文学・芸術

「張り扇史観」 司馬遼太郎

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張り扇 kandaorine




司馬遼太郎の「張り扇史観」


若い頃、職場の休憩室に職員で出資した図書の書棚があって、当時人気があった司馬遼太郎の文庫本が相当数あって、時間をかけて全部読んだことがある。

学生時代は、論文やらかたい原書、青春のあそびで忙しく大衆小説を手にする時間がなかったので、ひまひまに読み出したら、漫画本のようにたのしく、食べ出したら止められないカッパエビセンのように病みつきになってしまった。書棚になかった作品は自分で購入してほぼ彼の作品を読破した。

芥川、太宰治、大江健三郎、高橋克己とは異なり大衆的で、とにかく理屈抜きでおもしろく知的で適度の色気と歴史訓、人生訓が織り込まれ、日本近代史の学習をしたような気分にもなった。かけ出し当時の多忙とストレスを癒すのには最適であったのだろう。

当時のメディアも大河ドラマを始め、彼を国民的歴史小説家として賞讃し、テレビに講演に引っ張りだこであった。死後ずっと現在もその人気は続いている。NHK、民放が競ってドラマ化し、その英雄をまるで一村一品の県産品のごとく抜け目なく宣伝活用している。

だが、あるとき彼の小説の主人公には、共通したパターンがあることに気づいた。

主人公に焦点(ハイライト)を当てすぎて(もっと平たく言えば、神格化し、英雄視しすぎて一人で大業を成し遂げたかのような錯覚を歴史に無学の大衆・読者に与えてしまう危険性というか)、それよりもっと重要な歴史的人物やその生き様がみえてこないのである。

そのせいか、読後感もさらっとしたもので、いつもなら心に沈殿するしこりとか底知れぬ人間愛や歓びという奥の深い感慨 =パトス・エロス・タナトス が涌いてはこなかった。

もっと露骨に言えば、彼は膨大な歴史資料を収集し、吟味・検証したのかもしれないが、もの書き(文学)に必要な読者の心を揺さぶり、とらえて離さない、美しい日本語のボキャブラリー(語彙量)と日本人の感性・情緒(愛郷心)が足りなかった。彼が明治維新を讃美して西洋化を大歓迎し、昭和を蔑視したときに知識人を疑った。

歴史とは、機械のパーツのように、過去、現在と切り離してとらえることはできない時空の脈絡である。

藤沢周平の愛おしくも心に遺る作品とは「ものかきの品格」においてあきらかに一線を画す。小説も書けないイシコロにもの言う資格はないが、文学や文章とはそういうものだと思っている。惜字亭(炉)の魂である。

同じ司馬でも、中国古典の司馬遷は、宮刑(宦官という屈辱)という恥を選択しそれを忍んで生きながらえ『史記』を遺した。勝者に都合のいい改竄されたデタラメな歴史上の記録より、屈辱と無念の死を遂げた敗者の生々しい記録を後世に伝えたかったのである。

歴史とは、いつの時代も勝者に歪曲された記録であって、歴史的現場を直接目撃することはできない。この意味では、ノンフィクションの歴史家は存在しない、と断言できる。

私にとって彼の小説は、疲れを癒す娯楽のための近代歴史テキ娯楽小説であった。とはいうものの、自分史の一ページになっているから、彼が一世を風靡した日本的国民作家であることはまちがいない。

フィクションはフィクションだから、純文学であれ歴史小説であれ、それはそれでいいと思っている。ただ、彼を近代史の歴史作家とみなすのは衆愚的で早計であろう。


司馬遼太郎は、わずか50年で、チョンマゲ「日本」を世界の一等国につくりかえた明治を称賛し、大平洋戦争をひきおこした昭和を愚であると豪語している。これは彼の狭量で個人的な近代史見解に過ぎない。歴史は数式通りではなく、もっと魑魅魍魎でバタフライ効果的展開をする。要するに、先の予測は誰にもつかないということである。

講談師が高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる様子に酷似している。

日本の近代史を十把一絡げにして講談を演じるような「張り扇史観」的大衆娯楽小説を信頼することは危険であり、幕末・明治・昭和の内戦や大戦で犠牲となった夥しい数の英霊に対してあまりにも罪深い、とまで思える。

大河ドラマ「八重の桜」で、勝てば官軍の薩長に対して「負ければ賊軍」の悲哀を感じた人も多いだろう。

次の、半藤利一の「幕末史」を読んでもそう思った。



半藤利一 「幕末史」 (新潮社) 


 1868年の革命を、いまは誰もが「明治維新」と立派そうに言うけれども、それは薩長の軍事クーデターで、テロと暴力で築かれた体制であった。当時の薩長の志士たちは徳川を倒すことだけが目的で、新政府の構想などまったく持っていなかった。ただやみくもに徳川打倒に走ったので、戊辰戦争という無駄な流血戦争があったという。

 「上からは明治だなどといふけれど、治まるめい(明)と下からは読む」お偉い人は明治だとさかんにいっているが、下々の人から見ると、これでは治まるまいとからかっている当時の狂歌である。

 こんなさめた見方の「民草」たちを、薩長政府は「王政復古」、「王政御一新」と天皇という名分を掲げて革命の有難味に無理解な民草を教育してゆき、暴力革命を正義に置き換えて大義名分としたのである。

 歴史を一人の英雄が創り出したような「英雄史観」があるが、著者はこのような史観をとっていない。もう鎖国や攘夷では世界では生きてゆけないグローバルな時代を見定めていた勝海舟などの活動が語られていておもしろかった。勝海舟は幕府側でありながら、つねに世界の流れをみつめていて、大名の参与会議などをプロデュースしてきた炯眼を著者は高くかっていた。攘夷に凝り固まっていた薩長志士たちよりも、開明的な政治家は幕府側に多かったのである。

 また、山県有朋が明治11年につくった日本軍隊の基本となる「参謀本部条例」をあげて、「国の基本骨格のできる前に、日本は軍事優先国家の道を選択していた」ことを指摘している。「参謀本部条例」は、参謀本部長に「統帥権」を認めたもので、以後の軍人独裁のもとを定めたものである。司馬遼太郎は小説「坂の上の雲」で、明治の軍隊を輝かしく描いたが、その明治の軍隊にすでに亡国の因子が含まれていたことを忘れてはならないだろう。

 歴史学者・友田昌宏が「戊辰雪冤」(講談社現代新書)で明治新政府の薩長藩閥政治をくわしく書いている。米沢藩士・宮島誠一郎が戊辰敗戦の屈辱のなかで名誉回復の努力をかさねて、明治政府の国憲や国会成立のもとをつくる功績をたてるのだがその功は報いられず、ついに政府の中心に入ることが出来なかった「千万忍耐」を書いている。明治政府の薩長閥の厚い壁と、敗戦の屈辱を新国家建設に捧げた青年の情熱を描いている。幕末史を語るのに欠かせない一冊である。

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