文学・芸術

武満徹 「マタイ受難曲」を葬送の曲

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中国 廬山3




 武満徹のこと


彼をはじめて知ったのは、大江健三郎の盟友だったことである。

『夢千代日記』のBGMを担当したときも、感激した。

遺言で、自分の葬儀には「マタイ受難曲」を葬送の曲にした。

それ以来、マタイ、マルコ、ヨハネ、ルカ受難曲をときどき聴いている。

「マタイ受難曲」より「ルカ受難曲」が明るく希望に溢れ光を感じる。

音楽はあまり詳しくないが、武満徹は吾が魂の音楽家である。





河合隼雄『あなたが子どもだったころ』は、河合隼雄の対談集である。その一人に武満徹があった。
武満徹は1930年生まれ、小学校まで大連で育ち、小学校から敗戦の時(15歳)まで東京の伯母の家にあずけられ、従兄弟たちと暮らす。対談で、子どものころ「幸せな思い出っていうものがあまりない」と言っている。

中学生のとき、埼玉県飯能の陸軍食料基地へ勤労動員に行かされ、そこで見習士官の学徒兵が内緒でレコードを聴かせてくれた。ジョセフィン・ベーカーのシャンソンなどであったという。

電気もないような半地下壕みたいな宿舎で内緒で聴かせてくれた音楽にすごく感動した。宿舎の毛布をみんな持ってきて、それにくるまるようにしてね。今聴いたらひどい音なんでしょうけど、小さい音にじっと耳を傾けた。
体の中に全部の音がしみ込んでくるみたいで、こんなきれいな音楽が世の中にあるのかと思った。

彼が14歳のときである。これが決定的な音楽体験となる。非常に早熟で体の底からの音楽家であったようだ。
戦争が終わる。「私はリグレイのやわらかいガムを噛むようになった。そして終戦後の教室は混乱してしまっていた。私は学校へは行かずに闇屋の手先のようなことをした」と後に書いている。横浜の駐留軍キャンプのPXのボーイとしてアルバイトをし、昼間は人のいないホールのピアノを借りられる約束だった。

そのころのFEN(米軍極東放送)は、昼間はクラシックばかりやっていたという。武満はFENをいつも聞いていてその曲を覚えて、神田の古本屋で楽譜を見付けて覚えていったという。まったくの独学である。最初の作曲はピアノ曲で「二つのレント」(1950)を発表している。

武満 ピアノなんてなかったから、欲しくて欲しくてね。ま、ないからしょうがない。そこで、今から考えるとほんとに不思議ですけど、外を歩いていて、ピアノの音が聴こえれば、必ず「ごめんください」って行きましたね。「申し訳ないんですけど、五分でいいですからピアノに触らせていただけないでしょうか」って頼んだんです。それも十軒や二十軒てもんじゃなかった。場所もかなり広範囲にわたって。でも、オーバーにいってるんじゃなくて、一度も断られたことがないんです。

河合 ほう・・・
武満 ときにはお茶まで出してくれました(笑)。
河合 そら、お茶出しますよ。
武満 中には二、三日ぐらい使っていいですよっていってくださったりした。(中略)
河合 相手の胸を打つものがあったんですね。
武満 自分のことばかりに夢中になって・・・・・・。
河合 いやあ。またそうでなかったらできませんよ。

そのうちに武満の下宿に突然ピアノが1台運ばれてきた。面識のない黛敏郎からピアノが2台あるから1台使うようにということだった。日頃黛を批判していた武満はおどろいて黛を尋ね、お礼に天台の声明の楽譜と大事にしていたインド音楽のレコードとをあげた。ピアノは後に安く譲ってもらった、と語っている。

武満が「5分でいいからピアノを弾かせてくれ」と言って頼んだという話は感動的である。終戦後間もなくのことである。20歳前後のみすぼらしい青年が「1度も断られたことがない」というのである。河合隼雄は対談後の感想の中で、「まったくもってすごい話である」と言って、次のように述べている。

武満さんは本当に静かな人である。しかし、その静かさの奥にみなぎっている気魄は計り知れぬものがある。いざというときに、その気魄のこもった行為が出くるとき、何人といえども抗しがたいのではなかろうか。

私はクラシック音楽をよく聴く方だとは思うが、音楽的な才能はまったくだめである。楽器はなにひとつ触ることもできない。残念ながら、作曲家が音楽で表現するというのがどういうことなのか、想像の外である。恥ずかしながら武満の音楽をまともに聴いたことがなかったので、武満のCDを音楽教員Nさんに数日貸していただいて、暇さえあれば掛けていた。ギターの曲で「Folios」というのと,アルト・フルートというまるで尺八のような音色のフルートとギターの曲「海へ」が気に入った。〈繊細でリリックであるがよく計量されている〉というふうな評語が浮かぶが、あまり信をおかないでもらいたい。

