時事評論

ナショナリズムとグローバリズム

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 化石化するナショナリズム


グローバル化とナショナリズムは一見正反対のように見える。グローバル化は基本的には経済をめぐる現象であり、ナショナリズムのほうは政治的な現象だという違いはあるけれど、グローバル化が進めば国境の壁が低くなり、したがってナショナリズムも弱くなるのではないか。というのも、ナショナリズムとは基本的には国境の壁があることを前提にした現象だから、今後、グローバル化がいっそう進んでいけば、国境の壁が低くなることでナショナリズムはいよいよ足場を失い、「世界はひとつ」に向かって進んでいくのではないか。こんな期待が生まれるのも無理ではないように思える。

しかし、ことはそう簡単ではないようだ。グローバル化の進展によって、ナショナリズムは弱まるどころか、かえって強化された側面も認められるからだ。というのも、グローバル化の進展が本格化したのは冷戦が終わって資本主義が唯一の経済モデルになって以降のことであるが、この時代はグローバル化が進行する一方で、地域的な紛争が一段と深刻化した時代でもあった。そして、そうした紛争の要因となっているのが、ほかならぬナショナリズムだったといえなくもないからだ。

こうしたナショナリズムの例としては、キリスト教圏に対抗するイスラム圏の自己主張といった文明の衝突を思わせる壮大なものもあるが、多くは局地的な紛争というかたちをとった小規模なものが多い。最近では、ロシアとウクライナの衝突に垣間見えるナショナリズムの動き、アメリカ流の帝国主義的ヴァンダリズムに対して自国の文化を守ろうとするフランス流のナショナリズム、台頭する中国を意識した東南アジア諸国でのナショナリズムの動きなどがあげられよう。日本の安倍政権によるナショナリズムの煽動も、中国を強く意識したものだ。

これらをざっと見回してみると、20世紀前半におけるような国家規模のナショナリズムの衝突という印象は受けない。20世紀前半までは、それぞれの国家が、それぞれの国益をナショナリズムというかたちで表現してぶつかりあったわけだが、今日では、国と国とがそれぞれナショナリズムを掲げてぶつかり合うということはあまりない。ナショナリズムはいまのところ、対外的なプロパガンダの手段として機能しているというより、国民統合のエンジンとして機能している側面が強いのだと思われる。

ナショナリズムはもともと国民統合の機能を中心とするものだ。それなら、いま現在世界規模でナショナリズムの高揚が見られるということは、いまの時代は冷戦終了前よりも国民統合への希求が高まっているのだろうか、という疑問が湧く。

或る程度そうなのだろうと思えなくもない。冷戦終了後のグローバル化を担ったのは世界規模での新自由主義だが、新自由主義は資本による無制限の金儲けを神聖視したために、世界中に格差拡大をまん延させ、またさまざまな国民の文化的なアイデンティティを脅かした。それに対して、さまざまな国民が異議申し立ての動きをするようになり、それがナショナリズムというかたちをとったのではないか。それゆえ、今日のナショナリズムは国家間の対抗の論理というよりは、グローバリズムへの対抗論理であるという側面が強い。


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グローバル化の最大の受益者は、主に米英を根拠にする国際金融資本である。かれらにとっては、金儲けをするのに国境の制約があってはならないし、また、各国の国民の福祉よりも自分たちのビジネスの都合が優先されるべきなのは言うまでもない。こうした自分勝手な行動様式は、弱い立場の国民の目からすれば、欧米の金持ち国による新たなかたちの帝国主義だと映るのも無理はない。それがナショナリズムとなって、反グローバル化の動きにつながるのだろう。

だがこうした新たな形のナショナリズムは、かつてのナショナリズムのような暴力的なかたちをとることはあまりない。ナショナリズムは、対外侵略のエンジンとなるよりは、国民国家における民主主義の実現へ向けての土台になっているケースが多い。国民国家にとってグローバル化は、民主主義を脅かすものであり、ナショナリズムはそれへの対抗軸として、民主主義的な機能を期待されるようになっているわけである。

これは、なかなか面白い現象だといえる。かつてナショナリズムといえば、右翼的な現象だとされてきた。たとえば外国メディアが日本の安倍政権をさして「ナショナリスティック」と形容することが多いが、それは「右翼的」という意味で使われているのである。ところが、その「ナショナリスティック」という言葉が、左翼的というイメージで使われるようになったわけである。

こうしてみると、経済を中心にしたグローバル化の動きは、政治的な局面においては、左右の対立軸の転換をもたらしているのだということがわかる。

だがグローバル化の流れ自体は、もはやとめられるものではないだろう。問題は、グローバル化によって諸国民の民主主義が形骸化され文化的アイデンティティが脅かされることである。たとえば、グローバル化の名の下に、欧米圏の価値観をイスラム圏に押し付けるようなことがまかりとおれば、それは深刻な対立をもたらすことになる。(最近のロシアのナショナリズムも、グローバル化の名の下に、西欧がかつてのソ連構成国を次々と囲い込み、ロシアを孤立させようとしているとの懸念に動かされているようでもある)

よくよく世界の歴史を振り返ってみると、ナショナリズムというのは、世界の状況を把握できない支配者が、私腹を肥やしながら、独裁体制の下で洗脳と煽動によって国民の民族意識を駆りたてた事例が多かったことは否定できないようだ。
いずれにせよ、グローバリズム対ナショナリズム(狭角的には、ローカリズム)という旧パラダイムの図式が崩壊して、新たな価値観が世界に広がりつつある。良し悪しは別として、その中軸にあるのは経済戦略であることに変わりはない。



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