文学・芸術

女性恐怖と快楽敵視(1)

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雲海01




女性恐怖と快楽敵視 ―資本主義(略奪と搾取)の発生源―


 「宇宙サミット」のなかで、次のように述べた。

寄生虫のように資源を食い荒らし枯渇させながら繁殖する人類は、粗大ゴミと二酸化炭素を吐き出す以外には、自然に返したものは、ほとんど何もない。資本主義の恩恵にどっぷりと浸かった先進国では、死人の肉や骨さえも、土に返さない始末である。

つまり、自然界の(食物)連鎖を遮断するような行為が資本主義によって加速され、地球が悲鳴を上げているということである。

このまま行けば、資本主義経済が衰退し終焉が速まるのではないかと、危惧する学者たちも多い。

資本主義とは、いつ、どのようにして生まれたのか、友人の研究者の話を参考にしながら、まとめてみる。



資本主義(略奪と搾取)の発生源がゲルマン民族の女性恐怖と快楽敵視にある、
と考えるのはひとつの視点として実に興味深いものがある。

いつものように、純粋理性批判で問題を解決することは危険であるが、理性とは別物の様々な要素が複雑に入り組んで歴史を構成しているとみている。

私見として、結論を先に(演繹的に)述べてみると、

世界の三大宗教は、なぜ女性敵視、蔑視したのか。その理由は、女性の根元的、神秘的、肉体的魅力=魔力を抗いがたいものとして、恐怖したからである。
イスラム教と女性蔑視については、すでに「女性観」で触れた。

男(雄)は、戦闘に役立つ瞬発性、腕力は勝っても、持続性、包容力で女(雌)に劣る。この脆弱なXY遺伝子であることを本能的に察知しているからである。500万年後には、XY遺伝子は淘汰され有性生殖から無性生殖の時代が訪れるという研究報告もある。
女性蔑視はその裏返しといってもよい。

女のからだのなかには、百匹の虫がいる。つねに苦しみと悩みとのもとになる。この女の身体は不浄の器である。悪臭が充満している。また女の身体は枯れた井戸、空き城、廃村のようなもので、愛着すべきものではない。だから女の身体は厭い棄て去るべきである。[田上 太秀:仏教と性差別―インド原典が語る]

このように、仏教が女性を不浄視するのは、「もしも女が臭くて汚いなら、性欲が起きなくてよいのに」という願望をみたすためである。仏教の教義には、こうした、実現の願望を願望の実現に摩り替えるトリックがたくさんある。

もう一つの理由は、ガウタマ本人の意思に反して、ガウタマが「仏様」という、来世での幸福を保証するファルス(仏語:強い父権)的存在へと祭り上げられ、仏教が父権宗教になってしまったことである。世界宗教は、キリスト教もイスラム教も、すべて男尊女卑の父権宗教であり、仏教だけが女性差別をしているわけではない。


雲海


さて、ゲルマン民族の特性とはどんなものか。

「西欧だけが性を罪悪ととらえる文化であるのはなぜか」のポイントをまとめると次のようになる。

1 西洋文化の起源をなんでもギリシャ・ローマに求めたがるギリシャ・ローマ中心史観では、歴史を見誤る。

2 西洋に特徴的な「女性恐怖と快楽敵視の思想」についても同様で、その起源はむしろ、ローマ帝国崩壊後の空白の200年間におけるゲルマン人の侵略において、快楽主義的な地中海的文明と禁欲主義的なゲルマン人の文化の衝突によってつくられたものである。

3 そして西欧の女性蔑視は、家族を残して長いあいだ戦いに出たゲルマン戦士が、故郷に帰還したとたん(母親との関係を深めた)自分の子から血縁関係を拒絶されるという略奪遠征部族としての悲劇を原点にしている。

4 さらにゲルマン人の禁欲性と女性恐怖の原点には、貧困故に、男たちの闘いを鼓舞する女たちの姿がある。

5 これらを土台につくられた「国を制定し治める意図もなく殺戮と略奪を繰り返す」ゲルマン的支配が市場社会の原点をなしている。

後のアングロサクソン国家(イギリス→アメリカ)へとつながる北西欧的略奪性及び資本主義過程ではプロテスタンティズムと呼ばれた禁欲主義が、北西欧、ゲルマン民族的なるものに起源を持つことは間違いないだろう。

しかし、資本主義の発展は、北西欧的禁欲主義や略奪のみでつくられたものではない。支配階級が快楽主義に走り、とりわけ支配階級の女性たちが作り出す宮廷サロンにおける散財行為によって、序列転覆の可能性、市場という私権的ニッチの発見も、市場経済発展のもうひとつの鍵だといえる。事実、近代市場はイタリアの恋愛至上主義=ネッサンスをもう一方の原点としており、これはやはり地中海的文明の特筆というべきである。

ニッチの語源

ニッチ( Niche )とは直訳すれば「隙間」や「くぼみ」の事であり、もともとは生物学で生態的地位を表す用語である。様々な生態的地位がある中、主に哺乳類の進化に伴って起きた事柄がニッチ市場の概念の元になったとされる。中生代に恐竜・首長竜などの爬虫類が陸海空問わず栄えていた頃、哺乳類はネズミのような姿で目立たず、活動も夜行・雑食など隙間的なものを主としていた。約6500万年前に恐竜などが滅びると絶滅で空白になったニッチ(生態的地位)を埋めるために様々な生物が進出し、哺乳類が最も成功を収めたといわれる(空は鳥類)。この生物を企業などに擬して「ニッチを開拓する」などとも言う。なお同種の現象は過去何回かの大量絶滅の後にも現れた。

ニッチ市場(にっちしじょう)とは市場全体の一部を構成する特定のニーズ(需要)を持つ規模の市場のこと。狭義には、その中でも商品やサービスの供給・提供が行われていない小さい市場とされる。隙間市場(すきましじょう)ともいう。


つまり「地中海的文明(快楽主義)と北西欧的文化(禁欲主義)の相克」という点がやはり鍵を握っているようだ。

略奪婚は、どこの国や民族でも見られるが、狩猟民族の略奪や搾取とは一線を画する、日本の稲作民族のおおらかな性文化に触れておく。

「夜這い」の起源、あるいは全国でここまで広く行われていた理由については、諸説がある。

ひとつは、集団婚、妻問婚の名残とみる説である。

集団婚という婚姻形態は、ひとことで言えば複数の男と女がグループで婚姻関係を結ぶもので、
日本を含めて採取時代から歴史的に長く行われていたかたちであった。
また、妻問婚とは、男が女性のもとへ通う婚姻形を指している。
この場合、語源についても「夜這い」→ヨバフ(男女が呼び合う)、ヨブ(男を「呼ぶ」)と解されているようだ。

もうひとつは、近世郷村の農村社会に固有の様式、とみる立場である。
つまり夜這いは、ムラの置かれた現実の状況(特に経済状況)に対して、村落共同体という自治集団を維持していくための実質的な婚姻制度、もしくは性的規範であるとする見方である。

いずれにしても表向きは一夫一婦制であったが、実態的にはその制度は解体され、代わりに皆が性的満足を得られるシステムで補完されていた、と見ることができるのではないだろうか。そしてそのようなシステム=「夜這い」は村落共同体を維持するために(数少ない大切な労働力として村民の逃散を防ぐために)必要不可欠であったがために、全国で普遍的に行われるようになっていたのだろう。




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