余白の人生

孤高の人

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 「孤高」 美化された虚飾の漢字



どんなに高徳で立派な業績を残しても、孤高の老人など存在しない。

天涯孤独で弱弱しい哀れなただの老人に過ぎないのである。

資本主義経済社会で老化しないのは、純金のインゴットだけである。

ところが、限られた埋蔵量の金もやがては枯渇して、純銀に移行するだろう。

金銭も株も年金もレート・変動相場により、やがては目減りする。

世の中に確かなものは何もない 在るのは別れ 生きよこのいま




第二の人生は親が死んでから本当の天涯孤独の人生がスタートする。
貯金なんて役に立たない。今の時代、年金がまともに出る保証はどこにもない。
老後、老後というが、貯金や年金くらいしか今の現役世代は考えてないんじゃないだろうか?
確かに老後にお金があれば急な医療費や困ったときに食材の宅配なども頼めるし、身体が不自由な分、周りにお金で助けてもらえることは多い。

しかしながら、最近思うのはそこまでして生きたところで何の意味があるのか?ということである。

結婚をして、子供がいれば、親子関係が良好ならば子供とも少々接触する期間があるだろう。
だが、昔からのことわざで「親孝行、したいときには親はなし。さればとて、墓に布団は着せられぬ。」というものがある。

つまり、実際は親が生きているときに感謝して親孝行しようと思う人は少ないのである。
人生の終焉近づいて、自分が親をありがたいと思う頃、親は寿命でもう居ないのである。
つまり、自分の子供だってなかなか自分たちの面倒を見ることを期待はできない。
ブランド好き、浪費家の嫁と結婚した息子は、親孝行なんて思うどころか、親にお金を借りに来る。
そして、そのお金は返ってこない。

ここまでの話は、結婚をしている人を前提に話しているが、重要な部分は、ここではない。
独身の場合で老人になった場合である。


 孤独の世界がさらに本格的に


日本でも世界でも人はいっぱいいる。だが、昔の個人商店なら、買い物をしつつ、ちょっとした近所の会話があったが、コンビニの店員と世間話なんてしない。
ものの売買が急速に流通化して、人間味のない味気ない世の中になった。
電車に乗るのも降りるのも改札口でタッチして、人との関わりはない。

ここで両親が死んでしまった後の世界を考えたことがあるだろうか?

ここから本当の天涯孤独な老人の人生がスタートする。
会話する人はゼロ。本当に頼れる身よりもゼロ。
都会のアパートで孤独死でもしてしまったら、無縁仏として共同墓地にゴミのように捨てられてしまうのである。
最後はそういう人生であったとしても、そこまでの期間が長い。
痴呆になり、体力もなく、関節が痛み、持病の薬を毎日飲む。

毎日、毎日テレビを見るくらいで、どこかへ行く体力すらない。
実家もないし、両親も知り合いもいない。
友達?先にもう死んでいないよ。


 ほんとうの老後の世界


本当の老後の世界って今のネットがあふれている若者には分からない。
老後はお金。これくらいだ。だが実際は生きていても楽しくない。
死ぬまでの期間を延々と何もせずに孤独に待ち続けるような人生になるのである。
孫が遊びに来るなんてことはない。

いま結婚している同世代を見て、家庭があってうらやましい。
子供が生まれて成長していくのを見ていいなぁと思う。そ
れが老人になり、まわりで孫を連れて遊びに来ているのをみて、いいなぁと思う。
そして強烈な孤独に襲われる。
自分の人生は何だったのだろうか? 
そういうことを考えられるような脳も退化し、痴呆が入り、モヤモヤと何も考えられない。

本当の老後というのは、五体満足で貯金だけあり、老後はハッピーに旅行にでも行ってというものではない。
痴呆で持病を持ち、気力と体力もなく、死を待つ天涯孤独の強烈な人生となる。

重要なことは、年金をもらうことや貯金を老後に備えて貯めておくことではない。
貯金をした老後になんて何もハッピーエンドはない。
地獄の孤独の牢獄で、お金が日々減る恐怖にも怯えるのである。
もう現役世代ではないので貯金すら増えずに切り崩す。
その減り方は早く、あっという間に数年、そう5年も持たずに枯渇する。

現役世代は、やがてくる孤独地獄に備えよ。

生きている間に親孝行をしておいた方がいい。
何がいいか。それは両親が死んでから自分の気持ちに差が出る。
親には何もしてあげられなかったと思う自分。
自分はやることはやったから、親はいい人生だったのだろうか?
どう思うかでまた違ってくるものである。


 なぜ日本人は孤独や孤高を美化するのか


お金持の、3高(背丈・学歴・収入)の相手がいないから? 
イケメンじゃないと結婚できない?
ならばその孤独の結果も自業自得だ。
はじめから、結婚に魅力を感じない人も多い。
現代はとくにそうだろう。
結婚後にうまくいかなくなり離婚し、そのトラウマから生涯独身になる人もいる。
結婚だって一生に1回ではなく、芸能人など3回も4回もする人だっている。

昭和の時代は、こういう人も普通に近所に存在していたものである。
そもそも誰もが結婚し、離婚もせず、耐える時代であった。男尊女卑。そういう時代だった。
男としてはいい時代であったが、女性としては姑との地獄の日々など、結婚して幸せとは言えない時代でもあった。

今の時代、女性が結婚してこんなに苦労が少ない時代は日本の歴史上ないことだ。
それが年収600万円以上、イケメンなど、色々言っているのである。
そういう人もいればそうではない女性もいる。

そうではない女性はもう結婚し、子供もいる。もしかしたら収入も良く、イケメンかもしれない。
だがそういう人を見ていると大抵は、女性の家柄もいいし、女子アナ並に美人だ。
男性側もしっかり選別している。でもそれがどうだというのだ。

自分には無いものねだりをすることが多い。結局はそこなのである。
孤独は自分が選んだ道の先にたまたま現役世代の時に見えていなかった道の先にある。
誰のせいでもない。何事も自分に始まり自分に終わるのだ。

そして歳をとると、道を変更したり、引き返すことは二度と出来なくなるのである。
間違えて先がない道をゆっくり自動歩道のように無理矢理進められていくのである。
その先は断崖絶壁の崖しかない。

男にも女にも、老後に、美しい「孤高の人生」などないのだ。
そんなまやかしの「孤高」の偽善に振り回されずに「今を生きる」ことだ。
この世には、複雑なものはない。そうさせているのはあなたの思い込みなのだ。
あるのは、ごく単純に「この世は男と女がいて成り立つ」世界だからである。

異性を知っている人ならこのことがよくわかるはずだ。
ほんとうにこころや魂が癒されるのは、温泉に浸ったときのように、
憂きことを忘れ自分の肉体を休めるときである。

これまでの見聞によれば、孤高という男専用の枕詞であった。
最後まで主人を見送ったけなげな女性たちに当てはまる言葉ではなかっただろうか。
現代においては、孤高の男など捜しても見つかることはないだろう。

高倉健 が孤高の人 ? とんでもない。ただの役者だ。


 



 
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