時事評論

『偏見と国防』の狭間

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アウシュビッツ強制収容所アウシュビッツ強制収容所




 『偏見と国防』の狭間


現代世界に蔓延し個人の判断を問われる、難民・移民問題と国防のための排斥運動。
単なる人道主義や徳義の難題として解決できないところまで来ている。
民衆解放と独裁制、戦争と平和、世界の歴史はいつもこの繰り返しである。

虐げられた人々が語る解放の歴史と支配者たちの歴史はいつも異なる。




愛されるよりも愛することの大切さ


母の愛は、なぜ持続する力があり、無償なのか?

それは、こどもに愛されるよりも愛し続けることが本能としてインプットされているからである。

若いときに、フランクルの「夜と霧」に遭遇した。

圧倒された。言葉がなかった。壮絶なる収容所の極限状況を受け入れるしかなかった。

わたしの魂の全霊を揺さぶり、人間性の深淵なる虚空を彷徨わせる書籍だった。

読後感想、書評など、ことばで表せる代物ではない。ただ打ちのめされただけだった。

今なお、こころの奥底の深層の泉に沈殿したままである。
悲惨な出来事、思いもしない逆境に出くわしたときに、ときどき、泉から顔を覗かせる。

今でも、そのときのメモを残している。


普通の人の人生

 フランクルは、本の冒頭で「私は、偉人や殉教者について書くのではなく、普通の人を書きたい。」と、言っています。収容所という異常な世界に、無理矢理連れて行かれた普通の人について心理学者として書かれています。

人生が何を私たちに期待するか

 何と言っても圧巻は、ジャガイモ泥棒の犯人を突き出すか、それとも1日絶食するかの選択で、フランクルのいる棟は当然後者を選ぶのですが、その夜の出来事です。棟の世話役が自殺を思いとどまらせるために、フランクルに話して欲しいと頼みます。生きるために収容所では、わずかな食料と睡眠だけで過酷な労働を続けなければなりません。

 少しでも病気などで働けないとすぐガス室に連れて行かれます。解放軍が来るという希望もないまま、高圧電流の流れる鉄条網に触れ自殺する人が後を絶ちません。そんな中、折しも発電機の故障で真っ暗な停電の中で話し出します。「私たちが生きることから何を期待するかではなく、むしろ、ひたすら生きることが私たちから何をきたいしているかが問題なのだ。」と、話すのです。


アウシュビッツ強制収容所 ダッハウ


生と死を分けるもの

 フランクルの場合、まず最初の日にガス室送りと強制労働の選別です。ナチス将校が、短い時間で左右に選別します。右がガス室、左が労働。ちょっとした将校の気まぐれで、左右が入れ替わることだってあります。次にフランクルは、アウシュビッツではない小さな収容所に行きます。その収容所にはガス室がありません。すこし死から遠のきました。強制労働が続き、病気で休めるとホッとします。

 病人用の医療棟に移るトラックは、実はガス室への移送でした。医師であることがばれて、医療スタッフとして働くフランクルに移送トラックに同乗する命令が下ります。みんなは、反対しますが、覚悟を決めトラックに乗り込みます。それは本当の病人棟でした。クリスマスに解放軍がやって来る。そんなデマが流れ、収容所内に希望が生まれます。しかし、クリスマスが過ぎ、正月になっても解放軍がやってきません。やって来るわけがありません、デマなのですから。

 しかし、1月過ぎてからばたばたと病気になって死んでいったのです。終戦間際、前線が近づき、ナチスは撤退の時収容所に火を放ち逃げるのです。何度も脱走の話があり、決意するのですが、病人を置いて脱走できないと断ります。脱走したメンバーは、つかまり処刑されます。ナチスが火を放つ前に解放され助かるのです。収容所が解放された時、フランクルの棟は生存率がとても高かったのだそうです。


人は何故生きるのか

 そのような状況の中で、フランクルは仲間に「希望のために生きるのではなく、ひたすら生き続けること」を、訴えるのです。話が終わった時にフランクルは、棟のみんなに心が届いたことを知りました。象徴的ですが、偶然にその瞬間に電気がつき、みんなの顔に涙があふれていたことを知ったからです。

 井上洋治著「人はなぜ生きるのか」の中にも、この箇所が引用されています。「死ぬまでの苦しみの人生の中から、何をまだ得ることが出来るかではなく、人生がこれからの生涯に何を期待しているのか。この発想の転換をできた人が、死に向かっての苦しみの中にも、なおかつその意味を前向きに背負って生きていける人なのだ」と。


愛する人

 心に残る箇所は数多くありますが、最後にもう一つ紹介したいと思います。フランクルだけでなく、収容所の多くの人が愛する人、特に配偶者のことに思いを馳せながら生活しているのです。労働に行く途中、空を見上げながら愛する人と結ばれている喜びを実感するのです。

 そして、フランクルは愛する人が生きているか、死んでいるかは関係ないことに気づきます。フランクル自身は、結婚してすぐ収容所送りになり、しかもその時点で妻はすでに殺されていたのです。そして最も重要なことは、愛されることよりも愛することの方が大切であることに気づくのです。



「夜と霧」ヴィクトール・フランクル
「夜と霧」のヴィクトール・フランクル 1950年代


ヴィクトール・フランクル 略歴 

ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905年3月26日 - 1997年9月2日)は、オーストリアの精神科医、心理学者。著作は多数あり邦訳も多く重版されており、特に『夜と霧』で知られる。

1905年ウィーンに生まれる。ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。

ウィーン大学医学部精神科教授、ウィーン市立病院神経科部長を兼任。「第三ウィーン学派」として、また独自の「実存分析」を唱え、ドイツ語圏では元々知られていた。フランクルの理論にはマックス・シェーラーの影響が濃く、マルティン・ハイデッガーの体系を汲む。精神科医として有名であるが脳外科医としての腕前も一級であった。

1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。
1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父親はここで死亡し、母親と妻は別の収容所に移されて死亡した。

フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、
1945年4月にアメリカ軍により解放された。その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、1971年まで勤務し、その間の1947年には再婚している。

強制収容所での体験をもとに著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上に渡って読み継がれている。発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテンに入った。また、新聞による「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」のアンケート調査で、翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。

極限的な体験を経て生き残った人であるが、ユーモアとウィットを愛する快活な人柄であった。学会出席関連などで度々日本にも訪れていた。



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