余白の人生

『個人教授(Le leçon particulière)』

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 『個人教授(Le leçon particulière)』

 
  言わぬが花 フランス映画




  アラン・ドロンは日本でも本当にファンが多かった。昭和の頃だと、フランス映画というのはハリウッド映画とひと味違っていて、人間関係を濃厚に描く深みに特徴があったし、何処となく物悲しいフィナーレで幕を閉じる作品が多かった。アメリカの恋愛映画などはハッピー・エンドがほとんどで、最初から結末が予想できるから安心というか単純なものであった。現在はフランスで制作されてもハリウッド映画みたいな作品が主流だから、フランス映画の独創性は皆無に等しく、フランス語を喋る役者が演じているだけの亜流フィルムといったことろだ。世界市場で売り込むためのグローバル商品と化したフランス映画なんて意味が無い。これなら英語が得意なフランス人は、米国へ行ってハリウッド・スターになった方が利口である。


  しかし、アラン・ドロンが出演したフランス映画には渋みがあった。彼の代表作である『太陽がいっぱい』は名作で、ハリウッドでもリメイク作品が制作されたほどだ。(筆者は子供の頃に本作を観て感動し、滅多に無いことだが、二、三回繰り返し観たことがある。) 粗筋を話すと以下の通り。貧しい青年のトム・リプリー(ドロン)は、大富豪の息子で友人のフィリップと一緒にヨットに乗り込んだ。しかし、ちょっとした口論でフィリップを殺してしまい、死んだ友人の体をロープで巻いて海に投げ捨ててしまう。すると、リプリーは裕福な「元友人」になりすまし、フィリップの恋人であったマルジュ(マリー・ラフォレ)まで自分の女にしてしまったのだ。まんまとフィリップにすり替わったリプリーは、浜辺で太陽を浴びながら幸福感に浸っていた。しかし、そこへ警察が現れたのである。運命の悪戯なのか、殺害したフィリップの遺体に巻いたロープが海中で船のスクリューに絡まっており、ヨットがマリーナに引き上げられた時、ロープの先に遺体が繋がっていたのだ。何も知らないリプリーは売店の女給に呼び出され、彼を待ち構える警官のもとへ向かうところでフィナーレとなる。観客だけが悲劇の逮捕を分かっているラストであった。


  ルネ・クレマン監督が手掛けた『太陽がいっぱい』は、1960年に公開された作品で、劇場でこの映画を観た日本人も多いだろう。たぶん、懐かしいと思う中高年の奥方もいるはずで、銀幕に映し出されるアラン・ドロンに見とれたという女性も多いんじゃないか。当時、彼の評判は相当なもので、フランスを代表する人気俳優であった。後に彼が来日すると、「サクラ」を用意しなくても本物のファンが殺到し、映画雑誌の『スクリーン』などは、ドロン氏の特集を組んだ程である。フランス国内では「演技力が今ひとつだ」と貶す批評家もいたが、日本人女性はそんな悪口に耳を貸さず、サングラスをかけ、くわえ煙草のハンサム男優にぞっこんで、眺めるだけでも充分だった。


  それに、彼が出演した作品はある程度成功し、人々の記憶に残る映画であったから、運の良い役者とも言えるだろう。例えば、チャールズ・ブロンソンと共演した『さらば友よ』とか『ボルサリーノ』、三船敏郎が共演者だった『レッド・サン』、ジャン・ギャバン(Jean Gabin)も出演した『地下室のメロディー』、レザー・スーツ姿のマリアンヌ・フェイスフル(Marianne E. Faithfull)が話題となった『あの胸にもう一度』などがある。


zz k『個人教授(Le leçon particulière)』 ナタリー・ドロン


  筆者としてはジプシーの悲哀を描いた『ル・ジタン(Le Gitan)』を推薦したいが、日本では一般的に『サムライ』の方が有名だろう。この映画でドロンは寡黙で律儀な殺し屋のジェフ・コステロを演じていた。このキャラクターは、実在したギャングのフランク・コステロ(Frank Costello)をモデルにしたという。今のアクション・ドラマでは珍しいけど、主人公のジェフは無言のまま“いつもの”仕事に取りかかった。どんよりと曇った空からは雨が降りしきっている。トレンチコートを羽織って、中折帽(fedora)を被ったヒット・マンは、路上に駐めてある他人の車に乗り込む。銀幕には、雨が滴り落ちるフロント・ガラス越しに、ジェフの冷静な顔が映し出されているのだ。彼は懐から鍵の束を取り出し、一つ一つハンドルの鍵穴へと差し込む。何本か試すうちに偶然にもエンジンがかかった。彼はゆっくりとクルマを運転し、さびれた街角のガレージへと消えて行く。ジェフがクルマから降りると、そこにはいかがわしい男が待っていて、即座にナンバー・プレートを付け替える。ジェフは馴染みの「修理屋」から何枚かの書類を受け取り、代わりに札束を無言で手渡す。余計な事を一切言わず、ジェフはその盗難車に戻り、何事も無かったかのようにガレージを後にするのだ。


