雑学曼陀羅

信長の「蘭奢侍」

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00 a a ch 「蘭奢待」 真清田神社の蘭奢待




  真清田神社の蘭奢侍


真清田神社の宝物館の受付で「蘭奢待」の収蔵について尋ねてみると、なんと「2階に常設展示されていすよ。」とのこと・・・。他の博物館ならば、足繁く通って学芸員の方と知り合いになっても、最終的な開示の段階で館長から「蘭奢侍だけは・・・」と断られるケースも多かったものですから、本当に驚きました。

その後も親切な神社の方が、いろいろと故事来歴や伝承等について、資料を添えて説明していただきましたので、知見も含め「見聞録」としてご紹介したいと思います。

 信長が蘭奢侍を切る

天正2年(1574)3月28日に織田信長が蘭奢侍を切り取っているのは有名な話ですが、このことは『信長公記』(巻七)天正二年甲戌の記に詳しい記載があります。

  「蘭奢侍切り捕らるゝのこと」

三月十二日、信長、御上洛。佐和山に二、三日御逗留。十六日、永原に御泊り、十七日、志賀より坂本へ御渡海なされ、愛国寺に初めて御寄宿。

南都東大寺蘭奢侍を御所望の旨、内裏へ御奉聞のところ、三月廿六日、御勅使、日野輝資殿、飛鳥井大納言殿、勅諚(ちょくじょう)として、忝(かたじけ)なくも御院宣なされ、則ち、南都大衆頂拝致し御請申し、翌日三月廿七日、信長、奈良の多門に至りて御出で。御奉行、塙九郎左衛門、菅屋九衛右門、佐久間右衛門、柴田修理、丹羽五郎左衛門、蜂屋兵庫頭、荒木摂津守、夕庵、友閑、重ねて御奉行、津田坊、以上。

三月廿八日、辰の刻、御倉開き候へ訖(おわ)んぬ。彼の名香、長さ六尺の長持に納まりこれあり。則ち、多門へ持参され、御成りの間、舞台において御目に懸け、本法に任せ、一寸八分切り捕らる。御供の御馬廻、末代の物語に拝見仕るべきの旨、御諚(ごじょう)にて、奉拝の事、且つは御威光、且つは御憐愍(れんびん)、生前の思ひ出、忝き次第申すに足らず。一年、東山殿召し置かれ候已来、将軍家御望みの旁(かたがた)、数多(あまた)これあるとも雖(いえど)も、唯ならぬ事に候の間、相叶はず。仏天の加護ありて、三国に隠れなき御名物めし置かれ、本朝において御名誉、御面目の次第、何事やこれにしかん。

 【口語訳】

信長公は、天正2年(1574)3月12日に都に向けて出発し、17日に上洛を果たして相国寺に宿を取った。ここから内裏に東大寺の名香「蘭奢待」を所望する旨の奏聞を行ったところ、内裏は3月26日に飛鳥井雅敦、日野輝資の勅使を下し、東大寺に蘭奢待切り取りの院宣が下された旨を伝えさせた。勅諚を拝受した東大寺の僧衆は、蘭奢待の開封を認めた。

信長公は27日に原田直政・菅谷長頼・佐久間信盛・柴田勝家・丹羽長秀・蜂屋頼隆・荒木村重・武井夕庵・松井友閑・津田坊らの奉行衆を従えて奈良の多聞山城へ入った。

一方、東大寺では、28日辰の刻(08:00前後)に御倉が開かれた。かの名香は長さ六尺の長持に納められていた。香はすぐに多聞山城へ運ばれ、城中「御成の間」の舞台に据えて信長公や諸将のお目に掛け、古法に従って蘭奢待の香木から一寸八分(5.5cm)四方を切り取った。お供の馬廻までが「末代までの物語にせよ」との仰せにより拝むことができたが、これほど威光と哀れみ深さは現世の思い出として語り尽くせる物では無かった。

そもそも蘭奢待は、寛正年間に東山殿(足利義政)が切り取って以来、将軍家の所望が跡を絶たなかったものの、尋常では無い事柄なので、誰一人として許されることのなかった。このたび仏天の加護あって三国(日本、唐、天竺)に隠れなき名物を手にした栄誉や体面は、何事を以てこれに替えられるだろうか。


 有る物

真清田神社には、「蘭奢侍」が神社に伝わったことを確実に示す「奉納状」が展示・保管されています。これは、名香木の出所・来歴を示す「極め書き」と同等に扱って良いものと思われます。また、これが書かれた日付は「天正二年甲戌五月吉日」となっており、信長が蘭奢侍を切り取ってから程なくして、家臣に分け与えられていたことがわかります。


 「奉納状」 

信長五幾(畿)内まで自在の砌、多門(聞)山江御遊覧の時、南都大衆・神仁併せて馳走を為すと云う。蘭奢侍の名香、御神物としてこれを切り給えと云々。即ち、信長これを切る。其の少分、村井民部大輔貞勝に下さる。貞勝また関小十郎右衛門長安に分け下す。穢屋に安置し難きにより、即ち、当社明神に奉献するのみ 。

