やきもの

青手古九谷は 康煕墨地素三彩?

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青手古九谷 吉田屋窯



0 c 素三彩瓷板梅花鹿図挂屏・素三彩松下鹿瓷板掛屏 横28.5cm 縦47.5cm 厚さ2.5cm
清朝康煕墨地素三彩


0 c 素三彩瓷板梅花鹿図挂屏・素三彩松下鹿瓷板掛屏b 横28.5cm 縦47.5cm 厚さ2.5cm
清朝康煕墨地素三彩 


この素三彩の製法を模倣(継承した?)した、日本の古九谷手、古伊万里手が群を抜いて美しく、今なおまぼろしの磁器で賞玩に値する。

独自の文化だけでなく文化の混淆は美の世界を広げていく。
 


0 c 素三彩 康煕 黒地素三彩
清朝康煕墨地素三彩 

  



 青手古九谷 吉田屋窯


青、緑、黄などの濃色を多用した華麗な色遣いと大胆な図柄が特色の「青手(あおで)」と呼ばれる古九谷(こくたに)は、現代色絵に関心の薄いイシコロの審美眼をくすぐるものがある。

1600年代中期に花開いた色鮮やかな色彩の磁器は、多くの人を魅了したが、50年ほどで姿を消してしまった。一説によれば、色絵の本家である古伊万里の隆盛に圧倒されたのかもしれない。

当時は、海外との貿易において、長崎に近い伊万里が地理的にも技術的にも(秀吉が朝鮮出兵で多くの陶工たちを連れ帰った)条件がよかった。

東インド会社を通して海外に数多く輸出された色絵古伊万里の影響を受けた証は古九谷に数多く残っている。

古九谷は伊万里で焼かれたものであるという説が有力である。作品によっては、古伊万里なのか加賀の古九谷なのか専門家でも判別できないものがある。

このことは、下記の図録(東京国立博物館)がある程度説明しているが、吉田屋以前の古九谷については謎が残る。


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この色絵磁器を再興しようと豪商、豊田(吉田屋)伝右衛門が1824年に開いたのが吉田屋窯だった。吉田屋は代々大聖寺の豪商として知られた町柄町人で、大聖寺藩に多額の献金をし、名字帯刀を許され、豊田の姓を賜っていた。この四代 伝右衛門は、かつて素晴らしい焼物を焼いていた古九谷を復活させたいと、九谷の聖地である九谷古窯跡の横に窯をつくった。

わずか7年間光芒を放った後、吉田屋窯は廃窯したが作品は今なお、色絵磁器の宝石と讃えられている。

古九谷は特徴によって、「祥瑞手(しょんずいで)」、「五彩手(ごさいで)」、「青手(あおで)」などに分類される。「祥瑞手」は赤の輪郭線を用い、赤、黄、緑などの明るい色調で文様を描いたもの。「五彩手」は黒の輪郭線を用い、青、黄、緑、紫などの濃色で文様を描いた。

吉田屋伝右衛門が目指した九谷焼は古九谷の中でも、「青手」で青、黄、緑、紫などの濃彩で余白なく塗りつぶした様式のもので、絵も江戸後期としては非常に珍しく大胆な意匠。手作り、手描きの手間ひまを惜しまないものであった。

吉田屋伝右衛門が再興に心血を注ぎ、愛した青手九谷は、モチーフを強調する大胆な構図、厚く盛り上げられた濃厚な色彩の上絵の具、その下にびっしりと描き込まれた地文が、作品に躍動感を与え、古九谷様式の魅力を称えている。

深みのある色彩や、生命力あふれる力強いデザインは圧倒的と言える。今もその輝きを失わず、伝右衛門のほとばしるような情熱が伝わってくる。



kokutani 色絵酒宴図大平鉢 伊万里 古九谷様式 17C

kokutani 色絵牡丹文大皿 伊万里 古九谷様式 17C

kokutanai 吉田屋 20130113kokutani01



 
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