やきもの

北宋汝窯 天青色

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se b0119674_16272474世界の至宝、『汝窯』汝窯青磁水仙盆
世界の至宝、『汝窯』汝窯青磁水仙盆



 世界の至宝 青磁「北宋汝窯」

「名品」といわれる芸術品には高い品格が要求される。
 とくにやきものは炎を潜り抜けたものだから、作り手である陶工は名利にとらわれず、豊かな心で楽しんで、かつ真剣に創ったものがおおい。
 その作品から作者の高い品格、そして一目でわかる感性豊かな作者の個性が読み取れて、素直に私たちを感動に誘ってくれる。

清の乾隆帝の時代(在位1735年10月 - 1796年2月)は文化が振興した時代である。

乾隆帝は満州族の皇帝ながら漢民族が築き上げた伝統的な書画・陶磁器をこよなく愛した。 
六十年間という長い在位期間に膨大な宮廷のコレクションを築き上げ、清朝崩壊後、その多くは台北故宮博物院、北京故宮博物院、上海博物館などに所蔵された。

また、自ら数多くの漢詩を作る文人皇帝で、気に入った陶磁器には御製詩がつけられた。  
その200首ほどの中に、20点ほどの汝窯関連の作品を詠んだ詩が刻まれている 
「趙宋の官窯は晨の星を看るごとし」と乾隆59年(1794)、84歳の時に御製詩に詠んだほど、 北宋の汝窯、南宋の官窯及びその系統の窯から焼かれた作品を 類まれな至宝だと称えている。

 越州窯は朝鮮半島の高麗青磁へも影響を与えたが、北宋初からの北方青磁の耀州窯、そして北宋中頃に興った臨汝窯、北宋末の汝窯などを開花させていく。

とくに明、清代の宮廷のコレクションの中でも特別扱いされたのが汝窯の青磁中国河南省宝豊県清涼寺の汝窯で北宋末に焼かれた青瓷は慎重に造った薄手のボディである。
そこに失透性の天青色といわれる藍色がかった粉青色の明るい青磁釉がタップリとかけてある釉調で、深遠な神秘性さえ感じられる青磁である。

 汝窯の伝世品は清朝が崩壊したときに流出し、現在は北京・台北の両故宮博物院をはじめ世界で七十点ほどと希少なもので、日本では東洋陶磁美術館所蔵の「青磁水仙盆」が知られている。

最も成熟して稼動したのは北宋哲宗から徽宗の20年間と思われ、宮中御用の定窯白瓷とともに宮廷の注文によって焼かれていた。
ところが、最近まで北宋末期の汝窯は、当時の都・汴京にあった汝官窯と考えられてきたが、その古窯址の特定ができずに謎につつまれていた。


 1950年、中国の研究者・陳万里が河南省宝豊県清涼寺に汝窯古窯址があると指摘し、1986年、上海博物館がこの古窯址に研究者を派遣し、表面採集により汝窯古窯址を確認した。

翌年から河南省文物考古研究所が六回に渡る調査の結果、2000年には五百平方メートルの発掘調査のため民家四戸を立ち退かして、実態そのものもが曖昧だった汝窯古窯址を突き止めた。
さらに汝窯は青磁以外にも、鈞窯風の濁青釉や磁州窯風なども焼かれていたことでP・デビット卿が唱えた「汝官窯」とはいわなくなったようである。

 皇帝の命により作られた汝窯の青磁釉は高台の畳付以外を総掛けする墊圏(テンケン・焼台・トチン)の支釘による支焼、そして総釉による支焼満釉は、底から口縁までの厚さは均等で、器全体に不透明な天青釉がたっぷり掛けられた。
 円錐形で底が細くなっている漏斗のような密封性のある匣鉢に入れて焼いた。

 さらに汝窯の多くは内型(内模)や外型(外模)によって成形されている。
これは宮廷御用品ということで卓越した技術に精密な寸法を求められたからだろう汝窯作品の多くは高台内側に多くの支釘跡があり、口縁と角の釉が薄い部分は淡い桃色を呈し、細かな貫入が入っている。

これまで汝窯で文様のある作品は伝世品では知られていなかったが、清凉寺窯址からは青磁刻花龍文瓶など各種文様のある陶片が出土し、青磁鴛鴦形香炉など高麗青磁の範となる作品も多く焼かれていた
「文様がほとんどない」という従来の汝窯の認識を改めることになった。


ki 133徽宗皇帝画「桃鳩図」
徽宗皇帝画「桃鳩図」


 宋の八代皇帝・徽宗は自ら絵画や書などの名手で文化事業を盛んにしたが、国政には全く無頓着だった。(治世を顧みなかったために、奸計にあい不遇の死を遂げる。)

このため、1125年、長男の欽宗を九代皇帝に即位させた。
翌年、中国東北地方から南下した女真族の建てた金の大軍が北宋の首都・開封を包囲、
1127年に北宋の首都・開封が占領されてしまう。