 関小十郎右衛門尉
天正二年甲戌五月吉日


これには、信長が五畿内(大和、山城、河内、和泉、摂津)を掌握した頃、奈良の多聞山に遊びに行った時、南都東大寺の僧衆がもてなしをするために、蘭奢侍を切ってはどうかと上奏したことになっています。先の『信長公記』では、上洛の目的がはっきりとは書いておらず、「遊覧中に東大寺側から切ってはどうか進められた」という穏当な記述になっています。一般的には「 信長は蘭奢侍を切るために向かった」とされていますし、「朝廷にも相当強引に迫って、強引に切り捕った」と の説もありますので、この点『信長公記』は、主君に配慮した記述となっているのかもしれません。

そうして、信長は切り取られた「蘭奢侍」の半分を禁裏に献上し、もう半分を「我等拝領」として家臣にも分け与えたようです。おそらく最初は、『信長公記』に列記された奉行と同等の側近に授与したものと思われます。村井民部大輔貞勝は当時「京都所司代」に任ぜられていたため、南都行幸の留守居役として残されたのかもしれません。 そのため、貞勝が「まるで多聞山遊覧のお土産のようなタイミング」で「蘭奢侍」を拝領したのは、各奉行への授与と同時期だったのではないかと考えられます

「蘭奢侍」を得た貞勝は、この小片を交友のあった一宮城主の関小十郎右衛門長安に分け下しますが、長安は「このような神物を俗塵に穢れた家に置くべきではない」と思い立ち、産土神でもあり、父親の長重が神主であった「真清田神社」に奉献したのです。このような経緯の書かれた「奉納状」が有る限り、ほぼ間違いなく「東大寺の蘭奢侍」がこの神社に存在したこと言って過言ではないと思います。

 有るような無いような物

しかるに、長安の「蘭奢侍奉献」から67年後の寛永8年(1631)、初代神主の佐分栄清の筆で書かれた『佐分栄清覚書』の中には「竹筒のみありて現物無し」と書き記され、それ以降、亨保18年(1745)三代目神主の佐分清円(きよのぶ)の書いた『真清探桃集』や延享2年(1745)『尾張国名跡略史考』にも現存しないことが明記されています。

時代を経て、昭和14年(1939)『一宮市史』には突如「長五分ほどの香木が現存している」と 記載が登場し、現在、その香木は佐分清円の子孫と見られる清起(きよおき)が「蘭奢侍」と箱書きした外箱、竹の供筒と一緒に宝物館の2階展示室に展示されています。

展示室で「蘭奢待」とされる香木を見せてもらいましたが、私が今までお目にかかった「蘭奢待」が正倉院の「黄熟香」とは似ても似つかない黒々と脂ぎった伽羅だったのに比べ、浅い褐色の色味で木筋の状態(木目の幅)も「黄熟香」らしい感じがして好印象を受けました。また、長さ五分程の 香木も「聞いてみなさい」と一*柱焚き用に分け下すのにふさわしい分量かと思いました。


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イシコロ収蔵の伽羅香木・原木 150g


  結論

江戸から昭和にかけて失われたことになっている「蘭奢侍」ですが、経済的基盤もしっかりした一之宮の神社が奉納された神宝を紛失・消費したとは通常考えにくいことです。江戸時代の真清田神社は藩主である徳川義直の庇護を受けており、義直が最も神社に関与したであろう神社の建替事業は、最初に清円が「無い」と書いた寛永8年(1631)と一致します。徳川家康も「蘭奢侍」を切ったとも伝えられるように、徳川家の「香木」に対する思いもひとかたならぬものがありました。そのような事情を神社が察して旧権威の象徴である「信長直系の蘭奢侍」を「隠して」保存することを考えたのではないかという仮説も成り立ちます。私は、時の神主が「蘭奢侍」を守るための処世術として「無い」と記録し つつも、「香木」は身内で保管していたのではないかと思っています。

世の中に数多ある「蘭奢侍」が、二、三人の来歴が記された極書や香包の表書だけを頼りに保存され、伝承されている現状からして言えば、信長の本拠地 である岐阜から近い土地で、信長から二手しか渡っていないという来歴がしっかりしている「奉納状」があるだけで、私は信ずるに足るものがあると思います。これに加えて、失ったのではなく隠した結果の「消失」であれば、なおさら正品が残りやす いわけで、後世の大名が自分の最高の持香に「蘭奢侍」と付銘してしまったものとは雲泥の差があると思います。


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香木の真贋は、今ではガスクロマトグラフィなどの「科学的鑑定」で検証可能なのですが、「蘭奢侍」は「秘すれば花」の香木ですので、神秘性や神聖性を守るため誰もそれはしません。

真清田神社は、奉納された事実に疑いの余地がないことや奉納した長安の志を大切にするため、敢えて「科学的鑑定」には付さない事としているそうです。それでも現物の保管経緯に確証がないため 、志有る善男善女の高覧に供し、先入観の無い純粋な目で見て感じていただくために、「有るような無いような物」という表現で、「蘭奢待」を守っていくとのことでした。




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