書画・骨董

明代古墨

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00 a a k 程君房 明代墨 四神墨



 程君房と方于魯の古墨


00 a a k 程君房 明代墨a


 25年ほど前、手に入れた中国の古い墨です。墨匠として、羅小華(らしょうか)、方于魯(ほううろ)、程君房(ていくんぼう)など明代の人が有名ですが、これはいわゆるブランドで、今もその名前を冠した墨は無尽蔵に作られています。


00 a a k 程君房 明代墨


 これも彷古墨(レプリカ)ですが、表面に細かい氷裂紋が入っており、なかなか風格があります。

 墨は硯ですられて発墨してはじめてその値打ちが出るのですが、筆の揮毫力がいつも古墨の美しさについていきません。


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 古墨は、墨を擦るよりも鑑賞を楽しむ賞玩用で、ときどき手にとって眺めています。



 程君房と方于魯の確執


 程大約と方建元の製墨および墨譜をめぐっての争いは、双方が競って出版した「程氏墨苑」と「方氏墨譜」の序跋からある程度の事情を伺うことができる。両墨譜の序跋の読解には、中田勇次郎氏の先駆的な仕事がある。すなわち「方氏墨譜」と「程氏墨苑の研究」である。これによって、程君房(ていくんぼう)や方于魯(ほううろ)の略歴や、当時の両者の確執のあらましを知ることが出来る。

程君房と方于魯の関係を考える上で、両者の年齢の差を知りたいと思った。よく知られている事実として、方于魯が窮迫した際に、程君房が援助したという話があり、そう考えるとなんとなく、程君房のほうが年長であるかのようである。

中田勇次郎氏の考証によると、程君房こと程大約は、嘉靖四十三年(1564)に北京の大学へ遊学した際に二十四歳であったことが記載された資料があり、逆算すれば嘉靖二十年(1541)頃の生まれということになる。

以上から、程君房についてはある程度の生卒年が把握できている。問題は方于魯で、こちらが従来はっきりしたことがわかっていなかった。中田勇次郎氏の考証でも、卒年は萬歴三十六年(1608)であるが年齢は未詳。


00 a a k 程君房 明代墨 団龍刻紋


ところが最近、この方于魯の墓誌銘があることがわかった。程君房に比べて謎であった彼の生涯について新たな知見を与えてくれる。そこには方于魯の生卒年がはっきりと記されている。すなわち「建元名大滶,字于魯,后于魯墨入大内,因以字為名,更字建元。卒于萬歴戊申正月二十有二日,生嘉靖辛丑五月八日,春秋六十有八。」。

先に卒年をしるし、あとに生年を記述しているが、誕生の日付までも刻銘に記されている。すなわち、嘉靖二十年(1541)年に生まれ、萬歴三十六年(1608)に、六十八歳で死去したということになる。

ということは、程大約(君房)も方建元(于魯)も、その生年は同じ嘉靖二十年の同年生まれということになる。あるいは数え年で程大約が一年ほど前後しているかもしれないが、ほぼ同年齢ということは間違いないであろう。


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周知のように、方于魯ははじめ程君房の下で製墨を学び、のちに独立したとされている。方于魯が「方氏墨譜」を著したとき、程君房は自分が考案した墨図(墨型の図柄)を盗んだと激怒し、また対抗意識をむき出しにして「程氏墨苑」の大著を著わすのである。

さらに、方于魯が程君房の愛妾を横恋慕し、結婚してしまうという事件が起きるのである。
程君房の主観からすれば、窮迫したところを助けてやり、また秘伝の製墨法を教えてやったにもかかわらず、さっさと独立するや図案を剽窃して墨譜を出版し、さらにあろうことか妾まで奪うという、言語道断な男、ということになろうか。

いままでは方于魯が程君房よりもだいぶ若いということを、勝手にイメージして考えていたが、ほとんど同い年であるとなると方于魯にも有り余るほどの存念があったであろう。


00 a a k 程君房 明代墨 団龍刻紋b


既に詩人として名声があった方于魯であるが、一時窮迫して程君房の世話になったとはいえ、あくまで友人関係であって、主従のような上下関係をそこに認めていなかったのではあるまいか。同じような年齢であればなおさらであろう。いや、程君房のやや抑圧的な性格に、かえって反発を覚えなかったとも言い切れないのである。

若い頃から墨の研究を行っていた程君房に比べて、方于魯は後から製墨の世界に入ったと考えられていた。がほぼ同じ時期に製墨に携わったとすれば、それから数年後のともに三八歳前後の時に、方于魯が程君房の愛妾に恋慕する事件が起きている。さすがに両者はこのとき決別したであろう。


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程君房にしてみれば、100%自分が出資した会社の一社員の方于魯に、会社の資産であるデザインや製法を、好き勝手に使われては敵わないと考えるのも道理であろう。現代の知的所有権の考えからいっても、程君房の主張ももっともである。

程君房と方于魯の確執は、明代末期の文苑の巨人たちをも巻き込んで争われた、中国文芸史上の一大事件であった。現代からみると、かかわった人々の豪華絢爛な顔ぶれに大きな興味をそそられる。


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