文学・芸術

アウフヘーベン:Aufheben 

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2017 t 陶印b-6 忘 筌蹄 せんていをわする 






  「風姿花伝」-秘する花を知ること


「秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。」

秘密にすることで生まれる芸の花を知ること。秘密にすれば花であり、秘密にしなければ花にはなれない、ということだ。

「この分け目を知ること、肝要の花なり。そもそも、一切の事(じ)、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用(たいよう)あるがゆゑなり。」

この分かれ目を知ることが、花についての肝要だ。そもそも、すべてのこと、もろもろの芸道において、それぞれの専門の家々で秘事といっているのは、それを秘密にすることで大きな効用があるからだ。


「かたち(模倣)より入り、かたちを極め、かたちより出ずる」
そこから、新しい創造の境地を開く、守・破・離のことを言っているのである。
これは芸事だけではなく、学問、先端技術・・パラダイムすべてに通用する。

ヘーゲルの弁証法哲学で言うなら、アウフヘーベン:Aufheben あるものを否定しつつも、より高次の統一の段階で生かし保存すること。止揚、揚棄。・・に相当するのかもしれない。が、西洋哲学とは異質のものが潜んでいる。

世阿弥が言う、「花を知る」から「花を失ふ」への境地は、稽古・修練によって身につけた技や知識は忘れ去って(失って)、もっと高みをめざす心境を述べている。

過去・現在・未来という時の流れがない、量子力学の世界で捉えるなら、「花を失ふ」から「花を知る」への連続現象があってもなんら不思議ではない。時間の逆行、遡及性もありえない。世阿弥やヘーゲルの時代にはこの理論は存在しない。

「知る(知覚する)」→「失う(知覚できない)」→「知る」→「失う」・・・・・のエンドレス現象なのだ。
「色即是空 空即是色」、「はじめ黄葉の落つるをなげき、また柳條の青きを見る」のとおりである。

量子力学論では、宇宙は、「目に見えない波動性」→「目に見える粒子性・局在性」→「波動性」→「粒子性」・・・・・の絶え間ない連続であり、物質の離合集散・分離統合で解釈・説明している。

「失ってはじめて知る親の恩(ありがたさ)」がそうである。

最近やたらとつづく親しい同級生や友人の逝去を「失って知る大切な人や光景のありがたさ」もまた、単なる感傷に浸るだけでなく、残された余生の過ごし方を前向きに思索して、より高い境地をめざすアウフヘーベンとなるだろう。

如何せん、生きている間しか、自己存在の意義を感知することはできない。



  aufheben の意味

ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。

このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論が登場すると、「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。

国語辞典などでは、違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、という説明がなされることがある。




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