忘れえぬ光景

「掬水月在手 弄花香満衣」

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 「掬水月在手 弄花香満衣」

 水を掬きくすれば月手に在り、

 花を弄すれば香り衣に満つ



唐時代の詩人が書いた五言律詩の一句である。

『全唐詩』に収録されている。

つい禅者の言葉と思いこんでしまうことがある。漢詩の研究をしている方から見れば、すぐに詩人の名が浮かび、その句を含んだ詩が浮かんでくることだろう。


  「春山夜月」 于良史 (うりょうし)
 
  〈原文〉


春山多勝事、賞翫夜忘帰
掬水月在手、弄花香満衣
興来無遠近、欲去惜芳菲
南望鳴鐘処、楼台深翠微

  〈訓読〉

春山勝事多し、賞翫して夜帰るを忘る
水を掬きくすれば月手に在り、花を弄すれば香り衣に満つ
興来らば遠近おんごん無く、芳菲ほうひを惜しんで去ゆかんとす
南に鳴鐘の処を望めば、楼台ろうだいは翠微すいびに深し

 〈試訳〉

春の山は素晴らしい事が多いので、それを愛でていると夜になっても家に帰ることを忘れてしまうほどであるよ。
(澄んだ川の)水を手で掬すくえば月がその中に(映って)在るし、花にふれればその香りが衣に満ちあふれるようだ。
興が乗れば遠い近いにかかわらず、芳かんばしい花の香りを愛でて何処までも行きたいものだ。
鐘の音が聞こえる南の方を遙かに見れば、楼台が春の芽吹きの山の中腹に隠れていることだ。



zzzzz 掬水月在手


承句の「掬水月在手、弄花香満衣」は禅的な意味合いを読みとれる句なので、後の禅者が好んで引用したようである。
それでこの句はいつしか禅語とみなされたようであるが、もともとは于良史の詩の一句であったのである。
于良史については『大漢和辞典』にも見つけられないのだが、唐時代(618~905)の詩人である。


この句について禅的な意味合いに読むとすると、どのように読みとれるであろうか。月を真理とみるならば、水を掬きくすれば真理は手中にあるし、花を勝事とみるならば、勝事の最たることは仏教を学ぶことであるから、仏の教えにふれたならば、自ずと仏の教えに包まれてしまう、と読み解くこともできる。

月とも花ともこの身が一枚になっていて、隔てがない天地のありようとも読みとれようか。
いかようにも読みとることのできる懐の広い表現である。

このような語句は言葉という制約を乗り越えた言語表現としての極致といえるのだろう。
後の禅者もこの詩句を借りてそれぞれの悟りの境地を表せたのであろう。
この語句に寄せるそれぞれの禅者の意味するところは異なっているのかもしれない。

それにしても、奥の深いさわやかな漢詩である。




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