余白の人生

「心華独笑」 「虎渓三笑」

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a [心華独笑]




  「心華独笑」 



「虎渓三笑」の故事に値するような友人が、加齢とともに一人また一人と鬼籍の人になっていく。

須らく人もまた限りある命、悉皆成仏系の存在たるを肝に銘ずべし。

よしや長寿競争勝者になりとても、あとにのこる余生は侘しくすさまじきものなり。


a [心華独笑]b


福徳長壽・長樂未央 よりも、「心華独笑」で生き永らえるしか残された道はあるまい。



 「心華」にして「独笑」

元末四大画家で僧侶・呉鎮の言葉で「それえは心華なり」宝僧録とある  
仏教で草木が雨露の恵みで花を咲かせるように、無明煩悩の心が仏陀の教えや修行で本然の光を放つ事
「独笑」 独り微笑む 心華独笑は悟りの境地
 


a 「虎渓三笑」 a-1 狩野山楽 桃山時代


 「虎渓三笑」


 話が佳境に入り夢中で話し込んでいると、思わず時の経つのも忘れ、自分たちのいる場所もわからなくなってしまうことがある。意気投合して、談笑するのを楽しむことわざ。

 出典は「盧山記」。儒、仏、道の三賢者が一同に合して話をしたところ、お互いにつきない興味を感じ、すっかり夢中になってしまったという故事。

 中国での浄土教の開祖である慧遠法師は来客を送る際、精舎の下の虎渓という谷川のところで足をとめ、そこを渡ることをしない戒律を守っていた。

ところが詩人の陶淵明と動家の大家である陸修静が来訪して、三者でそれぞれの専門分野について話し合ったとき、さすがに興が乗じて、慧遠法師は思わず「安呉禁足の掟」に従わず、虎渓を越えてしまい、虎のほえる声を開いて、初めてそれに気づいて、三人とも大笑いをしたげな。


a 「虎渓三笑」


 この三人の談笑して歩く姿と谷川の水の流れは、古い中国の掛け軸の画題として大変よく使われる。

 仲のよい友達と雑談して時のすぎるのを忘れるということは、とくに改まった話題がなくても、人生の喜びの一つだ。
 
 名僧である慧違法師や盧山の東林寺を舞台こして谷川や虎が登場し、名士がそろっているなど、このストーリーを詮索するといろいろ矛盾があります。この三人の名士は生きていた年代に違いがあり、架空の物語であるともいわれている。

 しかし、そのような事実関係を気にすることはなく、友人がダベリ合って時がたつのを忘れたということに十分共感できる。「孤独感に悩まきれる」「一匹狼として孤立している」それぞれ理由があるにしても、その多くの場合には、交際のプラス面とかメリットに関心がなく、他人とのつきあいも、ただなんとなくつき合っている程度であり、深い関係を持たないことが多い。


a 「虎渓三笑」 a 狩野山楽 桃山時代


 自分の仕事上の苦労話や家庭のトラブルなどについても、話をきいて、一緒になって悩みや問題点を共にしてくれる友人がいるというだけで、それを解決してくれたり援助してくれなくても、大いに救いになることがあるものだ。
 
もちろん、親友でありトラブルに直接介入して解決に努力してくれるのであればそれに越したことはない。しかし、長い人生を送って行く際には、たとえ実質的に支援してくれる能力がなくても、話を聞いてくれる友がいるだけで大いに助けられるものだ。

 孤独なニンゲンは、悩みや苦しみを胸のなかに抱きこんで、その悲しみや淋しさを増幅する。

「虎渓三笑」というほどでなくても、大いに語り合って鬱憤を晴らす友人がいるのはたのしいことだ。




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