる希いが漲っている。また、植物を研究することの矜持が高らかに謳われている。とくに植物研究こそは生命研究の基本中の基本であって、何よりも最も根本的なものなのだということが、再三のべられている。

  (Posted by Seigow Matsuoka)



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