文学・芸術

「侘び寂び」の心

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2017 織部 古伊賀花入 古田織部旧蔵 銘「生爪」 弟子の上田宗箇が欲し、織部が「生爪剥がされる思い」で進呈




 「侘び寂び」のこころ


 失われゆく日本人の「侘び寂び」の文化に惹かれる外国人は多い。
 使い捨ての外来文化、食文化に慣れ親しんだ日本人には恥ずかしさで赤面するエッセイである。
 
 明治維新以来、西洋文明に右へ倣いをして、美しい、素朴な日本文化が消えようとしている。
 「侘び寂び」や「もったいない・いとおしさ」の文化が現代人の心や家庭の中にどれほど遺っているのだろうか?
 先端ハイテク文明は、人々にゆとりをもたらすどころか、しあわせの時間を奪い取っている。

 「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」この交通標語の通りだ。
 
 効率、利潤を追求して急がせているのは、皮肉なことに資本主義の宿命である。
 人も物も、急がせれば手抜きして、それだけ衰退するのも早い。死に急ぐようなものだ。


 *****



2017 電子賀状



 「侘び寂び」は世界が待ち望んだ答えなのかもしれない


「侘び寂び」に触れて以来、外食の折々に同席者を相手にその話題を取り上げてみたところ、これがフランス人の友人らの強い関心を喚起することに気付いた。そこで今回は、彼らがなぜそのような反応を示すかについて考察してみたい。

フランス人はユダヤ=キリスト教の伝統を持つ西洋人であり、それゆえに神道とも仏教とも縁が無い。そんな彼らがなぜ「侘び寂び」に強い関心を示すのであろうか? 

毎日を生きる上で非常に具体的な指針を与えてくれるとは言え、「侘び寂び」の基本にある理念は、simplicité(簡素)、humilité(謙虚)、retenue(慎み)、joie(喜び)、mélancolie(もの悲しさ)、beauté(美)、impermanence(無常)、spiritualité(宗教性)、vertu(美徳)といった抽象的な言葉で表現されるものである。なお、こうした言葉の全てに対応する単語は日本語にも存在するが、私の経験から言えば、日本人は抽象的な言葉をもてあそぶことを嫌い、もっと具体的な説明を好む。

国民が抽象的な言葉を大いに好むフランスとは対照的だ。これが教育の違いから来ていることは確実である。フランスではごく幼いころから、すなわち小学校の段階から、先生たちが子供たちに“決まりごと”よりも“モラル”について、日本ではよく耳にする“便利”よりも“美”について多くを語る。

一方、日本人には説明しがたいものは無理に説明しない、という見事な傾向がある。フランス人はそうはいかない。私の友人である三島夫人が私に語ったことがありありと思い出される。彼女はフランスで子供時代を過ごしたので、私たちフランス人のことを良く分かっている人である。

ある日のこと、私は彼女に「私たちフランス人のことをどう思います?」と尋ねた。以下は二人の会話である。

ー「私たち日本人はフランスが大好きですよ、フランス人、フランスの歴史、モリエールやルイ14世やドゴールといったフランスの偉人がね。でも、フランス人にはちょっと疲れてしまうのよね」

ー「そうなの(と言ったものの、私はそれほど驚いていなかった)。でもどうして?」

ー「そうね、皆さんフランス人はいつだって、全てを理解したいと望むでしょ。皆さんは、いつだって、全てに説明が与えられないと気が済まない。時々は、力を抜いて起こることをそのまま受け入れるわけにはゆかないのかしら? 何が何でも流れに逆らって泳いでやろうとするのではなく、川の流れに乗って下ってゆくように……」

以上の三島夫人の感想は、日本人と私たちフランス人との間にある根本的な違いのひとつを余すところなく説明している。同時に、自然に対する謙虚な姿勢、奔馬のように制御が効かぬ現代の物質主義に抗する慎みを本質とする「侘び寂び」の理念がなぜフランス人を魅了するかの説明にもなっている。

私たちは現代の過剰な物質主義に踊らされてひたすら消費を続けている。私たちはファッション雑誌に欲望をかきたてられ、クロゼットの中身がすっかり流行遅れになってしまったとの口実で、毎シーズン、新しいバッグ、新しい靴、新しいパンタロン、新しいスカートを買ってしまう。こんな世の中は狂っている、と認めざるを得ない。そして、多くの人はこのことを自覚している。ゆえに、「侘び寂び」は世界が待ち望んでいた答であり、「薬」となった、と言えるのではないか。

それに、世界は無意識のうちに「侘び寂び」を実践し始めた。“ビンテージ”の服を扱う店が増え、蚤の市に人々が殺到している。こうした「不完全なもの、時を経て摩耗したものの内に美を見出す」という傾向は、若者にも中高年にも浸透しつつある。

当然ながら、私たちフランス人にとって、「侘び寂び」的な生き方を実践するにはそれなりの努力ばかりでなく決意も必要だ。「侘び寂び」の倫理は私たちに、いつが選択すべき時であるかを知るばかりでなく、いつが選択を放棄すべき時であるかを悟ることも同じくらいに大切である、と説いている。後者は、三島夫人が言っていた川の流れに逆らわぬ生き方である。

そう言えば、ビートルズも1960年代の終わりに「Let it Be!(あるがままに)」と歌っていたではないか。

 (フランソワーズ・モレシャン)



 
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