文学・芸術

女性恐怖と快楽敵視(2)

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雲海13


女性恐怖と快楽敵視 ―資本主義(略奪と搾取)の発生源―


快楽敵視の起源は先史時代に求めるべきものなのか


これまでヨーロッパ文明の起源を先史時代に見いだす常套手段とされてきた視点には、ひとつの落とし穴、いや、それ以上に秘密を知られたくないがための意図的なトリックが隠されているような気がしてならない。ヨーロッパの起源といえば、すぐさま古代ギリシア・ローマの伝統へ立ち戻りたがる西洋知識人をみていると、そこには妙な胡散臭さが感じられるのである。

もし彼らが主張するように、女性によって体現される快楽敵視を核とする禁欲主義の起源が本当に先史時代にあり、その伝統が、以降一貫して受け継がれてきたのだとしたら、明らかに先史時代のあとにおとずれる古代ギリシアやローマ時代における、肉体美のあれほど大らかで高らかな賞賛と、現代人をも驚嘆させるまでの日常的快楽の重視はどう説明しうるのか。

逆にいえば、肉体と快楽を敵視する面からみれば、これほどローマに似つかわしくない文化はありえないまでに厳しい禁欲が充満するヨーロッパ中世が、なぜローマ帝国のあとに生まれることができたのか。そのうえおまけに、この新たなヨーロッパ的秩序の担い手が、古代ローマのもっとも忠実な継承者であることを宣言するなどという奇妙奇天烈なことが起こりえたのか。

いや、本当のところは、資本のダイナミズムを起動させるために必要な女性的快楽とセックスへの憎悪は、むしろ、先史時代よりずっとわれわれに近い時代に、古代ギリシアやローマの地中海文明とは縁もゆかりもない場から持ち込まれたのに、その発生をめぐる真実が、今日ある西洋世界を説明するうえできわめて不都合なため、意図して曖昧にされてきたのではないだろうか。しかしもしそうだとすれば、どうしてわれわれはそれをみすみす見落としてきたのだろう。


一般に快楽敵視の思想は、〈欲動の断念〉と〈禁欲の発見〉という文明への扉を開く鍵をなしたとされる要素と、ほぼ同等のものとして解釈されることが多い。しかしこれは、問題をいつの間にか人類に共通する広大な海へ解き放ってしまうことになる。これによって、西洋にしかみられない特性を絞り込むことが困難になってしまったことが、従来の考察の大半がおかしてきた過ちであろう。

たとえばフリードリヒ・エンゲルスが「一部族の内部で無制限の性交がいとなまれ、したがって、あらゆる女が一様にあらゆる男のものであり、またあらゆる男が一様にあらゆる女のものであった」と説明する「無規律性交」の原始的状態から、人類が太古の昔に自らの性欲を抑制する術を覚え脱皮するにいたった過程は、人類を総体としてみたうえでの発展史を知るうえではたしかに重要である。

しかし、こうした禁欲をめぐる一般的兆候に目を奪われることは、西洋にしか生まれなかった資本主義の本質という、われわれが本当に捉えたいものの在処を、いつの間にか人類共通の問題へとすり替えてしまう。

われわれの関心は、単に性欲を我慢したり先送りにする術にあるのではない。セックスに関わる快楽のすべてを邪悪な罪とみなし、その根源が女性にあると決めつけることで、女性と快楽を引っくるめて恐れ憎み嫌うという、どうみても地球上で西洋にしか存在しない性格がいかにして誕生したかという、その点だけなのである。

イギリスの宗教学者カレン・アームストロングは、そうした断固とした女性敵視の思想が生まれる源泉を、キリスト教に内在する性格に見いだしている。快楽を女性に起因する原罪と決めつけるキリスト教が西洋人の価値観をすべてにわたって規定してきたからこそ、女性恐怖と快楽敵視のメカニズムは、西洋にしかみられない特質だというのである。

