忘れえぬ光景

エンデ 『モモ』 金銭は老化しない

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  「時間どろぼう」の秀逸さ 


 文明とは拙速・利益・欲望の奴隷

 流汗・収穫・豊穣の歓びが消える 




 ミヒャエル・エンデの『モモ』は映画で見たことがあるのだが、原作本ではどのようなことが書かれているのかと読んでみたよ。

 「時間どろぼう」という秀逸な存在をつくりだした発想の勝利だね。効率化の進展のなかで時間を失ってゆく人たちにたいする鋭い批判になっている。『タイム』という映画も時間を稼げなかったら若死にするという設定が秀逸だったね。

 「時間どろぼう」はグレーのスーツを着ていつもたばこをふかしている。映画ではわからなかったのだけど、この葉巻は人々から奪った「時間の花」によってつくられていて、時間どろぼうは人間の死んだ時間によって命をつないでいるということらしい。

 忙しさやお金、仕事のために時間やゆとりを失ってゆく人たち。これは貨幣や利子の話だと指摘する人たちもいて、そのテーマについては『エンデの遺言――根源からお金を問うこと』にくわしいね。この世に老化しないものはないのにお金だけが老化しないで無限に増殖することができる。

 「老いてゆくお金」を用いることが必要ではないのかと問うた。大恐慌時などに人はお金を使うまいとするからよけいに不景気がすすんでしまって、血液の役割をしなくなるから、すぐに使ってしまわないと価値を減じてしまう「老化するお金」を用いるべきではないのか。お金と仕事の奴隷となっているわれわれにお金の支配をもたらす風穴を開ける発想がわれわれに求められているのだろうね。

 エンデのこの本が出たのは1973年。まだヒッピーやカウンターカルチャーで物質文明にたいする批判が大きなうねりになった時期だね。


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 でもこんにち、そういう批判はいくらかの影響をあたえたにせよ、お金と仕事に支配されるビジネスの社会はあまり変化をもたらしていないね。あいかわらずわれわれは会社と仕事に人生を支配されていて、そういう生き方がマトモであるという人生観からの拘束から逃げ出せないでいるね。この価値観の転覆はどうしておこらなかったのかと思うね。

 『モモ』は児童文学の本とされているのだが、もちろん大人の本として通用するものだね。児童文学書として本屋にならべるのではなくて、大人の目につく書棚にならぶようにしてほしいね。


zzzz 蓬莱山


 モモは時間どろぼうの追跡からカメによって逃れるのだが、「どこにもない家」のマイスター・ホラに出会ってすごした時間が通常の時間の一年間にたっしていたという話は、浦島太郎そのものだね。浦島太郎は時間について語ったというより、竜宮の城という仙人の理想郷がどんなにすばらしいものかの比喩に近いだけなんではないかと思うけどね。

 われわれはどうやったら仕事とお金の支配から逃れられるのだろうね。社会の常識や趨勢はどうやったら変えることができるのだろうね。仕事から逃れる考え方や常識があたりまえの国になってほしいね。エンデのいうようにお金のあり方を問い直さなければならないのかな。

 なお挿絵のイラストや表紙の絵もすべてエンデ自身の手によるものらしいので、目を通すだけではなく、メッセージや意味も検討したいね。




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