書画・骨董

江戸切子の歴史

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 江戸切子の浅い歴史


高価で庶民の手が出ない江戸や薩摩の切子細工の歴史は浅く、明治初期である。


a 「江戸切子籠目霰文三段重」 日本 江戸後期~明治初期 19世紀


この手作りのカットグラスは、日本独自の美術品だと思っていたがそうではなった。
ガラスの製造技術は、ヨーロッパ(英国やボヘミア等)のクリスタルグラスが源流。


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日本人は、島国根性が強いから、外国の舶来文化でもすり替えて、本家・元祖を名乗りたがる狭量なお国自慢の悪癖がある。


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文化は呑吐なり、で四方に交流・伝播して、その国独自の気候風土に根付いていくものだから別に悪いことではない。

が、日本人の歴史が、徳川300年の鎖国政策で長崎以外は世界から孤立していたことで、情報不足による唯我独尊の浅薄思考がもの笑いの種となる。

第二次世界大戦の終結は、科学技術の遅れと指導者の無能により、『敗戦』に追い込まれたにもかかわらず、自国の意志で『終戦』という表現を戦後ためらいもなく使用しているのに似ている。

牛肉やコロッケの食文化も、明治の西洋導入の模倣文化をハイカラで西洋妄信によるのと同じことである。

この敗戦と西洋崇拝により、東洋蔑視のオリエンタリズムがいまなお蔓延り、日本人のアイデンティティを危うくしている。

この社会現象は、未だに虚勢を張る日本人の『恥と嫉妬』の文化を物語っている。


a 「薩摩切子菊文皿」 5枚 日本 江戸後期~明治初期 19世紀後半


先日、馴染みの骨董屋で、手にしただけで、掌がチカチカと切れそうに痛い感触を体験した。
古渡のボヘミアングラスの5枚皿を生まれて初めて触って観て感動した。




 江戸切子の歴史


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1834年(天保5年)に江戸大伝馬町のビードロ屋、加賀屋久兵衛(通称:加賀久)が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻で模様を施したのが始まりと言われる。加賀久は日本橋通油町の硝子・眼鏡問屋・加賀屋(通称:加賀吉)から暖簾分けし、切子も始めたとされる。

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1873年(明治6年)、明治政府の殖産興業政策の一環として品川興業社硝子製造所が開設され日本での近代的な硝子生産の試みが始まった。

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1881年(明治14年)には当時最先端の技術を持ったイギリスから御雇い外国人としてカットグラス技師・エマヌエル・ホープトマンを招聘し技術導入が行われ数名の日本人が師事、近代的な技法が確立され以後発展した。

このように江戸切子のルーツは長崎を窓口として広まった蘭学による江戸の硝子技術・職人、また薩摩切子廃絶に伴う技術の移転そしてイギリス・アイルランドのカットグラス技術等が融合していったのと考えられる。

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大正期から昭和初期(開戦前)にかけての大正文化・モダニズムの時代にカットグラスは人気となり、食器からランプにいたる多様な形で普及する(現在、和ガラスと言われるもの等)。第一次世界大戦に伴う産業構造の変化や素材の研究(安価なソーダガラスの素材等)やクリスタルガラスの研磨の技法の開発もあって、高級品の代名詞的存在となった。



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