「ヨーロッパとアメリカのキリスト教的世界には、セックスへの憎悪と恐怖が充満している。西洋の男たちは、セックスを邪悪なものと見なすよう教え込まれてきたため、男たちをこの危険な性的欲望の世界へと誘惑する女たちを恐れ憎んできたのである。キリスト教は西洋社会を形成してきた。そしてこのキリスト教は、世界の主要な宗教の中で、唯一セックスを憎み恐れる宗教なのである」

キリスト教そのものに、女性恐怖に基づく快楽敵視の思想が組み込まれていたとするアームストロングの洞察は、一見スムーズですんなり納得させられそうになる。しかし、はたしてこの考え方は、そのまま受けとりうるものなのだろうか。

じつは、キリスト教はローマにおいてすでにコンスタンティヌス大帝の時代から、すなわち、われわれに近い時代にたとえれば、ちょうどナポレオンの時代から一九七〇年代の性革命にいたるまでに相当する期間、すでにローマ教会すなわちローマ帝国の国教であったのである。

このよく忘れられがちな事実を考慮すれば、キリスト教そのものに最初から女性恐怖と快楽敵視の精神が組み込まれていたとするアームストロングの説は、そのままのかたちでは受けいれがたくなる。

つまり、むしろここで考慮せねばならないのは、キリスト教の教義そのものが変容した可能性である。ちょうど十六世紀初頭に、カトリック教会の性的金銭的堕落を耐え難いものとみなしたドイツ人修道士マルティン・ルターが、禁欲のさらなる厳格化に向けて、キリスト教のローマからアルプス北方地域への移管を呼びかけ、それによって近代資本主義の起点をなす宗教改革の幕が切って落とされたことを思い起こすと、それは、そもそも性や快楽に奔放な地中海文明に対してヨーロッパ北方民族が仕掛けた、初の戦いではなかったような気がしてくる。

そうではなく、じつはローマ帝国崩壊後すでに、その第一幕ともいうべき決定的な衝突が起きており、その際、新たなヨーロッパ文明の担い手のなかに本来的に組み込まれていた女性恐怖と快楽敵視の思想こそが、中世のキリスト教倫理観を形づくるうえで決定的な役を果たしたのではないだろうか。


雲海04



古代ギリシア・ローマに快楽敵視が存在した証拠はない

たしかに古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、女について、その本性が冷たく、無能力で精液をつくりだすことができないため、「まるで生殖力のない雄のようである」と述べ、女をより劣等な存在と見なす考えを打ち出した。

また、男の精液には生殖力だけでなく、「霊魂的原理の部分」も含まれており、そのなかこそ神に最も近い精神の作用である理性があるとし、精神と理性を最高位におく西洋的規範をはじめて明言したことでも知られる。

さらに「身体は雌に、霊魂は雄に由来する」と位置づけ、人間を動物と区別する精神が男にしか備わらないこと、そして女は肉体的な存在であるがゆえに蔑まれるという、のちにキリスト教に受け継がれる霊肉二元論の萌芽も示している。

しかし、これはあくまで生物学的にみた女性の劣位を論証しようとしたものであって、女性に帰属する快楽を恐れ敵視するものとは違う。この両者を混同し、すでにアリストテレスの時代に女性恐怖に基づく肉体的快楽への敵視が存在していたなどというものがいれば、それは全くの誤りだと言わざるをえない。

すでに広く知られるように、古代ギリシアからヘレニズムを経てローマにいたるまで、地中海文明の人々にとって肉体美は一貫して高い賞賛の対象であった。肉体に悪魔が宿るなどという考え方は、そこには微塵たりともみられない。

クレタ島では、上半身裸の男女が闘技場で雄牛を相手にアクロバット的な技を競うのを観衆は楽しんだし、ホメロスの時代以降、男たちが素っ裸で運動能力を競ったのは、文明が劣っていて着る服がなかったからなどではないことは、言うまでもない。

アテネでプラトンやソクラテス、そしてクセノポンが議論を闘わせた晩餐(シンポジウム)の席には、裸の美少年による給仕とさまざまな芸に長けた女たちの演出が欠かせなかった。