徽宗と九代皇帝の欽宗、そして妻の邢氏は金軍により北方に連れ去られる「靖康の変」が発生したことで宋が壊滅したかにみえたが、第8代皇帝であった徽宗の九男の高宗(欽宗の弟・趙構)が 南京(なんけい・現在の河南省商丘市)へ逃れ、ここで即位して南宋を建国した。

紆余曲折があったが、1132年にようやく浙江省の臨安(抗州)を首都に定め、漢民族本来の思想をもって宋王朝を引き継いだ。


 「北宋汝窯」解説 国立故宮博物院 大観より


 独壇の舞台

宋代は陶磁器が勢いよく発展した時代であり、各窯場は磁器の形、釉色、装飾技法、製作技術でそれぞれの優位性を備えていました。河南省宝豊県清涼寺の窯場で焼成された汝窯は、端正で上品な形と潤いのあるすっきりとした釉色により、数多くの青磁器の中でも群を抜き、宮廷御用達の磁器となりました。

汝窯磁器の釉色は極めて独特であり、緑がかった青色に、控えめに輝く淡いピンク色の光沢を帯びています。宋代の耀州窯や南宋の官窯、龍泉青磁とはまったく異なる風格を備えており、明清時代より観賞家の注目を集めていました。「天青色」も「雨上がりの空の青さ」、或いは「淡い青色」も、汝窯の凡俗を超越した色合いを形容するには物足りないほどです。同じように、汝窯の等級は表面に貫入が入ったものであっても、皺文様がまったく入っていない完璧なものであっても、観賞家にとってはすべての青磁を超える最高の磁器でした。


b5_4北宋汝窯青磁蓮花式碗北宋汝窯青磁蓮花式碗


 精緻な気風

汝窯磁器が使用されたのは、北宋哲宗から徽宗(1086-1106)の20年間でした。期間は短かったものの、作品からは国境を越えた交流の証が見て取れます。

イラン、エジプト及びガラス工芸が創意の源となった紙槌瓶は、11世紀初期ごろに中国に伝わりました。9世紀から10世紀にかけて流行した中東地域の紙槌瓶は、酒、油、薔薇水の入れ物として使われていましたが、陶磁器職人により模造された汝窯の紙槌瓶は、置物や賞玩物として使用されました。

漆器、金属器およびその他磁窯に同時に出現した蓮花式温碗は、特定期間内に流行した造形です。それは韓国の高麗青磁そのものであり、12世紀の北宋と高麗との間に陶磁器貿易が行われていたことを反映すると共に、「宣和奉使高麗図経」の記載の具現でもあります。同書には北宋時代に徐兢が韓国を訪れたことが記載されており、彼が高麗宮殿で目にした「越州古秘色」、「汝州新窯器」は、正に「汝窯」に存在していた磁器でした。

 皇家のマーク

故宮博物院に収蔵されている汝窯の磁器には、感動の物語が隠されています。時間は流れ、歴史は再現しませんが、汝窯の底部に刻まれた銘文は時空を超え、古いブランドの如く、私たちが記憶すべき流伝の経過をはっきりと刻み込んでいます。

青瓷碟は「奉華」の二文字が刻まれたことで、その名が知られています。南宋高宗の愛妃-劉貴妃の別名である奉華であったことや、かつて大小二つの方形奉華印を有していたことから、この作品が劉貴妃との関係を間接的に物語り、かつて南宋の皇室に収蔵されていたことを示しています。

底部に清高宗御製詩が刻まれた青瓷圓洗は、「趙宋は青瓷の窯場を汝州に設け、瑪瑙末を釉としたと伝えられる」の叙述から、この作品は乾隆帝が識別できた少数の汝窯の一つであり、18世紀の清代宮廷に収蔵されていたことを示しています。

 卓越した技術

汝窯の神秘でユニークな澄み渡る青空のような釉色については、宋代の文献に、汝窯には豊富な瑪瑙末が含まれていると記載されています。瑪瑙は石英の一種であり、二酸化ケイ素が沈殿したものです。釉薬の中に瑪瑙末を加えても、磁器の釉色、質感、貫入には影響しません。しかし、汝窯の生産地は瑪瑙が豊富であり、北宋時代にも採掘が行われた上、汝窯の表面に見られるきらきらと輝く淡いピンクの光沢から、誰もが瑪瑙が釉に加えられた結果であると思うでしょう。

磁器の完璧な質感を追求するため、数多くの汝窯は支焼満釉により焼成されています。これは制作時に底部の釘で本体と匣鉢を隔てるだけの焼成法で、磁器の変形を防ぐと同時に、釉薬を器全体にまんべんに行き渡らせることができます。完成した汝窯の底部には釘の痕がゴマ粒のように付いています。現存する汝窯の盤、瓶、碗、大きめの洗などの底部には五つの釘跡が付いており、小さめの洗と碟には三本の釘、水仙盆は五本、または六本の釘が使われていました。



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