忘れえぬ光景

ダダイズム・サバイバル

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a 翡翠雕人物像a 清朝 1300000~ 高さ23.2 本体高19.1cm 650g 台103g





 ダダイズムとは 


長男と家族間無料のスマホ(イシコロのは老人用旧ケイタイ)で1時間ほど話をした。

わたしから観たら、まだ頼りない青二才と思っていたが、わたしの知らない現代用語を駆使して迫られ面食らってしまった。
どうせにわか知識だろうと思っていたらそうではない。彼なりに学習している。

ダダイズム芸術論から枝葉を伸ばし、敷衍してあっという間に時間が過ぎた。
仕事、子育てと多忙な中で、どこで学習時間を作っているのだろう?
親子で議論ができるようになったか、と思うとなんとなく嬉しくなった。

まさしく、息子・ダダイストのオヤジに対するダダイズム反逆論と捉えて頼もしく思えた。

いわゆる、分家・分派現象である。
平たく言えば、日本の歴史では、東本願寺、西本願寺、がわかりやすい。

地球上の人間もすべての生物も宇宙の構成員である限り、歴史、時代、場所を問わず、離合集散・分離統合を繰り返すのが宇宙の大原則である。

この現象は、政治、宗教、芸術、支配者の覇権争い、生物の世代交代・・・すべての分野で営々と敷衍(ふえん:展開の意味)する。

量子力学の「熱力学」におけるエントロピーの法則・・・拡散するばかりで元の状態にもどせない(エネルギーを復元させることのできない)「不可逆性」が存在する・・・と同じ現象である。

大爆発をくり返し、無数の新星を誕生させ、分離拡散するビッグバン、ブラックホール、その違いは膨大な天文学的寿命・周期(アストロノミカル・スパン)であろう。

宇宙から観たら、地球上の生物(人類も含めて)の命など虫けら同然である。
そんな狭い地球、島国根性(Insularity)の中でひしめきあう人類は、歴史上、時代・場所を問わず、いつも戦争、内乱、諍い、覇権争いを平気で繰り返している。
これが、「青い地球を急速に破滅に導く愚かな行為である」程度のことを知らない愚者はいるまいに。


a 二眼レフカメラ ローライフレックス


イシコロには、自然をリアルに具現する写実的芸術はまだ理解できるが、シュルレアリズムの芸術作品はよくわからない。

ダダイズムを興した、一次大戦中の芸術家たちの気持ちは手に取るように分かる。

1916年にスイスのチューリッヒの文学キャバレー「キャバレー・ボルテール」で始まった反芸術運動。第一次大戦の経験から、ここで芸術家や詩人達は、詩の朗読会や音楽会、パフォーマンスなどを繰り広げた。

そこでは、戦争の愚かしさやむなしさから生まれた既成概念を否定しようということが叫ばれた。
既成の政治体制や芸術の様々な意味や価値が解体され、芸術を特別なものと位置づけている価値観こそが、破壊されなければならないとされた。


s-DSCN4451.jpg


いつの時代もそうであるが、既成概念にどっぷり浸かって、模倣をくり返していては思想も芸術も進化・発展しない。
宇宙空間、地球・人間空間が急激に進化しているのに、ものの考え方、表現法も併行して変化しなければ、旧パラダイムにとり遺され、時代に葬られてしまうのが世のならいである。

既成の価値観を毀して、新たなパラダイムを創造しないかぎり国家も個人も亡びいくことを覚悟しなければならないだろう。
万物は流転するからである。


 近代の世界観への疑義の表明

20世紀に入るとヨーロッパの近代社会は自国の利益の増大を求める各国間に争いが生じ、第一次大戦へと突き進む。万全と思われた科学の世界観は各国の覇権競いの歯止めとはならず、ヨーロッパは第二次大戦による近代社会の崩壊に向かってひた走る。無差別の搾取、奴隷狩りに端を発する近代ヨーロッパ文明がたどりついたのは戦争という最悪の結果であった。

変質しつつある近代社会のうちから、こうした近代の世界観への疑義を表明し、現代美術への架け橋となる表現がダダイズムとシュルレアリスムである。その表現精神、かんがえ方が現代美術の萌芽を含むという点で重要である。


a 東大寺鴟尾


 ダダイズム

ダダイズムは1916年、第一次大戦を避けてスイス、チューリッヒに集まった前衛(アヴァンギャルド)芸術家たちによる近代の成果を否定し解体する反芸術運動である。
フーゴ・バルの文学キャバレー「キャバレー・ヴォルテール」がその拠点となり、前衛的な詩の朗読、音楽会、展覧会が催された。ダダイズムの運動は、芸術による一種の反戦運動として、ベルリン、ニューヨーク、ハノーバ、パリなどに同時多発的に広がった。個々の表現自体は、奇抜な格好で意味不明の詩を朗読するなど、その場かぎりのナンセンスなものが大半を占めた。

とはいえ、ヨーロッパ近代社会は強大な軍国主義の進展にあおられ、まさに沈みつつある巨大な客船、タイタニック状態にあった。さし迫った危機感、無力感にせまられた人々の表現が怒号や悲鳴のようになったとしてもいたし方がないという気はする。