zz k『個人教授(Le leçon particulière)』


  『サムライ』で注目すべきは、ジェフの情婦を演じていたナタリー・ドロン(Nathalie Delon)の存在である。彼女は実生活におけるアランの妻で、当時はまだ駆け出し女優だった。ナタリーが有名になったのは、翌年に制作された『個人教授(Le leçon particulière)』に出演してからだ。この映画は筆者にとっても思い出深い作品で、まだ小学生だったけど、フランス人の哀しい恋愛劇に魅了されたものである。当時、ニコール・クロワジール(Nicole Croisille)が歌う『Where Did Our Summers Go』に感激したので、EP盤のレコードを買って毎日聞いていた。(レコードの針から伝わる、ちょっとした「雑音」が実にいい。ジャズも澄み切った音のCDより、ノイズの入ったレコード盤の方が「味」があったりするから不思議である。) この挿入歌を気に入ったのは、映画の最終場面と絶妙にマッチしていたからである。


zz k『個人教授(Le leçon particulière)』 レノー・ヴェルレー


  ちょっと物語を話すと、主人公のオリヴィエ(ルノー・ヴェルレー)は年上の女性フレデリク(ナタリー)と親しくなり、肉体関係まで持ってしまうが、彼女には中年男性の恋人フォンタナがいたのだ。二人は喧嘩して一時的に別れていたが、フレデリクの心はまだフォンタナの許(もと)にあった。それを察知したオリヴィエは、彼女が住む建物を訪れて帰ろうとした時、フォンタナに電話を掛け、フレデリクの居場所を教えたのである。電話を切ったオリヴィエは建物から出て、外に駐めてあった電動自転車に跨がった。


zz k『個人教授(Le leçon particulière)』 1968年ランボルギーニに2人で
レーサー フォンタナの1968年式ランボルギーニミウラ に2人で乗っているシーン


  彼が不意にその建物を見上げると、部屋の窓越しにフレデリックが立っていて、無邪気に笑みを浮かべていたのだ。フレデリクは「またね!」という軽い「さよなら」を口にしていたが、オリヴィエの深刻な別れには気づいていなかった。何事も無かったかのように去り行くオリヴィエ姿が痛ましい。愛する女性を諦めた表情は、観ている者にとっても辛かった。このラスト・シーンにクロワジールの歌声が響き渡るんだから、誰でも胸が締め付けられるような気持ちになるだろう。


 映画 『個人教授』:『La lecon particuliere』


内容は、高校生の若者が、レーサーの彼氏を持つ年上女性と知り合い、恋に落ちる…というラヴ・ストーリー。いかにも60年代後半のフランス映画という雰囲気のある映画で、パリの街をロケ撮影した映像も魅力的。

タイトルから、なんとなくエロ映画を期待しがちだが、残念ながら、そういった要素はほとんどない。むしろ、実に脚本のしっかりした映画で、映像と、全篇で流れるフランシス・レイの流麗で感傷的な音楽が美しい。

あこがれの年上の女性に惹かれてのめり込んでいく少年が、彼女の本来の恋人が登場することで、失意のうちに現実に戻り、少年から大人へと開眼(イニシエーション)していく心理描写がみごとに演じられている。男の子ならだれもが感情体験することかもしれない。

印象的なシーンはいくつもあるが、特にスキー場でのチークダンスと最後の別れのシーンと曲のメゾフォルテが素晴らしい。

そして、ヒロインであるフレデリクを演じるナタリー・ドロンが美しく、演技、存在感ともに迫力がある。学生役のルノー・ベルレーも役柄にピッタリで、あまり美男過ぎないのが良いのか、結構感情移入して観ることができる。

また、フレデリクの年長の彼氏であるカーレーサー、エンリコ・フォンタナを演じるロベール・オッセン(特別出演)の存在感が際立っていて、『望郷』『地下室のメロディ』のジャン・ギャバンを連想させ、彼の登場する後半から物語が締まってくる。

ロベール・オッセンが乗っているスポーツカーが、その世代には懐かしいランボルギーニ・ミウラ(しかも黄色)というのも嬉しく、クール(渋くて、かっこいい)。

フランス映画は、家族や子どもと一緒に鑑賞するのが憚られるような、背徳的シーンがあるが、だれもがこころの深いところで憧れている心理を描出する業に長けている。
さすがは、フロイト、モリエール、カミユの國だと感心するばかりである。

20代で観た忘れえぬ映画である。
現代では、こんな美しい映画はもうお目にかかれない。

 もう、こんな極上のフランス映画を期待することはできない。



 『個人教授(Le leçon particulière)』 You tube

 「個人教授」 ラストシーン You tube 

La leçon particulière (1968) You tube



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