忘れえぬ光景

エルミタージュ美術館 『琥珀の間』

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 エルミタージュ美術館 『琥珀の間』



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 ロシア皇帝の秘宝「琥珀の間」、ドイツ人男性が探索へ
   
  ロイター  2015年 03月 4日 13:49 JST


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 ロシア皇帝エカテリーナ2世の愛した秘宝「琥珀の間」。第2次世界大戦時にナチスによって解体し持ち去られた後、現在まで70年間行方知れずとなっているが、この「もっとも貴重な、失われた遺物」の発掘にドイツ人男性が乗り出した。

 琥珀の羽目板で内装されたこの部屋は、プロイセン王フリードリヒ・ヴルヘルム1世が1716年、初代ロシア皇帝ピョートル大帝に贈ったものだ。サンクトペテルブルク近郊の宮殿に設置されていたが、1941年に侵攻したナチスがケーニヒスベルク(現在のロシア西部カリーニングラード)に移設。その後、所在が分からなくなっており、戦争中に破壊されたとも、ナチスが密売したとも言われていた。

 これまでにも一攫千金を狙うトレジャーハンターらが大金をはたいてドイツ全土を調査してきたが、残念ながら見つかっていない。


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 この謎に挑戦することを決めたのが、年金生活をしているカール=ハインツ・クライネさん(68)。証拠を検証したのち、宝の部屋はナチス指導者エーリヒ・コッホが故郷である独西部ブッパータールの地下に埋めたと考えるに至ったという。

 クライネさんは「ブッパータールにはまだ調査されていない多くのトンネルや塹壕があるので、ここから調べたい」と意気込む一方、「人手も、発掘に使う器具も足りない。手伝ってくれた人には誰にでも、分け前を贈る」と協力を求めた。


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 琥珀の間の消滅


 第二次世界大戦中の1941年6月、ナチス・ドイツは独ソ不可侵条約を破り、当時ソビエト連邦となっていたロシアに侵攻しました。7月にはドイツ軍はレニングラードと名を変えたサンクトペテルブルクに進行し、9月にはエカテリーナ宮殿へ入ることとなります。

 その後、宮殿内にあった多くの美術品と共に琥珀の間の装飾は略奪されました。ドイツによる侵攻先での美術品の略奪は、ヒトラー総統による新美術館の建築のためであったとされています。


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 ドイツが「琥珀の間」の一部を返還


 ロシアNOW 2013年4月29日

 サンクトペテルブルク近郊のツァールスコエ・セローにある夏の離宮「エカテリーナ宮殿」は、「琥珀の間」で名高い。


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 プロイセンからピョートル1世への贈り物

 琥珀の間の作者は、ドイツの建築家アンドレアス・シュリュターで、1699年以来、プロイセンの王宮の主任建築士を務めていたが、ベルリンの王宮の改築に際し、琥珀をインテリアに使うことを思いついた。琥珀がかつてこのような目的に使用されたことはなかった。

 プロイセン王家には琥珀のコレクションがあり、そのなかに琥珀の枠をもつ鏡が3枚含まれていたことも、シュリュターのアイデアを後押しした。

 1716年、フリードリヒ・ヴルヘルム1世は、琥珀の間をピョートル1世に贈った。大帝の生前には設置されなかったが、娘のエリザヴェータ・ペトローヴナが、冬宮の謁見の間の装飾に利用した。その後、琥珀の間は夏の宮殿に移される。完成は1770年、エカテリーナ2世の治世のことだ。


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 1997年にモザイクの一部を発見

 独ソ戦に際しては、琥珀の間は、その脆さのために移動させることができず、やむなくガーゼや綿をつめて紙を貼り、封印した。

 ドイツ軍は、琥珀の間をケーニヒスベルク(現カリーニングラード)に持ち去り、ケーニヒスベルク城で、そのドアと壁面を組み立てた。しかし、ドイツ軍が同市から撤退すると、琥珀の間は行方不明になる。

 「琥珀の間」探しは、戦後すぐに始まるが、見つからなかった。

 ところが、1997年になって、モザイクの一部が、某公証人のもとで発見され、ドイツ当局が没収した。調べによると、ツァールスコエ・セローの離宮で琥珀の間の略奪に参加したドイツ軍将校の一人が、モザイクを公証人に一時的に預けたという。

ロシアNOW 2013年4月29日 RBTH



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 琥珀の間の復元


 第二次世界大戦後、戦争中に破壊されたエカテリーナ宮殿は修復が進められていましたが、琥珀の間は琥珀そのものが失われていたため、その復元については手の施しようがありませんでした。

 その後、1979年から琥珀の間の修復が開始されることとなります。修復の際には、琥珀の間に関する視覚的資料がほとんど残されていなかったため、復元は困難を極めることとなりました。

 復元にあたった人々の地道な作業が実り、2003年に24年の歳月をかけた修復が完了し、フランスのエヴィアンサミットに先立って世界の首脳に披露されました。復元には琥珀の原石が5トン使われた。


  琥珀(コハク、 Amber、アンバー)

 琥珀は、天然樹脂の化石であり、宝石です。半化石の琥珀はコーパル(Copal)、加熱圧縮成形した再生コハクはアンブロイド( ambroid)といいます。バルト海沿岸で多く産出するため、ヨーロッパでは古くから知られ、宝飾品として珍重されてきました。鉱物ではありませんが、硬度は鉱物に匹敵します。色は、黄色を帯びたあめ色のものが多いようです。

 「琥」の文字は、中国において虎が死後に石になったものだと信じられていたことに由来しています]。 日本の産地である岩手県久慈市の方言では、「くんのこ(薫陸香)」と呼ばれています。

 こはくは200℃以上に加熱すると、油状の琥珀油に分解され、過熱を続けると黒色の残留物である「琥珀ヤニ、琥珀ピッチ」という液体になります。


zz pa エルミタージュ美術館 琥珀の間a-12 琥珀の間 Colours of Baltic Amber


 Baltic amber. Polished stones バルト地方の琥珀


 主な産地はかつてのプロイセンに相当する地域です、ポーランドのグダンスク沿岸、ロシア連邦のカリーニングラード州で、ポーランド・グダンスク沿岸とカリーニングラード州だけで世界の琥珀の85%を産出しています。そのほかリトアニア共和国、ラトビア共和国など大半がバルト海の南岸・東岸地域です。

 産地であるバルト海沿岸を中心に、琥珀の交易路が整備されました。この交易路は琥珀の道(琥珀街道)という名称が付けられています。

 ポーランドは琥珀の生産において圧倒的な世界一を誇り、世界の琥珀産業の80%がグダンスク市にあり、世界の純正琥珀製品のほとんどがこのグダンスク地方で製造されています。 毎年、グダニスクでは国際宝飾展AMBERMARTが催されています。また琥珀博物館も建てられています。

 一方、アジアでは中国の雲南、河南、広西、福建、貴州、日本においては岩手県久慈市近辺や千葉県銚子市で産出されています。 出典:Wikipedia




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