文学・芸術

ジョン・スタインベック

 ←『怒りの葡萄』 スタインベック  →小林古径 「紫苑紅蜀葵」
zzzzz g 『怒りの葡萄』 スタインベック a





 ジョン・スタインベック



「怒りの葡萄」は小説、映画化され、今でもルート66のバイブル的存在。

物語は、全ての家財を叩き売ってジョード一家は、トム一族や説教師のジム・ケイシーと共に、ルート66をオクラホマ州からカリフォルニア州までの旅が描かれている。



zzzzz g 『怒りの葡萄』 スタインベックf



 ジョン・スタインベックとは?


1902年カリフォルニア州サリナスで生まれる。祖父は多くの農地を所持したドイツ系移民、父はドイツ系2世で母はアイルランド系の小学校の教師だった。

幼い時からドストエフスキー「罪と罰」、ミルトン「失楽園」、マロリー「アーサー王の死」などを読みあさり文学好きの少年であった。


1920年、スタンフォード大学入学。

1921年、牧場や道路工事、砂糖工場で働く。この経験が後の彼の作品の世界観に現れていった。

1925年、海洋生物学を学んだ後スタンフォード大学を学位を取らずに退学、その後帰郷し、3年間山小屋やマスの加工場などで働きながら作品を書く。

1929年「黄金の杯」で作家デビュー。

1939年4月、大干ばつと耕作機械によって土地を奪われた農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた壮大な作品「怒りの葡萄 The Grapes of Wrath」出版した。作品は賛否両論を引き起こす。

1940年、怒りの葡萄がピューリッツァー賞、全米図書賞を受賞した。

作品はヘンリー・フォンダが主演を務め、$7万5000の映画化権料で映画化され、2つのオスカーを獲得し名声を不動のものとする。

1950年、聖書の物語と南北戦争から第一次大戦までの時代を背景に、カリフォルニアの一家族の歴史を描いた大作「エデンの東」を発表。

5年後この作品も映画化。主演のジェームズ・ディーンの演技が話題を呼び、大ヒットした。その後も意欲的な作品を書き続け、1962年にはノーベル文学賞を受賞したが、晩年の生活は恵まれなかった。1968年、ニューヨークで心臓発作をおこして66歳で死亡。



zzzzz g 『怒りの葡萄』 スタインベックe



 怒りの葡萄 とは?


初版は1939年、ジョン・スタインベックの小説でスタインベックは1940年にピューリッツァー賞を受賞した。

1962年、ノーベル文学賞受賞。

1930年代の世界恐慌、大規模資本主義農業の発達やオクラホマ州や中西部で深刻化したダストボウル=砂嵐により、所有地が耕作不可能と成って流民と成る農民が続出し社会問題と成っていた。

故郷オクラホマを追われた一族の逆境と不屈の人間像を描くストーリー。アメリカ・オクラホマ州の農家の息子である主人公のトム・ジョードは、人を殺し、4年間の懲役刑から仮釈放で実家に戻って来た。

彼の家族の農場はダストボウルで耕作不能と成り、生活に窮した家族はオクラホマを引き払い、仕事があると耳にしたカリフォルニア州に一族あげて引っ越そうとしていた。

祖父や祖母はモハベ砂漠やロッキー山脈を越えてゆく過酷な旅に体力が耐えられず車上で死亡し、従兄弟は逃亡するなど苦難の旅の末、一家は人間らしい生活が出来ると思っていたカリフォルニア州にたどり着く。

しかし当時のカリフォルニアには、大恐慌と機械化農業の為に土地を失った多くのオクラホマ農民が流れついていた為労働力過剰に陥っており、ジョード家の希望は無惨に打ち砕かれる。

移住者たちは「オーキー(オクラホマ野郎の意味)」と呼ばれ蔑まれながら、貧民キャンプを転々し、農園主の言い値の低賃金で、日雇い労働をするほかなかった。労働者を組織しようと活動をはじめたケイシーは地主に雇われた警備員に撲殺される。

その場に居合わせたトムはケイシーを殺した警備員を殺害し、家族と別れて地下に潜る。家族を次々と失ってゆくジョード一家のキャンプ地に、豪雨と洪水がやってくる。


zzzzzz g 『怒りの葡萄』 スタインベック



「ジョード一家の物語」という枠を超えて、当時の大恐慌下のアメリカ社会に対する直接的な告発とも成っている。

作者のスタインベックはキリスト教文学で聖書に決定的な影響を受けた作家である。

本作でジョード一家が貧しいオクラホマから、乳と蜜の流れる、豊饒な「約束の地」であるカリフォルニアに脱出するところは、旧約聖書の「出エジプト記」をモティーフとしている。

又、物語の最後でママ・ジョードが言う、「先の者が後にまわり、後の者が先頭になる」と、これも新約聖書の一節である。



zzzzz g 『怒りの葡萄』 スタインベックd



「葡萄」とは、神の怒りによって踏み潰される「人間」の事を意味する。

怒りの葡萄という表現は、同じくヨハネの黙示録に題材を得たリパブリック賛歌でも既に使われ、当時広く知られていた。

出版当時、アメリカ全土に絶大な影響を与え、全米で本作をめぐる論争が起こった。

「風と共に去りぬ」の次に売れたといわれ、保守層からは目の敵にされた。

1940年にはジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演により映画化された。

ニューヨーク映画批評家協会賞の作品賞、監督賞、またアカデミー賞の監督賞、助演女優賞ジェーン・ダーウェルを受賞している。




スポンサーサイト



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 
もくじ  3kaku_s_L.png 愛娘 Erika
もくじ  3kaku_s_L.png やきもの
もくじ  3kaku_s_L.png 余白の人生
もくじ  3kaku_s_L.png 忘れえぬ光景
もくじ  3kaku_s_L.png 文学・芸術
もくじ  3kaku_s_L.png 雑学曼陀羅
もくじ  3kaku_s_L.png 時事評論
もくじ  3kaku_s_L.png 教育評論
もくじ  3kaku_s_L.png 書画・骨董

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【『怒りの葡萄』 スタインベック 】へ
  • 【小林古径 「紫苑紅蜀葵」 】へ