雑学曼陀羅

十字軍遠征と壮絶な蛮行

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 十字軍遠征と壮絶な蛮行


この十字軍は身の毛もよだつ蛮行も犯している

戦いによってイスラム教徒を討ち取れば、その首を砲弾代わりに相手の軍勢へ撃ち込んだ。

食糧が尽きれば殺した相手の肉を調理して食べた。

「大人の肉は薄くそぎ取って鍋に、子供の肉は串刺しにしてそのままあぶった。

孔雀の肉に独特の薬味を加えたような風味が美味だった」と、人肉の味を詳細に記録した書物もある。

200年あまり続いた十字軍の遠征は、時が経つごとに残虐なものになっていった。

金品を奪う。女子供を凌辱する。そういうことは当たり前になっていった。




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写真技術がなかった時代に、モノクロの銅版画は現代画像よりもリアルで迫真力がある(イシコロ評)

 

 十字軍遠征の政治的真相


 宗教に起因する戦争は多数ある。宗教をめぐっての争いは絶えなかった。しかし、そのほとんどがヨーロッパ周辺で起き、しかもキリスト教をめぐってのものであったことを歴史は示している。大別すれば、一つは異教(徒)を弾圧・排除するための戦争であり、もう一つは「権力装置」としてのキリスト教(教会)に対する、いわば反乱の戦いである。

ユダヤ教の成立とほぼ同時期に出現した仏教、ヒンズー教、あるいは紀元7世紀に登場するイスラム教などの生成・発展の過程にも、この種の争いが皆無であったとはいえないが、その独善性、排他性の激しさにおいて、キリスト教のそれは言語を絶するものである。


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 キリスト教による異教徒弾圧として、もっとも有名なのは、合計8回にわたって繰り返された十字軍の遠征だろう。この十字軍の遠征は約200年間続き、犠牲者は何百万人とは言わないまでも相当な数にのぼった。

第1回十字軍が組織されたのは1096年だが、「聖地エルサレム奪回」を掲げた彼らの“蛮行”ぶりはすさまじかった。エルサレムを陥れるや否や、イスラム兵士はもちろんのこと、老若男女を無差別に殺害したのである。しかも、それは「神の名において」なされたのである。

フランク王国(のちのフランス)の年代記者であるラウールは、第1回十字軍遠征の様子を、次のように記している。

「マアッラ(地中海に近い今日のシリア領)で、我らが同志たちは、大人の異教徒を鍋に入れて煮たうえで、子どもたちを串焼きにしてむさぼりくった。」


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 このような惨事の記憶はアラブ(イスラム)の人びとのあいだに口伝えによって広められ、ヨーロッパに対する消しがたいマイナスイメージを定着させてしまった。当時、まだ幼かったアラブの年代記者、ウサーマ・イブン・ムンキズは、後日、次のように記している。

「フランク王国に通じている者ならだれでも、彼らをけだものとみなす。ヨーロッパの人間たちは、勇気と、戦う熱意には優れているが、それ以外には何もない。動物が力と攻撃性で優れているのと同様である。」

 一方、第1回十字軍遠征に従軍したフランスのある聖職者は、次のように記している。

「聖地エルサレムの大通りや広場には、アラブ人の頭や腕や足が高く積み上げられていた。まさに血の海だ。しかし当然の報いだ。長いあいだ冒涜をほしいままにしていたアラブの人間たちが汚したこの聖地を、彼らの血で染めることを許したもう“神の裁き”は正しく、賞賛すべきである。」


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 中世ヨーロッパ 暗黒の200年


 ところで、十字軍の遠征は、当時、勢力を拡大しつつあったセルジュク・トルコによるパレスチナの占領、および聖地エルサレム巡礼を行なうキリスト教徒への迫害に対する、解放をめざした「正義の戦い」というのが通説とされてきた。しかし、これこそキリスト教的世界観のみに偏した、「独善的」な歴史観といわねばならない。

地中海を囲むこの地域は、神聖ローマ帝国を中心とする西ヨーロッパ、そして東ヨーロッパのビザンチン帝国、およびイスラムの三大文化圏がひしめく接点であった。このなかで8世紀以降、窮地に立たされたのがビザンチン帝国であった。東からは新興のイスラム勢力(セルジュク・トルコ)によって脅かされ、いっぽう11世紀になると、農業生産力を基盤に、西ヨーロッパが力を蓄えて膨張してきたからである。しかも1054年以降は、「正統と異端」をめぐって東西のキリスト教教会が分裂(ビザンチン帝国にギリシア正教が成立)し、西ヨーロッパとの不和は深まっていた。

このような情勢のなか、ビザンチン帝国の救国を図らんと一計を案じたのが、時の皇帝アレクシオス1世であった。パレスチナにおけるセルジュク・トルコ(イスラム教徒)によるキリスト教徒迫害を、大々的に誇張してローマ教皇ウルバヌス2世に報告し、“異教徒制圧”のための援軍を要請したのである。教会の再合同=西ヨーロッパとの和解が交換条件であった。


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 東方の情勢に疎かったローマ教皇ウルバヌス2世は、援軍要請をまともに受け取った。そして、「東方のキリスト教徒に対する救援と聖地の解放は、全ヨーロッパのキリスト教徒の至上の義務である」と呼びかけ、十字軍を組織したのである。同時に、ウルバヌス2世を動かした背景には、東側からの交換条件という魅力があった。この機会に、東方のキリスト教に対する優位を確立し、自らの勢力を拡大しようという野望である。すなわち十字軍は、東西ヨーロッパ指導者の政治的野心による合作であった。キリスト教徒による「正義の戦い」という大義名分は、その「政治的野心」を神聖化するための方便として用いられたのである。


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第一に、十字軍遠征当時(11世紀末)のパレスチナ地方においては、ビザンチン帝国皇帝がローマ教皇に報告したような、イスラム教徒によるキリスト教徒迫害という事実はなかった。イスラム教の寛容政策が行きわたっていたからである。イスラム側にとって第1回十字軍の遠征は、まさに不意討ちであった。もっとも、十字軍側の勝利はこの第1次遠征のみであり、1291年まで続くのちの8回にわたる戦いはイスラム側の勝利に終始した。

(なお、1221年に純真なるキリスト教徒による「子ども十字軍」を組織したという悲劇的なエピソードがある)




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