文学・芸術
母の日本刺繍の形見

母の日本刺繍の形見

イシコロは、亡母が家政女学校の父(旧制大村中学二回生卒・長崎師範学校卒業・鉄棒器械体操の名手・剣道師範)との借金だらけの学校経営で、当時の女性の嫁入り教育(和裁・洋裁・茶道・礼儀作法・一通りのたしなみ)を網羅する諸芸師匠という一風変わった特殊環境に育った。

日本刺繡のプロだったので、幼少から美しい花々の刺繡や家紋(紋付の礼服着物には精巧な家紋を必ず入れた)を傍で数多く観察してきた。

父なき後は、母子家庭で、母の僅かな和裁教授の収入と奨学金で費用が安い国立大学を卒業することができた。
後年知り得たことだが、学費を捻出するために食うや食わずの生活が祟り、栄養失調で病気になったこともあった。
この話を思い出すと、今なお、母の偉大な恩愛に目頭が熱くなる。

MOTHER has made me what I am !:今日あるのは誰あろう母のおかげだ。

イシコロが、大和男児なのに、茶花・山野草好きなのは、我が生い立ちと母の遺伝子を継承していること間違いないようだ。
母が、形見にイシコロ宛に遺してくれた、どこに出しても恥ずかしくない日本刺繍の第一人者である晩年の遺作である。


尊敬する父の影響で、父の友人の書道家(宮内庁奉納書家:山下惠輔学人)の漢詩である。
毛筆のかすれまで詳細に模写し、写実的でまず刺繍作品とは誰も気づかない。
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