雑学曼陀羅

小野田寛郎元陸軍少尉

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 小野田寛郎元陸軍少尉救出作戦


0 c 小野田寛郎(おのだ ひろお)さん  


小野田さんの特集記録映画(90分)の再放送をETVで観た。


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当時は、あまり詳しく報道されなかったため、改めて見所のあるドキュメンタリー特集であった。


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一個人の救出作戦に、国家間の問題、賠償問題、莫大な費用が絡んでくるのは現在も変わることはない。
 


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 小野田 寛朗(おのだ ひろお)

大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、情報将校としてフィリピンへ派遣。20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、ルバング島の密林にこもって戦闘を続け、49年3月に任務解除命令を受けて帰国した。

 50年にはブラジルへ移住し、牧場を開業。平成元年には小野田自然塾を開設し、ルバング島での経験を基にキャンプ生活を通した野外活動などでボランティアの育成などに尽力した。近年は都内で生活し、国内各地で講演を行っていた。


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 小野田寛郎元陸軍少尉

 比ルバング島でジャングル生活
 終戦を知らなかった男
 フィリピン・ルバング島から帰還


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小野田さんは1942年に和歌山歩兵第61連隊に入隊。44年にルバング島に派遣され、情報員の任務を与えられた。

しかし、終戦を知らずジャングルに潜伏。51年に帰国した元日本兵の証言からその存在が判明したが、作戦解除命令がないことを理由に部下とともに山中にとどまっていた。74年3月、捜しにきた元上官らの任務解除命令を受け、山を下りて救出され帰国した。


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 小野田寛郎

 1922(大正11)年生まれ。元陸軍少尉。日米開戦後の44年12月、フィリピン・ルバング島に派遣され、以来30年間、任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続行。74年3月、作戦任務解除令を受け、51歳で日本に帰還した。

 翌年ブラジルに渡り、牧場を経営。その後、野外活動を通して子供たちに自立の大切さを説く「小野田自然塾」を設立し、講演活動などを続けた。

 2014年1月16日、肺炎のため東京都中央区の病院で死去した。享年91歳。

 写真は、フィリピン・ルバング島で救出された小野田寛郎元少尉(1974年03月11日)



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