ローマの日常においても、肉体の顕示は罪とは無縁であり、なんら問題視されるものではなかった。奴隷市場で競りにかけられる奴隷たちは、男女にかかわらず公衆の面前ですべての衣類を剥がれ、病気などの兆候がないか評価されるのがしごく当たり前であった。

キリスト教が徐々に浸透しはじめる二〇〇年頃のローマにおいても、男にしか許されないミトラ信仰から閉め出された女たちだけが執り行うディオニュソスまたはバッカスの祭典においては、閉ざされた空間の中で女たちがミステリアスな快楽に浸り、官能の世界に酔いしれる伝統がつづいていた。

とにかくローマの時代までは、人間の裸体を罪や邪悪と結びつける倫理観が社会の規範をなすようなことはけっしてなかったし、むしろ支配者は、有名な「パンとサーカス」のことばで知られるように、領土を治めるためには大衆への快楽の提供が不可欠だと考えていた。

大衆に娯楽を提供することを支配者がきわめて重要視していた様は、ローマ市内に限らず、ローマ軍が北方ヨーロッパへ領土を拡大する際、必ずといっていいほど制圧した地域に大浴場や劇場、競技場といった大衆娯楽施設を建設していることからも見てとれる。

もともとゲルマン人の攻撃から領土を守る前線基地として建設されたケルンやマインツやトリアーといった今日のドイツの都市には、かつてローマ人が築いた大浴場や劇場の跡が残っている。

紀元前五十五年、ドーバー海峡を渡りローマから遙か北方のブリテン島に侵攻したカエサルは、島の南部に豊かな温泉の湧く地を発見し、そこをバース Bathと名づけ浴場の建設を命じた。そして百年後には、さまざまな浴場にサウナからマッサージ室からスポーツジムまでも併設する一大温泉施設として完成するのである。

しかしローマ帝国崩壊後のヨーロッパをみるとどうだろう。上記のバースが十八世紀以降になってようやく、長く見捨てられてきた廃墟から復活しはじめるのに象徴されるように、五世紀以降のヨーロッパ人は一転して、浴場などには見向きもしなくなるのである。

アルプス以北にその重心を大きく移しながらも、ローマ帝国の精神をもっとも忠実に継承することを標榜した神聖ローマ帝国は、たしかに二つのことをローマから忠実に受け継いだ。

それらは、宗教、つまりローマ教会としてのキリスト教と、法律と国家制度である。しかし、かのコロッセオに匹敵する大闘技場はその後のヨーロッパにおいては、一つとして建設されることはなかったし、カラカラ浴場のような巨大レジャー施設がどこかで建造されたという話も聞かない。

いや、それどころか、ドイツ皇帝の支配する中世以降は、風呂にはいること自体が罪悪として忌み嫌われるようになり、王侯貴族でさえ一生に一、二度しか風呂に入らない時代が到来するのである。

そこには、宗教と政治は継承しながら、ローマが統治するうえで欠かせない要素と見なした「心地よいこと=快楽」を人民に提供する考え方に関しては、完璧なまでの断絶が見て取れる。このあまりにも対照的なコントラストは何を意味しているのか。



 だれもが思い出したくない空白の二百年


今日あるヨーロッパ文明の起源が、古代ギリシア・ローマ以前ではなく、もっと近い過去に存在する可能性を、ドイツの歴史家セバスチャン・ハフナーは指摘している。

彼は、ローマ帝国崩壊後の五世紀から七世紀にかけての時代にヨーロッパに起きた真実が、現代の人びとにほとんど伝わっていない事実に着目する。そしてその理由が、その時代に起きた本当のことを「おそらく誰も思い出したくなかった、もしくは後世に思い出させたくなかったからだろう」と推察しているのである。

