やきもの

初期織部は古伊賀のこと

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2017 織部 古伊賀花入 銘「芙蓉」 (重要文化財)





 初期織部とは透き通る美しい緑色ビードロ釉を発色する古伊賀のこと


2017 織部 古伊賀花入 銘「小倉」(重要文化財)


2017 織部 古伊賀花入 銘「松山」 畠山記念館蔵 ②「小倉」型


2017 織部 古伊賀花入 銘「芙蓉」 (重要文化財)


2017 織部 古伊賀花入 銘「林和靖」 ①「芙蓉」型


伊賀焼というのは「六古窯」と呼ばれる日本でも最古の部類に入る窯の内の信楽焼(滋賀県)と中途まで区別なく在り続けてきました。なにせ信楽と伊賀の窯は山一つ隔てているに過ぎないので地理的にも類似しているのは当然のことでした。当時は茶道の道具のために焼き物を作るなんて考えられませんでしたから、壺などの日常雑器が信楽=伊賀の主流でした。今でも信楽のざらついた肌をした初期伊賀焼の壺はけっこう残っています。


2017 織部 古伊賀花入 銘「寿老人」 藤田美術館蔵


2017 織部 古伊賀花入 「業平」 三井記念美術館蔵


2017 織部 古伊賀花入 ①「芙蓉」型



この状態に変化が現れたのは戦国時代。伊賀に転封された筒井氏は茶人大名であり、古田織部の指導を仰ぎ(これは仮説ですが)ながら、伊賀焼を茶陶へと脱皮させていきました。このときに伊賀焼は革新され、緑釉を基調とした大胆な姿へと進化しました。筒井氏はまもなく改易されたため、この「筒井伊賀」の時期はたったの23年ほどでしたが、この間実に多くの古伊賀が大量生産されて現存しています。


2017 織部 古伊賀花入 古田織部旧蔵 銘「生爪」 弟子の上田宗箇が欲し、織部が「生爪剥がされる思い」で進呈


2017 織部 古伊賀花入 ②「小倉」型


2017 織部 古伊賀花入 銘「岩かど」 ①「芙蓉」型


その後はやはり茶の湯好きの藤堂氏がこの地の領主となると、今度は赤を基調とした古伊賀「藤堂伊賀」が出現し、さらには天下の大茶人・小堀遠州の指導の下瀟洒な外見をした「遠州伊賀」が作られました。その後というものは伊賀焼は衰退し、江戸後期には姿を消してしまいました。


2017 織部 古伊賀花入 54、①「芙蓉」型


現在は復活した伊賀焼が作られていますが、かつての「古伊賀」の面影はありません。近代には川喜田半泥子が古伊賀写しを見事に作り上げています。しかしその他においては古伊賀とはもはや再現不可能な希少な焼き物です。



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