忘れえぬ光景

ふるさと

 ←ナショナリズムとグローバリズム →アンフォラ 埋葬用甕
s-DSCN4797.jpg




 室尾犀星 ふるさと


ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


(現代語訳)

ふるさとは遠くにあって思うもの
そして悲しく歌うもの
例え
落ちぶれて 異土の乞食になったとしても
帰るところでは無いだろうなあ
ひとり都の夕暮れに
ふるさと思い涙ぐむ
その心をもって
遠いみやこに帰りたい
遠いみやこに帰りたい
故郷を離れて旅に出た男の詩。


 落ちぶれて 異土の乞食になったとしても 帰るところでは無いだろうなあという部分と遠いみやこに帰りたい 遠いみやこに帰りたいという部分が矛盾していますね。地元を離れて一人暮らしをした若者は「出たからには一人前になってからじゃないと、家族に申し訳が立たない 意地もある」という気持ちと「寂しい、帰りたい。家族に会いたい」って気持ちの葛藤に苛まれることがあるのではないでしょうか。
「どんなに落ちぶれてもそれでも帰れない」と言いながら「帰りたい」を2回も繰り返すその全く正反対の言葉が、想いの複雑さ、深さを感じさせます。

 この詩が室生犀星自らの感情を詩にしたものかどうかは解りませんが、彼は当時まだ名もそこそこしか上がらない20代で、若さゆえに「詩人になりたいんだけど、とにかく上京すれば文才がつくような気がする!」という理由で東京に来たものの、もちろん文才がいきなり上がるなんてことは無く、ひょっとしたら本当に落ちぶれて 異土の乞食になることも考えたかもしれません。

 作詩者は、「ふるさと」から捨てられた幼年時代を過ごしたと言っても過言ではありません。
室尾犀星は60歳の父親と20もあるか無いかの若い女中との間に生まれました。父親は剣術の名手で道場を構え、年が27も離れた兄は学校の校長先生をしていました。

 この家族がとても体裁を重んじる人達で、「こいつが父親と40も離れた女との子供だとバレては一族の名誉に関わる。そうでなくとも、27も離れた弟がいるなど、長男の為にも良くない」と、何と室生犀星は生まれてまもなく捨てられてしまいます。犀星さんは母親の顔を見たこともありませんし名前も知りません。
 
 赤井ハツという女性に貰われるのですがこの赤井ハツがまた曲者で、赤ん坊を引き受けるのと引き換えに大金をせしめる生活を普段行っており、むしろお金目当てでの子育てをしていたのです。ハツの暴君ぶりに怯えながら、子供なのに親から愛撫されることは一切なく、何か言いがかりを付けられてはただ働きを強要させられる、地獄の幼年時代を送っていたのです。

 昔も今も変わることはありません。むしろ昔のほうがよかったのかもしれないのです。
現代は、昔と異なり、男が落ちぶれるということは、稼ぐ能力がなくなったことを意味します。
これは経済的に金銭能力があるということとは別物なのです。

 よほど立派で大和ナデシコの奥さんに恵まれない限り男の人生とは哀れなものであることを知らなければなりません。
子孫を残そうと残すまいと、有名・裕福になろうとなるまいと、生物学的にオスの生涯は動物界の自然を観察したらおわかりでしょう。男尊女卑、女性蔑視の国はもう終わりました。

 かなしいことに、これからの世の中は、このことが加速されると思います。


現代は、「忘れがたきふるさと」は通用しない時代かもしれない。

根無し草のように、「忘れてしまいたいふるさと」に変貌している。

ふるさとを美化しているのは、国策、学校教育、メディアだけかもしれない。



 
スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 愛娘 Erika
もくじ  3kaku_s_L.png やきもの
もくじ  3kaku_s_L.png 余白の人生
もくじ  3kaku_s_L.png 忘れえぬ光景
もくじ  3kaku_s_L.png 文学・芸術
もくじ  3kaku_s_L.png 雑学曼陀羅
もくじ  3kaku_s_L.png 時事評論
もくじ  3kaku_s_L.png 教育評論
もくじ  3kaku_s_L.png 書画・骨董

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【ナショナリズムとグローバリズム】へ
  • 【アンフォラ 埋葬用甕】へ