どうして思い出したくないのかを探りだすのは、さほど難しいことではない。それは、現代にいたるまで国家、法律、軍事の面で西洋の規範をなしているといっても過言でないローマ帝国が、以上の二世紀あまりの期間に、文明のレベルからすればローマの足元にもおよばないゲルマン人によって破壊し尽くされただけでなく、この野蛮な勢力によって西ヨーロッパ全土、いや北アフリカまでもが席巻されるなかから、今日につながるヨーロッパの新たな秩序が誕生したからである。

ゲルマン人による殺戮に次ぐ殺戮の想像を絶する大混乱の中から、今日あるイタリアも、フランスも、スペインも、そしてイギリスも、まぎれもなくゲルマン人の王が支配する王国として誕生したのである。

これらの地域からゲルマン人がなんらかの理由で撤退するか追いだされ別の民族に取って代わられた事実は、唯一北アフリカから侵攻したイスラム系ムーア人によって、今日のスペイン地域を支配していた西ゴート王国が八世紀初頭に滅ぼされたことを除けば、まったくない。

国民国家を前提とする価値が浸透した今日的観点からすれば、ヨーロッパ全土がゲルマン人の支配下におかれるなかから、今日につながるヨーロッパ文明が生まれた事実は、一般にはできれば認めたくないものであろう。

とりわけドイツ人が二〇世紀にはいって二度も世界戦争を引き起こした悪夢を経たあとの現代において、この事実は居心地の悪い不名誉としか思えない。

だからこそヨーロッパ人は、自分たちの優れた文化を語る際、とかくゲルマン的秩序が支配していた中世を「暗黒の時代」と呼びあまり触れたがらず、古代ギリシア・ローマからあたかもルネサンスを経て近代が生まれたかのごとく語りたがるのだろう。

しかしこの二世紀あまりに起きたことは、いまや世界を隅々にまで塗り固めんとする資本主義の発生源を見いだすうえでは、きわめて重要な意味をもつと言わざるをえない。

なぜなら、〈世界全体を狩猟区とみなす戦闘性〉と〈女性恐怖と快楽敵視を旨とする禁欲〉という二つの要素から成り立つことがますますはっきりしつつある現代の資本主義は、逆にいえば、これら二つの要素を何にもまして重要視する民族のなかからしか生まれ得なかったはずだからである。

すでにみたように、地中海文明に属する古代ギリシアやローマ人には、戦闘性という要素に関してはある程度備わっていただろうが、第二の要素である性的快楽を憎み嫌う精神となると、それを、文明を築くための絶対条件とみなしていた証拠はどこにも見いだせない。むしろ逆に、すでにみたように、民衆に心地良さとスペクタクルを提供することを、きわめて重要なものと考えていたとみなさざるをえないのである。

ローマ帝国崩壊後、ヨーロッパ文明の担い手が、狂暴なまでに戦闘的であると同時に快楽を極端に忌み嫌う、ローマ人とはまったく別種の民族に取って代わられたことを知ることから、ヨーロッパ文化史を初めて整合性のあるものとして把握しうる道が開ける。

ちょうど日本でいえば、聖徳太子の大化の改新によって天皇を中心とした中央集権的な律令制度がそろそろ整いはじめる時期に、ヨーロッパでは、高度なレベルに達していたローマ文明がいちどすっかり破壊尽くされ、すべてをゼロからリセットするかのごとく、まったく価値の異なる人種による支配がはじまったのである。

しかしこの新たな支配者たちは、石の家をひとつ建てる知識もノウハウも持ち合わせていなかった。ヨーロッパの支配権を確立したとたんに彼らが行ったことは、かろうじてローマの高度な文化やテクノロジーの継承者として生き残ったキリスト教の修道士や司祭を自分たちの側につけることと、自らの野蛮な出自を消し去らんとするかのごとく、ローマの継承者を名乗ることであった。

それはちょうど、人類の文明が廃墟と化した理由を探ることをタブー視し、まるで最初から自分たちが高度な文明の担い手であったかのごとく地球を支配する猿の世界を描き出した SF映画『猿の惑星』と、どこか似通った現象である。



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