忘れえぬ光景

高鳳翰古硯 揚州八怪

 ←六曲一双屏風の白石道人は誰?  →「なんでも鑑定団」 馬脚暴露
s-DSCN7550 (2)



洮河緑石硯  東京国立博物館収蔵品



  高鳳翰古硯と揚州八怪



わたしは、中国の文房四寶・古書画をこよなく愛する骨董痴れ者である。

清朝・揚州八怪とゆかりのある書画骨董に執着したときもあった。
京都の骨董街にある赤井南明堂のショウウィンドウで古硯を観たときには、あまりのすばらしさに心臓が早鐘を打った。はじめて大枚を送金して購入した。

高鳳翰の収蔵古硯の銘が側款され、吉祥の蝙蝠(ヘンプク)と瑞雲を薄意彫りした洮河緑石硯であった。

中国原産チンシバイと高鳳翰収蔵の古硯がよく似合う。

茶花チンシバイ(珍珠梅)は、3日間の日がわりの開花状況を掲載したが、観賞限度は最後の一枚だろう。

*************



s-DSCN7557.jpg



 【高鳳翰 こうほうかん 】

 清・康煕22(1683)~乾隆13(1748)

中国,清代中期の画家。山東省膠州の人。字は西園。号は南村,晩年には尚左生,南阜,老阜。雍正5年(1727)孝廉方正にあげられ,官は安徽省歙県(しようけん)丞にのぼったが讒言(ざんげん)により退官し,のち揚州を中心に活躍した。草書,篆刻(てんこく)にもすぐれたが1741年(乾隆6)右手を風痺症で患って以後,左手で威勢のよい山水・花卉(かき)画をかいた。尚左生と号したゆえんである。詩集に《南阜詩鈔》があり,硯の収集家で著に《硯史》がある。

 若いころは地方史の編纂に従事した。雍正五年(1683)、膠州知州の黄之瑞により賢良方正に推挙され、翌年応試して一等に列せられ、安徽の知県を歴任した。乾隆元年(1736)に廬見曾の獄に連座して罷免され、翌年には右手が麻痺。揚州西城僧寺に寄寓して売画生活を送った。収蔵を好み、秦漢の璽印や明清の刻印、硯石などを蒐集した。揚州八怪のひとり、また四鳳のひとり。『南阜山人全集』。


s-DSCN7570.jpg



 【揚州八怪】

この時代の怪物の怪は傑物の意味で、悪い意味ではない。

中国,清の乾隆年間(1736‐95),江蘇省揚州で活躍した8人の個性主義的画家。金農,黄慎(こうしん),李鱓(りぜん),汪士慎,高翔(こうしよう),鄭燮(ていしよう),李方膺(りほうよう),羅聘(らへい)。そのほか,高鳳翰(こうほうかん),閔貞(びんてい),華嵒(かがん)らを加え,揚州派ともいう。

大運河の水利と塩取引による揚州の経済的繁栄を基盤に,豪商の庇護(ひご)を求めて集まった画家たちで,おのおのの画家が独自の画風・画域をもち,当時の文人画の典型主義から解放された自由奔放な制作態度に特色がある。



s-DSCN7578.jpg



スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 愛娘 Erika
もくじ  3kaku_s_L.png やきもの
もくじ  3kaku_s_L.png 余白の人生
もくじ  3kaku_s_L.png 忘れえぬ光景
もくじ  3kaku_s_L.png 文学・芸術
もくじ  3kaku_s_L.png 雑学曼陀羅
もくじ  3kaku_s_L.png 時事評論
もくじ  3kaku_s_L.png 教育評論
もくじ  3kaku_s_L.png 書画・骨董

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【六曲一双屏風の白石道人は誰? 】へ
  • 【「なんでも鑑定団」 馬脚暴露】へ