文学・芸術

春は鉄までが匂った

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 春は鉄までが匂った

 小関智弘


 文明の行きつくところ。

 それは、手、足、口、五感をもぎ取られた人間喪失しかない。



 晩聲社 1979  現代教養文庫 1993  ちくま文庫 2004


 朝は飯と味噌汁を二杯ずつ。まちがってもパンと牛乳では朝を送らない。「アメリカ女を女房にしたおぼえはない」からだ。昼は27年間を手弁当で通し、ひたすら町工場に通った。相手はたいてい鉄だった。

 東の横綱が大田区である。西の横綱は東大阪だ。どちらにも、町工場が密集し、いまも超ハイテク部品からローテク機具を作っている。小関(こせき)智弘はその大田区の魚屋に生まれ(途中で廃業)、12歳で敗戦を迎えたときは指で押すとべこべこ音がするトタン屋根のバラックから学校に通っていた。工業高校を出てからは旋盤工として、品川・馬込・大森・糀谷(こうじや)・六郷・下丸子などの町工場を転々として、その大半を手弁当で送った。

 昭和40年代、大田区には3000をこえる町工場がひしめいていた(数え方によるのだろうが、いっときは1万以上あったようだ)。大田区はB29の爆撃で海寄りの地区が壊滅し、そこに戦後の零細工場がトンテンカン・トンテンカンと次々にあらわれた。日本の戦後復興を支えた京浜工業地帯の未曾有の急成長は、この大田区の町工場の下請け技術によるものだった。

 数人からせいぜい十数人の職人の現場。鉄が唸り、ベルトが回転し、グリスが滑る。高度成長とともに機械部品の需要は一挙に膨れ上がっていった。そのたびに熟練工が腕を発揮する。

 しかしそうした町工場は、町工場に下請けを発注する親企業が合併したり代替わりするたびに、だんだん打撃を受けることになる。そこにME(マイクロ・エレクトロニクス)が登場してくると、有能な職人をかかえた町工場はだんだん歯抜けになっていった。日本特殊鋼が大同製鋼に吸収合併されたとき、小関がいた町工場があっけなく潰れた。小関はそこに12年間、NC旋盤工として働いていたのである。

 小関の前途はどうなるかわからなかったが(ずっとそんな日々だったようだけれど)、一貫して旋盤工であることを誇りにしてきた小関は鉄粉を浴びる日々のなか、ひそかに「文章による町工場」を生まれさせていく。仲間を募って『塩分』という文芸サークルも立ち上げた。それがかつて誰も綴れなかった「町工場の職人リテラシー」の開花になった。


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 春は鉄までが匂っていた。

 きっとそういうことがあるんだと思う。ぼくがそれに少しだけ近いものに包まれたのは、28歳で世田谷三宿の6畳4畳半の三徳荘を選んだときだった。

 アパートの真ん前が道路を挟んで塀をめぐらせた山元オブラート工場で、高い煙突が立っていた。中を覗いたことはないが古い煉瓦とモルタルの工場が何棟か並んでいた。毎朝毎夕、その佇まいを見るだけで嬉しくなっていた。隣が小さな一軒家ふうの町工場である。夕方6時近くまで黒いベルトがごとごと回って、鉄製の古い機械がゆっくりがちゃこん・がちゃこんと動いていた。親方と職人2人しかいない。町工場というより町屋工場だった。

 逆隣りは小さな空き地をおいて小さな老夫婦の魚屋で、その2軒先にプロペラ飛行機乗りでもある栗原清司の床屋があった。ぼくはこんな界隈に囲まれた三徳荘で「遊」を構想した。あとにも先にも、坊主頭になりたくなったのは、三徳荘にいたときだ。

 あまりにも貧乏だったので夏はソーメン、冬は稲荷ずしの日々だったけれど、たまに近くの定食屋に行ってアジフライ定食を食べていると、たいていオブラート工場の職人や鉄工所の職人がやってきて、強烈な口と腕っぷしでと何品かのおかずと丼めしと味噌汁をほうばっていた。春は鉄も男も黙々と匂っていると感じられたのが、このときだ。

 1968年前後のことだった。あのころの日本には、町のそこかしこに「力」と「音」と「体」があった。ぼくを育てた活版印刷屋の「色」があった。すべて電話器は固定になっていてコードを引っぱるしかなく、葉書は手で書いてポストに入れるしかなかった。どんな手立ても「場」をもっていたのだ。ここにはどうしても失ってはならないものがあったはずである。

 ところが、この失ってはならないものが取り戻せなくなっている。だとしたら、これからの日本はコージョー(工場)ではなくコーバ(工場)によって、シジョー(市場)ではなくイチバ(市場)によって力を蓄えるべきなのである。職人もコーバやイチバで何か根本的なものを取り戻さなくてはならない。まずは小関智弘を読まれたい。(by 松岡正剛)


 小関智弘

1933年東京・大森生まれ。都立大学付属工業高校卒。高校時代より文筆活動を行い、18歳から大森・蒲田の町工場で働く。『羽田浦地図』『祀る町』で芥川賞候補、『錆色の町』『地の息』で直木賞候補。



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