迂闊なことに、武満徹が亡くなったことを知らなかった。新宿の安売りCD屋で「追悼版」というラベルのあるCD「ノベンバー・ステップ」を買った。同時に武満徹の最初のエッセイ『音と沈黙と測りあえるほどに』(1971)を買った。その冒頭に滝口修造が「余白に」という短文を寄せていて、それに次のような語があり、感動した。

人は貧しく、水道の乏しい音にも眼をさます・・・そんな頃に私たちは出会った。焼け跡の向こうから、その人はやって来たように思われた。音の乏しいときに、音を求めて歩く少年。そのシルエットのような最初の存在から、間もなく私は生まれる作曲家という人の存在をはじめて身近に知った。

上記CD「ノベンバー・ステップ」に納められている「弦楽のためのレクイエム」を私は徹底的に聴いた。音楽理論的な、または、演奏技術的なことは何も言えないのだが(何も知らないから)、CDのrepeat機構を使って一晩中エンドレスでターゲットとした曲をかける。かけっぱなしで寝る。そういうやり方を私はときどきやっている。

「弦楽のためのレクイエム」の多数の弦がつくる複雑で不調和な水の波のような音のうねりに身をまかせて眠りに入る。眠りが浅くなると、その水の波のうねりを水中にいて聴いているような、優しいが強い弦の音の峰々が、意識の表層に浮かび上がってくる。一晩のうちにそういう半覚醒の繰り返しを何度も体験する。幾晩も幾晩も「弦楽のためのレクイエム」の水の波のような弦のうねりを夢うつつの中で聴いて過した。この冬、そういう時期があった。それが、ぼくの武満発見であった。

パソコン中年の私は秋葉原に行くことが多く、CD購入は秋葉原の石丸電気にすることが普通。この店はCDの品揃えが凄い。いまこの店で、武満徹は「日本の現代音楽家」というようなコーナーに集められているが、各種CDが幅2mくらいはある。まだ、そのうちの5、6枚しか聴いていない。3人の打楽器奏者のための「雨の樹」(1981)を近頃は面白いと思って聴いている。水滴の落下間隔のカオス性というようなことを思ってしまうが、非周期的音楽というテーマは仲々ソソルのではなかろうか。

武満徹が自分にとって衝撃的だったのは何と言っても彼が自分と同時代に生きた人であったことである。たとえば「弦楽のためのレクイエム」の初演は1957年6月だが(東京交響楽団、そのとき武満徹は27歳)、このとき私は高校1年だった。この夏、私はドストエフスキーを読みはじめ、秋のスプートニク1号の発信電波の受信を試みた理科少年でもあった(たしか17MHzという短波帯だったので受信に挑戦する気になった。むろん失敗だった)。その時はもちろん、そのあと何年も〈武満的な世界〉が自分の地続きの世界に存在しているという実感をもつことがまるで出来ていなかった。自分の精神世界の狭さを思う。

改めてテーブルに乗せるとすると、〈同時代性としての芸術表現〉というような(広義の)連帯感をどういう領野に実感して来たか、という風になる。1960年代から70年代にかけて、私は「貧しい日本」の〈政治イデオロギー〉の世界に足をおいており、30歳くらいまでの間に実感できた〈同時代としての芸術表現〉は詩・美術などの一部にしか過ぎなかった。自分から音楽はとても遠かった、ように思う。

歌謡曲や民謡をかなり聴き、ジャズにもだいぶはまったのだが、それらの〈娯楽性〉を超えて連帯的に実感することは出来ていなかったとおもう。映画についても、そうだ。けれども、大江健三郎より武満徹の方が表現として普遍性を獲得しているのではないか。

むしろ、今振りかえって見ると、自分がその頃までに身につけていた数理系の技術(というのか?方法論というのか)が、同時代に深く根ざした〈表現〉にもっとも近いように感じられる。自分の、パソコンプログラムなどもそこに根差している、といっていい。理科少年としての自分の方が、むしろ、時代思想の真髄に接近していたということ。真髄への接近はいつもこのように、はすかいに起こる。

音楽は数理的な秩序と密接である。したがって、あるときその論理性にだけ作曲家の関心が向けられてしまうといった危険がないではない。音楽の言語である〈音〉を、すでにあたえられたものとしてしまってはならないように思う。〈音〉に対しての新しい認識がなされないで音楽が存在することはない。(武満徹「日録」より)


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