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踏み絵 -- 殉教者は本当に美しいか ?

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 踏み絵 -- 殉教者は本当に美しいか ?



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 踏み絵を踏むか、踏まないか



 「踏み絵」を踏むとは、一般的に組織や団体などで自分の主義・主張等を押し殺しても忠誠を誓うときや、何か二者択一の決断を迫られたようなときに使われています。この決断は個人レベルだけでなく、自治体や国家レベルでも度々あることで、近年では、戦争という踏み絵を踏んだ日本、敗戦後は易々と価値観が全く違う東京裁判という踏み絵を踏んだ転び者の姿を今も多く見ることができます。


zz m26聖人 殉教


 遠藤周作著の「沈黙」は、踏み絵が物語の重要な鍵ですが、スコセッシ監督により映画化された『沈黙‐サイレンス‐』が各地で上映されました。踏み絵の場面は幾度もあり、命が助かるなら、踏み絵を踏むべき?と二者択一でキリスタン探しや棄教を迫る場面があります。

 主人公のポルトガル人宣教師・ロドリゴは、遂に踏み絵を踏んで棄教してしまいます。その後、ロドリゴは世間からは転び者(改宗者)と言われつつ、妻を娶り40年間も仏教徒として生活し亡くなりますが、火葬のときも、手には十字架がしっかりと握られていたそうです。

 この宣教師のモデルは、イタリア生まれのイエズス会宣教師ジュゼッペ・キアラ神父(1602年~1685年)と知られ、文京区小日向1-24-8の切支丹屋敷で岡本三右衛門という日本名を名乗り、妻を娶って生活し、死後、遺体はキリスト教では禁忌である火葬にされ、小石川無量院に墓石が建てられましたが、現在は調布市の「調布サレジオ神学院」構内に墓石が移され、市から有形文化財に指定されています。

 キリスト教徒の遠藤周作は、自分の信仰意識は殉教者ではなく転び者の子孫である隠れキリシタンに近いと述べており、この生き方に共感したことが『沈黙』を書く発端だったのでしょう。




zz y諸尊佛龕(しょそんぶつがん) 柘植 厨子 空海枕本尊 (諸尊仏龕) 22.5cm (2)



 イシコロコメント


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 殉教者・異端者と迫害者


歴史上、いつの時代も、どこの國でも、どんな宗教でも、異端者は迫害された。

「宗教はアヘンなり」

とは言っても、いのちあってこその人生。死んで花実が咲くものか。

信仰に命をささげる敬虔な信者も、色即是空・不垢不浄のニンゲンの本質を歪曲して美化した、まやかしの宗教の実体を知れば目が覚めるかもしれない。


zz y佛龕(川村雅則作)


踏み絵も信仰も、意識の奴隷、惑いの形代であって、憑依・妄想の蜃気楼に過ぎない。 

宗教のみならず、ニンゲンは、洗脳されたら麻薬中毒患者のように精神も肉体も骨抜きになり、あやつり人形のごとく驚くべき力を発揮する。

支配者、権力者が一番怖れたり、醜い権力争いに利用する。

どんな手段を用いても、異端者を抹殺し、狂信的な殉教者を支配する者が、刻々(とき)の勝利者である。

信念や信仰を曲げずに一途に生きることは美しいことではない。

それは、柔軟性・弾力性を欠いた無能な石頭の所業である。

時の流れを読み臨機応変に対応する能力がなければ、サバイバルできずに一巻の終わりだ。

極東裁判の踏み絵を踏まなければ、わが国はあの時点で三分割されて、植民地どころか完全に消滅していただろう。

戦略や情報を欠いた無能な指導者の國や組織は、いつの世も時代に葬られていく。

これが、パラダイム:paradigmという歴史の法則である。


歴史とは、未来永劫、この繰り返し:Endless Repeat に過ぎない。




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