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越王句踐世家・范蠡列伝

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 「越王句踐世家・范蠡列伝」


 范蠡その後の物語


越王句踐の「会稽の恥」をすすぐことに全力を投入し、目的を達成した范蠡の、その後の出処進退がおもしろい。おもしろいと言うより、見事である。

范蠡は目的を達成すると、越王句踐を見限り斉に出奔した、句踐は彼を惜しみ「帰ってくれば、越の国の半分を与えよう、さもなくば、殺す」と斉にいる范蠡に使者をおくったが范蠡は聞き入れなかった。句踐とは、戦乱の世の、苦楽、辛苦は、ともに過ごすことはできるが、「飛鳥尽きて良弓蔵われ、狡兎死して走狗煮らる」太平の世では共に過ごすことはできないと句踐の人物を見ていたのである。

この諺にまつわる物語は「淮陰侯列伝」要するに、股くぐりで有名な韓信の物語にも出てくるが、韓信は、この諺をひいて「だから今このとき、劉邦を攻めろ!」と進言する腹心カイトウの言うことを聞かず劉邦を亡き者にする千載一遇のチャンスを失い、なおかつ、引き時を間違って、とうとうは劉邦の后、呂后によって殺される。

范蠡は斉へ海路渡り、鴟夷子皮(しいしひ)と名乗り、その地で巨万の富を蓄えた。この鴟夷は馬の革袋のこと、鴟夷で包まれ長江に投げ捨てられたかってのライバル伍子胥を偲のんでのことは自明であって、彼の死を惜しんでのことであっただろう。

その後蓄えた富を散在して彼は次に、交易の要所、陶(とう)にいき、朱公と号し、再び巨万の富を蓄えるのである。そしてまた、全ての財を、貧者に分け与えたという。

范蠡は伍子胥のように悲惨な最期を遂げることなく、商人として事業に成功し、陶で静かに天寿をまっとうするのである。

この陶の時代に范蠡に悲しい出来事がおきる。


zzz 司馬遷 史記列伝a


范蠡には三人の息子がいた、次男が旅先の楚で殺人事件を起こし獄中の人となった。范蠡は、末の息子に巨額の金を持たせ、次男の釈放に向かわせようとしたとき、長男が「是非、自分に」と申し出たので、長男を差し向けることとなった。ところが、范蠡の心配したことが起きた。釈放にあと一歩となったところで長男は金を出し惜しみ、釈放に失敗し、次男は楚の獄中で殺されてしまったのである。

范蠡は、末の息子ならば、金の苦労を知らず、いくら金を使っても平気であろうが、父とともに、金を蓄える辛苦をともにしてきた長男では、いざの時、金を出し惜しむのではないかと、心配し、末の息子を使いに出そうとしたのであった。


zzr 花:射干玉・雄山火口・山香ばし 器:李朝石器


古代中国で、希代の美人と言われる西施(せいし)その美しさは「西施捧心」の物語があるほどである。会稽の恥をすすごうと、越王句踐は、呉王夫差に美女を献じた。この美女が西施であった。呉王夫差の寵愛を受けると、西施はさまざまな無理難題を呉王に求め、国政はおろそかになり呉の国力は疲弊した。

呉が越に滅ぼされた後、もともと情を通じ合っていた范蠡と西施は、五湖に舟を浮かべて漕ぎ出し行方不知になったと言われる。二人の行き先が斉であったかどうかはだれが知る由もない。美女と巨万の富、范蠡は果報者。



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