やきもの

三股青磁(みつのまたせいじ) 波佐見焼

 ←鳥を食う巨大なクモ・オオジョロウグモ  →ガラス恋しい季節
s-DSCN6089.jpg


s-DSCN6089 zoom
鮮明な辰砂釉の発色ではないが、中国明時代の釉裏紅技法が観られる。400年前はもっと赤色が美しかったのかもしれない。どこの國の陶工も赤色、紅色に憧れていたのであろう。





 三股青磁(みつのまたせいじ)




s-DSCN6072.jpg


s-DSCN6084.jpg



  20170513 三股青磁のコレクター訪問


地元・波佐見の三股青磁を郷里の誇りとする奇特な御仁に出逢った。

郷土の古陶磁で話が合って、ご自宅に招かれ鑑賞させていただいた。

自宅は、三股郷に隣接する小樽郷にあった。


s-DSCN6099.jpg


生まれて初めて、県立美術館の収蔵品を超える、気品ある作行きの三股青磁の完品を数多く観た。

最も驚嘆したのは、1630年代に、青磁発祥地のみならず釉裏紅技法(グラビアトップ画像)が完成していたことだ。

中国古陶磁を愛するイシコロには、まさに青天の霹靂であった。


s-DSCN6091.jpg


s-DSCN6092.jpg


本当に感動する傳世品は、美術館・博物館にはなく、コレクターに大切に秘蔵されているのだ。

地元波佐見から流失しないようにに遺しておきたい一心で蒐集されたそうだ。


s-DSCN6098.jpg


高価すぎて、値がつけられない絶品ばかりであった。 

「念ずれば花ひらく」 決して偶然ではなく、探求する一念が必然につながる。

郷土愛とその一途な執念に巡り合えたことも何かの因縁であろう。

今度は、希少な美しい三股青磁の陶片を見せていただく愉しみが待っている。



zz m三股青磁



 ☆ ☆ ☆

 波佐見における陶磁器生産の開始は,最古の肥前陶器窯跡とされる佐賀県北波多村帆柱窯跡などよりやや遅れた,安土桃山時代末の16世紀末頃と考えられる。それからまもなくの17世紀初頭から前半にわが国初の磁器生産が始まる。波佐見の畑ノ原窯跡はこの時期に属する。畑ノ原窯跡は残存長54.4mで,窯室24余りからなる連房式登窯として,この時期の肥前でも屈指の規模をもつ。17世紀前半から中葉にかけての時期には,わが国初となる青磁が生産され,18世紀前半まで生産が続いた。


zz m三股青磁 青磁銹釉貼付 盃台 波佐見


 その初期の窯が三股青磁窯跡で,終末期の窯が長田山窯跡である。「波佐見青磁」「三股青磁」と称されるこの青磁は,中国龍泉窯の影響がみられ,片切り彫りの高度な技術による流麗な草花文を配し,透明感あふれる釉が施される。隣接する三股砥石川陶石採石場跡は位置からみて青磁の生産に伴って操業したものと推定される。採石は近代まで続き,大きく削られた白い山肌は焼き物産地の景観を象徴する。

 17世紀後半になると,中国の磁器生産が衰退したため,波佐見も主に東南アジア向けの製品を大量に生産するが,17世紀末葉になると,中国の磁器の輸出が再開し,肥前磁器は国内向けに転換する。波佐見では18世紀以降巨大な窯を築いて日常容器を大量生産し,コストダウンを図るようになり,幕末までその方式は続いた。



s-DSCN6101.jpg



 三股青磁窯跡

 1997年、波佐見町教育委員会によって範囲確認調査が行われた。一部後世の削平を受けているが、操業時には窯体全長37m以上、窯室数12室以上存在していたことが推定される。窯体横の物原からは製品・窯道具が大量に出土しているが、製品は磁器のみで、陶器の出土は見ていない。磁器は青磁を主体とし、とくに彫りによって流麗に文様をあらわした優品が多い。推定操業年代は1630~1650年代であり、当時としては、国内最高水準の青磁を生産していた窯と言える。



スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 愛娘 Erika
もくじ  3kaku_s_L.png やきもの
もくじ  3kaku_s_L.png 余白の人生
もくじ  3kaku_s_L.png 忘れえぬ光景
もくじ  3kaku_s_L.png 文学・芸術
もくじ  3kaku_s_L.png 雑学曼陀羅
もくじ  3kaku_s_L.png 時事評論
もくじ  3kaku_s_L.png 教育評論
もくじ  3kaku_s_L.png 書画・骨董

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【鳥を食う巨大なクモ・オオジョロウグモ 】へ
  • 【ガラス恋しい季節】へ