余白の人生

ガラス恋しい季節

 ←三股青磁(みつのまたせいじ) 波佐見焼 →EOS5 フイルム眼レフ
s-e5 丹後浜




 ガラスの「ココロ主義」


「ココロ主義」を説いて、それにすがれば豊かになれるかというと、そうではないでしょう。
やっぱり労働条件であったり、収入であったり、現実的なものが伴わなければ満足度は低いと思います

「物質的な豊かさは本当の豊かさではない」と言い切る人がいますが、正直いって、多くの人にとって、それは空念仏ではないでしょうか。本音を隠し建前論を言っているだけでしょう。
金銭的、物質的に満たされることをやはりたくさんの人が望んでいます。

そういう現実を無視して、精神主義的な豊かさを説く人もいます。
たとえば、よくいわれるのが、「日本は世界でナンバー1クラスの物質的な豊かさを手に入れた。しかし心は豊かさでない」と。

豊かであるには「物」ではなく、「心」なんだ、だから精神的な癒しが必要なのだという。
しかしそれはまやかしです。
宗教のお布施や喜捨という大義名分で美しいココロを説くのに似ています。

そういう考え方は人間をトータルにみていないと思います。
その極端な例がオウム真理教でした。
彼らは経済や現実社会からまったく切り離されて、ある仮想空間に逃げ込んでしまった。

こんな不確実性の時代には、心という漠然としたものにとらわれているほうが、現実に目を向けなくてすむから、むしろラクかもしれません。
でも、現実に「ココロ主義」を説いて、それにすがれば豊かになれるかというと、そうではないでしょう。

やっぱり労働条件であったり、収入であったり、現実的なものが伴わなければ満足度は低いと思います。
豊かさをめぐる「物」か「心」かという議論は、あまり意味のあることではないと思います。

それぞれの個人の考える豊かさについての感性をむしろ大切に考えるべきなのです。

何か日本ではお金の話をすると、下品だとみられるふしがあるけれど、それは間違いですよね。
お金の出と入り、そしてお金をめぐる葛藤や人間関係のもつれ、それは人間の生活の中で非常に重要な部分を占めます。避けて通ることはできません。

お金というのは、けっして汚いものではない。
むしろお金を必要不可欠なものとして、正面からもう一度考え直してみることが、これからは必要なのだと思っています。

 【出典】 姜尚中『ニッポン・サバイバル―不確かな時代を生き抜く』



 イシコロモノローグ

「こころの教育」を優先して、お金や物質的ゆたかさを不浄視する。
そう言いながら、経済格差・教育格差はますます広がっていくばかりだ。
姜尚中さんは、在日朝鮮人で虐げられたから、貧しさがどんなものか肌身で知っている。
だから、日本人の負の精神構造をうまく突いている。

きれいごとばかり言って、臭いものには蓋をするような国民性。
武士は食わねど高楊枝。見栄を張り、恥を極端に隠そうとする「嫉妬と恥の文化」。
隠し続けた恥が暴露されたら、その時は腹を切ればよい?
死んでお詫びをしなければ世間に赦されない?
そんなばかなことがあるものか。死んで花実が咲くものか。

戦争から、特攻隊から、生きて戻れば、なぜ死ななかった?
個人に罪はないのに、罪悪感に苛まされて、ひっそり死んでいかねばならなかった我らの祖先。
人類学者ルース・ベネデクト女史が、戦時中に書いた日本文化論『菊と刀』。
この中では、日本人の「恥と嫉妬」の国民性が調査研究されて、すでに見抜かれていた。

そんな忌まわしい恥の文化、負の遺産が見直されることもなく今なお脈々と息づいている。
終戦、否、敗戦の東京裁判で、我が国が米国の植民地と化したことも知らずに、親方の傭兵に護られながらありがたく惰眠を貪っているのである。

そんな国が、いまどきどこにあるだろうか? 時代錯誤の平和ボケも甚だしい。
衣食(モノ)足りてこそ礼節を知る、精神・物質両者の貧困は罪悪なのだ。
やはり、モノの貧困はココロの貧困であり、両者不可分の罪悪である。


  『菊と刀』 ルース・ベネデクト著

  戦時中の、日本人が眺めるアメリカ人像は、単純で滑稽なものだった。つまり、アメリカ人はすべて残忍、残虐、で日本人の人肉を食い、日本人の頭蓋骨を飾って楽しんでいる・・・そのような獣(けもの)のような生き物に思われていた。

 一方、アメリカ人の日本人に対する見方は、もっと酷いものがあった。日本人は人間ではなくて、単なる黄色い動物で、アメリカ人に対抗出来るような人間とは全く思ってもいなかった。

 然し、日本がアメリカ人に対する見方を幼稚なままに済ましていたのに反し、アメリカの方では然るべき人物が冷徹な目で日本人をトータルとして把握していた。戦後の日本占領政策と日本統治に生かすべくアメリカ政府が日本研究を委託したルース・ベネデクトがその人物。彼女は人類学者の立場から有名な「菊と刀」を戦時中に書き上げ敵国日本人の姿を明らかにした。


a ルース・ベネデクト


 「菊と刀」が日本で出版されたのは昭和23年、勿論、評判の本になった。
 アメリカ人は単に残虐な人種だと簡単に決め付けていた日本人にとって、アメリカ人がこれ程まで日本人を研究していたのか、と、それはそれは大変な驚きだった。

 第二次大戦中、米軍の攻勢が確実になった頃、政府、戦時情報局は彼女に日本研究の仕事を委嘱した。現地調査が不可能であるため、彼女は、日本に関する書物、日本人の作った映画、在米日本人との面談等を材料として研究をすすめ、対象社会から文化類型を抽出しようとする方法に基づいて、日本文化の基調を探究し、執筆した。日本人は礼儀正しいといわれる一方、不遜で尊大であるともいわれ、固陋であると同時に新しい事物への順応性が高いともいわれる。

 また美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方では、力を崇拝し武士に最高の栄誉を与える。それは欧米の文化的伝統からすれば矛盾であっても、菊と刀は一枚の絵の二つの部分である。民族の思考と感情から出た習慣と行動には必ず一貫性があるという、ベネデクトの文化統合形態の理論に彼女の直感的な人文学的才能がプラスされ、欧米人による日本文化論として名著との評判が定着した。

 アメリカ人の日本占領でとられた寛大で寛容な政策は、アメリカが土着のインデアンに対して取った政策と同じである・・・彼女の論旨はそれに乗った内容に過ぎない。従ってそこには勝者の敗者に対する傲慢さが隠されているだけである。そのよって立つ政策の基本に「菊と刀」があったとすれば、それこそ彼女にとっても勝利以外の何物でもなかった。




 
スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 愛娘 Erika
もくじ  3kaku_s_L.png やきもの
もくじ  3kaku_s_L.png 余白の人生
もくじ  3kaku_s_L.png 忘れえぬ光景
もくじ  3kaku_s_L.png 文学・芸術
もくじ  3kaku_s_L.png 雑学曼陀羅
もくじ  3kaku_s_L.png 時事評論
もくじ  3kaku_s_L.png 教育評論
もくじ  3kaku_s_L.png 書画・骨董

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【三股青磁(みつのまたせいじ) 波佐見焼】へ
  • 【EOS5 フイルム眼レフ】へ