しかし、科学の世界認識とそれにによって築きあげられた近代社会が人間の行くべき方向を踏み外したことは確かだったから、ダダイストたちの破れかぶれともいえる近代文明批判の表現は、時代に生きる人間として、人間と社会のあり方の本質をついた切実な営為であったと解釈できよう。こうしたダダの徹底したナンセンス、既成の価値観を根底から否定する精神は、デュシャンらによって受けつがれ20世紀現代芸術の基調ともなるのである。


a 米原子力空母「カール・ビンソン」


 シュルレアリスム

もう一つ、ダダイズムと同様、近代文明批判の要素を含み、アメリカ現代美術興隆の触媒的な役目を果たす表現運動がシュルレアリズムである。 1922年頃、パリのアンドレ・ブルトンらはダダイズムから分派しシュルリアリズム運動を起こす。

1924年ブルトンは「シュルレアリスム第一宣言」を発表する。その後、多くのシュルレアリストは第二次大戦、ナチズムの迫害を逃れアメリカに渡る。

シュルレアリスムは、フロイトが発見した無意識レベルに表現の源泉を求める。フロイトによれば、今まで人間精神の中心を占めるとされてきた理性(意識)は海面上にあらわれた氷山の一角に過ぎず、精神の大半は海中に沈む氷山のように意識下に没したまま、深層に潜む原動力として精神の働きに参画しているのである。

シュルレアリスムは、この無意識にあって通常では隠れたままの人間の欲望や夢を現実に引き出し表現しようというのである。その意味では、先にふれたピカソの表現は、シシュルレアリスムの先陣を切るものであったともみられるだろう。彼の縦横無尽のイメージ展開は無意識レベルとの連動なしには考えられない。

フロイトが提起した無意識レベルへの視点は、いきづまった近代自我による表現、近代芸術の限界を超える可能性を持つかんがえ方であったといえる。現代においてなされる表現は、多かれ少なかれ、無意識レベルへの視点を抜きにしては成り立たないといっても過言ではない。


a 空母「遼寧」


 近代芸術の終わり

ごくおおざっぱな時代区分と芸術領域の時代区分の見方を確認しておきたい。

現代という時代のはじまりは20世紀の初めとみる。それは、20世紀に入るとすぐにフロイト「夢判断」1900、アインシュタイン「特殊相対性理論」1904などの現代の世界認識を示す理論が発表されること、また1908年にはフォードによるT型フォードの大量生産が始められることが主たる理由である。この大量生産システムによって現代の社会システムが築かれることになる。

一方、近代の終わりは第二次大戦によるヨーロッパ近代社会の崩壊を区切りとしてみたい。したがって、20世紀の前半が近代と現代が重なり入れ替わってゆく時期ということになる。


次に芸術の時代区分についてである。

近代芸術の終わりはヨーロッパ近代の終焉と時を同じくしている。キュビズム、ダダイズム、シュルリアリズムが折り重なるようにして近代芸術は終わるのである。
その限界は絵画表現についていえば、画家たちが対象をいかに再現するかという絵画の再現性の要素から離れ得なかったことにあった。

では、現代美術はいつ始まったのであろうか。1912年の時点で、すでにデュシャンは「階段を降りる裸体No.2」を完成させている。デュシャンによって現代という新時代に呼応する表現がなされた時点で現代美術は始まったとかんがえたい。

そうすると、芸術においても近代と現代が重なった時期が想定される。その時期はちょうど二つの大戦の前後を含むあいだの期間であるだろう。この間に、芸術をはぐくむ場がヨーロッパの近代都市パリ(近代芸術)からアメリカ現代都市ニューヨーク(現代芸術)へ移る。


 ヨーロッパ近代文化・芸術のアメリカへの流入

ヨーロッパ近代社会は、第一次対戦、第二次大戦によって崩壊にいたる。その間、先端分野にいた科学者、文化人、芸術家たちの多くも戦火を逃れアメリカに渡った。
20世紀に始まるアメリカの大量生産システムは戦後一気に加速し、大量生産/大量消費システムが稼動する現代の記号化(情報化)社会を生むのであるが、ヨーロッパ近代文化の先端を担った人々の流入は、このアメリカ現代社会の構築に大きく寄与するのである。

50年代からのニューヨークのコンクリートとガラスによる機能的なスタイルの摩天楼建築は、ミース・ファン・デル・ローエやヴァルター・グロピウスらバウハウスの教授陣の渡米を抜きにしては考えられない。バウハウスの機能主義はアメリカの超合理主義的な考え方に願ってもない形で適合した。

人材の流入はアメリカ現代美術の興隆にも重要な影響を与える。

現代美術の先駆者の一人、ダダイストでもあったマルセル・デュシャンは1915年に早くもニューヨークに姿を現す。またシュルリアリストのアンドレ・ブルトン、ダリ、エルンスト、マン・レイらは第二次大戦の前後に大挙して渡米し、ヨーロッパに大きく遅れをとるアメリカ美術界を大いに刺激した。

ブルトンやエルンストらの高慢な態度は援助者のペギー・グッゲンハイムの怒りを買い、アメリカ独自の芸術を生み出す方向に走らせるという一幕もみられた。



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